第118話:死者と生者の間
「まさしく、人間たちが恐れる通りのことをするんです。マイロ先輩、死者たちの王になってみませんか?」
将来は自分の店を持ってみませんか? なんて持ち掛けるくらいの気軽さで、アンナはとんでもない提案をしてくる。
ただし、その目に冗談や、からかいの色はない。
「私はいま、このダンジョンを構築する術式を書き換えて、こちらの好きに弄れるようにしようと考えてます。それが上手くいったら、マイロ先輩には、このダンジョンの主になっていただけないかなって思いまして」
「え、なに、ダンジョンを……?」
「ダンジョンの術式を、書き換えるんです」
突然話の規模が大きくなって、もう頭がついて行かない。
このダンジョンが、イルムガルトを幽閉するために、魔術で作られていることは知っている。けれど、それを書き換えるだって? 灰祓いのひとり、大賢者ロートレックが組んだ術式を?
荒唐無稽過ぎる。が、しかし。
アンナも、その正体は二百年前に灰色王に与していた、吸血鬼アンナターリエだ。黒魔術の大家でもあったという彼女なら、非現実的な話ではない気がしてしまう。
いや、それよりも。
「まだ邪魔なやつもいるので、実現するのはもう少し先になりそうですけどね」
「待って待って、僕にどうしろって言ってるの。死者たちの王って?」
「ですから、死んだ者たちに、再びこの世界で活動するための身体を与えるんです。マイロ先輩への忠誠と引き換えに。幸い、このダンジョンには、腕の立つ死者はいくらでも居ますしね。ここに、死者の国を興すんです」
「つまり、どんどん死者を取り込んで行けば、生者たちも手出しできなくなる……」
「はい、そうです」
いくつもいくつも疑問が浮かんで、もうなにから聞けばいいかわからない。
「……なんで僕に?」
結局質問は、ひとつに集約された。
「マイロ先輩が、境界線上いるからです。死者と生者の境界の上に。これは、私みたいに、もう踏み越えてしまっているものにはできないんですよ」
納得したわけではない。でも僕が、死んだように生きていたのも、事実だ。その僕の居場所を作ろうと思ったら、死者の国というのは、なるほど道理ではあるのかもしれない。
だけどもうひとつ、これだけは聞かなければ。死者の国。生者たちの社会を切り崩す、新しい国。その王になれというのは。
「僕に、次の灰色王になれってこと?」
ウリエラたちに、緊張が走る。マズルカやポラッカが、警戒を露わにする。
アンナは意にも介さず、笑みを消し、真剣な面持ちで首を横に振った。
「違います。決して灰色王にはならないでください。それでは、意味がないんです」
そう言い切ると、アンナは席を立ち、書庫の入り口へ向かっていく。
「ちょっと、アンナ?」
「しばらくここで考えてみてください。これからどうしていくのか」
そう言い残し、アンナは書庫を出て行った。
◆
アンナが出て行ってしばらく。
僕たちはそのまま、サーリャのテーブルにぐったりと腰を下ろしていた。
「またこれ、絶対いいように利用しようとしてるよね」
「だろうな」
ガストニアと敵対するように仕向けて、ダンジョンで死者の国を作れと唆す。やってることは、半分くらいバルバラ商会と同じだ。
違うところと言えば、下に置いて使うのではなく、上に立てと言ってくるところくらいか。
「で、でも、絶対他に思惑がある、気がします」
「僕もそう思う」
アンナはいったい、なにを考えているのか。相変わらず判然としないが、少なくとも、僕を死者の国の王にすることが最終的な目的ではないはずだ。
死者の国を作ったその先に、なにかを為そうとしている。おそらくは、灰色王に出来なかったなにか。
「ダメだ、わからない。というか、死者たちの王になるって言ったって、どうすればできるのかすらわからないよ」
仮にアンナの言う通り、どんどん死者たちを仲間にしていくにしても、だ。死体を見つけて片っ端からリビングデッドにしていく、なんてやり方じゃ効率が悪すぎる。
脳裏に浮かぶのは、僕に剣を突き立てようとしていたフレイナの姿。僕に激情を叩きつけた、ウリエラの姿。
死者たちは、肉体の枷に囚われず、素直で、正直者。だからと言って、無条件で従ってくれるわけではない。ここに来るまで、いやというほどそれを学んできた。かといって傀儡ゾンビにしてしまっては、なんの意味もない。
忠誠を対価に、なんて言われたところで、僕は断じてそんな器じゃない。みんなにだって、別に忠誠を誓ってもらっているわけではないのだし。
やっぱり、死者たちの王だなんて、なろうとしてなれるものじゃない。
「なんにせよ、結局は僕がもっと力をつけないといけない、ってことには変わりないんだけどね」
そういう意味では、確かにこの環境は魅力的だ。イルムガルトの書庫。ここの魔導書を読み解いていけば、死霊術師として成長できるかもしれない。
どこから手をつければいいかは、さっぱりわからないが。
「あのさ、とりあえずしばらく、ここでゆっくりしてもいいんじゃないかなー、なんて思っちゃったりして」
考えあぐねいていると、場を和ますようにサーリャが明るい声で提案する。
「あ、わたしも賛成かも。ここならモンスターは出てこないみたいだし」
「確かにな。特にマイロ、お前は一度休むべきだ。これからどうするかも、いまは考えずに、身体を休めることを優先しろ」
「そうですね……そ、それに、心が落ち着けば、考えも纏まるかもしれませんし」
みんなにそう言われてしまうと、なんだか急に身体が重くなる。いままで忘れていた疲れを、思い出してしまったかのようだ。
「じゃあ、お言葉に甘えようかな……サーリャ、ベッドを用意してもらえる?」
「お任せあれ! こっちの書庫の間に壁作って、部屋にしちゃおっか」
サーリャに寝床を作ってもらい、毛布を準備しながら、少しだけ僕は、アンナの提案に惹かれている自分に気が付いた。
いまも僕は、死者と生者の間にいる。ウリエラも、マズルカもポラッカも、サーリャも死者だ。食事も睡眠も、本来的には必要としない。僕だけが、肉体の枷に囚われている。
生者でありながら、死者に囲まれ、死んだように生きている。
でも僕の居場所は、間違いなくここだ。
同じように、居場所を失くし、彷徨っている死者たちがいるのならば。彼らが集まって、生きているうちに得られなかった居場所を見つけられるのなら。
死者の国という考えも、悪くないように思えていた。
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