第119話:勇者クルト(2)
ガストニアを揺るがす大事変……バルバラ商会襲撃とロドムの死の混乱は、事件から一週間が経とうとしても、まだ尾を引いている。
バルバラ商会はこれまで、ダンジョン探索において主導権を握る冒険者ギルドと連携することで、市場で大きな勢力を保っていた。冒険者の動向をいち早く察知し、彼らの動きを助け、彼らからの利益を最大限得られるよう、市場を調整してきたのだ。
だがバルバラ商会が崩壊すると、すぐさまゴルトログ商会が市場の制圧にのりだした。彼らは、バルバラ商会の傘下にいた商店を引き込もうと、躍起になっている。ときに実力行使すら辞することなく。
街のあちこちで、ゴルトログ商会子飼いの傭兵と、商店に雇われた冒険者が激突し、ギルドでの戦利品の取り扱い価格も安定しない。
だが魔術学院は、事件への関与を否定して以来、沈黙を守っている。ゴルトログ商会が市場を制圧すれば、その利を受けられるからだ、と誰もが囁いていた。
魔術学院と冒険者ギルドの関係に亀裂が走るのは、当然の成り行きだろう。冒険者の中には、バルバラ商会襲撃を手引きしたのは魔術学院である、と噂する者もいる。板挟みになるのは、学業の一環としてダンジョンに潜る、学生たちであった。
ガストニアの街は、混乱に飲み込まれている。
「やれやれ、聞いてらんないね。みんなしてマイロのこと、好き勝手に言って」
アナグマ亭の、酒場の一角。
憤慨しながらやってきたダナは、先に座って待っていたクルトたちのテーブルに、抱えていた人数分のジョッキを叩きつけながら、腰を下ろす。エールの泡が零れ、テーブルにシミを作った。
クルトたちは身を寄せ合うようにテーブルを囲み、店内に視線を走らせる。
冒険者たちの活気で賑わっていたアナグマ亭は、不安と不信に満ち溢れていた。
曰く、犯人のマイロは陰気で気色悪いやつだった。
曰く、死者を侍らせている異常者だ。
曰く、死霊術師には隷属の刻印を入れるべきだ。
誰もが、指名手配の張り紙を睨みながら、鬱憤を声に出してぶつけている。それがクルトには、ひどく居心地が悪かった。
「死霊術師が悪さしたからって、首を取ったみたいにつるし上げにしてさ。ダナ、ああいうの大っ嫌い。反吐が出るよ」
ダナはジョッキを呷りながら、小声で周囲の酔客たちをなじる。この店の中では、クルトたちは誰よりもマイロたちについて知っていた。
「ああ、アンナターリエが手を引いたんだ。騙されたのか、唆されたのかはわからないが、悪いのはマイロたちじゃない」
変人で、人間嫌いで、ときに冷酷な判断を下すこともあるが、無暗に人を襲うようなことはしない。それがクルトの、マイロに対する評価だった。
あの日、彼らに実際になにがあったのかは、わからない。ただ少なくとも、邪悪な吸血鬼が背後にいることだけは、確かだ。
ごとり。
ダグバが音を立てながら、ジョッキをテーブルに置く。
「だが、どうする」
「どうするって」
「このままマイロたちに追いついたとして、だ」
クルトたちはバルバラ商会襲撃のあと、すぐさまダンジョン潜りを再開した。
地上の混乱も放ってはおけなかったが、クルトたちが駆け回ったところで、事態を収束することは難しい。ならば、自分たちは首謀者を確保することに心血を注ぐべきだと、そう判断したのだ。
アンナターリエ……そして、マイロを。
クルトたちはまず、第13階層のマイロたちの住まいに向かったが、既にそこはもぬけの殻だった。転移門の痕跡から、彼らがさらに下層まで下りたことを知ると、そのまま深部への探索を始めた。
現在は第16階層から下の、地下墓地めいてグールやゴーストの出現するエリアを抜け、岩山に見える第21階層を探索中だ。恐ろしく硬い身体を持つ、ロックジャイアントを撃破したところで、一度引き上げることにしたのだ。
マイロたちがどこまで潜っているのかはわからない。だが、絶対に追いつく。その意志に突き動かされ、彼らは人並み以上の速度で成長し、探索範囲を広げていた。
「そうですね。アンナターリエはともかく、彼らにどういう態度で挑むのかは、決めておくべきかと」
ヘレッタの言葉に、クルトは少しだけ考えた。だが答えは決まっていた。
「まずは、確かめる。どうしてバルバラ商会を襲う、なんてことになったのか。そのうえで……しかるべきところに出て、事情を説明するように言うよ。不可抗力だって理解してもらえれば、罪を償って、またやり直せるだろ」
「どう、償うのです?」
セルマの言葉に、クルトは言葉を飲み込んだ。
「アンナターリエの存在はいまだ公表されていませんし、されたとしても、マイロ様も彼女の配下になったと見做されるでしょう。よくて極刑、あるいは、もっとひどい仕打ちを受けるかも」
「まさか、ちゃんとマイロの話を聞けば、そんなことになんて」
「んなわけないじゃん」
いくばくかの呆れを滲ませ、ダナが吐き捨てた。
「あいつらの話聞いてればわかるよ。ガストニアはいま、生贄を必要としてる。事態を収めるためのね。マイロたちが犯人なのは事実だし、捕まったらもう終わりだよ」
「ふざけるな、そんなこと!」
立ち上がったクルトに、店中の視線が集まった。その肩を、ダグバが押さえて座らせた。
「……そんなこと、させない」
「どうやってさ」
クルトは、ダナに答えを返せなかった。
「そもそも、ほんとにアンナターリエに唆されただけなのかね。もしかすると、もうあいつの手下になっちゃってるのかも」
「あり得ない。あいつは、女子供も構わず自分の食料にするような奴だ。ただ気まぐれに、血が欲しくなったからってだけで! どうして、そんな奴の味方になるんだ」
「だが、マイロはその実態を知らない」
ダグバの呟きは、テーブルに沈黙を呼んだ。
酔客たちの噂話が聞こえてくる。やっぱり死霊術師は邪悪だ。死人を操るなんてどうかしてる。いや、マイロってやつがおかしいだけだ。普段から死体を連れ歩いてた。あいつは異常なんだ。
疑念を払うように、クルトはジョッキのエールを飲み干す。
「とにかく! 少し休んで、薬や食料を補充したら、また出発しよう、それで」
「ずいぶんと急いでるのね。どこに向かうのか、聞かせてちょうだいな」
不意に割り込んできたのは、聞き覚えのない声だった。
振り向いた先には、老齢の女がひとり立っている。女はリングア言学会の、法衣に身を包んでいた。
「マ、マリーアン高司祭様……」
震える声が、セルマの口から零れ落ちる。
「ずいぶん連絡がなくて心配していたけれど、息災なようね、セルマ。ああ、そちらが例の、勇者の血を継ぐ青年かしら?」
「あんた、誰だ」
マリーアンと呼ばれた女は、クルトに一瞥をくれたものの、忌々しげな目線を寄越してすぐに目を逸らした。答えは、返ってこなかった。
「おい」
「それで、セルマ? 面白い話が聞こえたんだけど、詳しく聞かせてもらえるかしら。アンナターリエが、指名手配されてる死霊術師と関わっているの?」
「い、え……それは、その……いッ」
マリーアンの手が、セルマの肩を掴んだ。指が食い込み、顔が苦痛に歪む。
「言いなさい、セルマ。お前たちの不手際を見逃してやった恩を忘れた?」
「おい、なにしてるん、だ……!?」
クルトは立ち上がろうとした。立てなかった。
その首筋に、短剣が添えられている。誰ひとりとして、反応できなかった。
「動かないでください。死霊術師マイロがどこへ行ったのか、それさえわかれば立ち去りますので」
「なんなんだ、いったい」
怜悧な空気を纏った女の声。聞き覚えがある。バルバラ商会の会館に居た、眼鏡の女だ。
「さ、教えなさいセルマ。アンナターリエと死霊術師、どちらも教会が討つべき邪悪よ。どうするべきか、あなたも修道士なら理解できるでしょう」
怯えを孕んだセルマの目が、クルトたちに向けられた。
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