第117話:立ち位置

 膨大な魔導書が収められた棚に囲まれ、僕たちはテーブルを挟んで、アンナと向かい合う。ただそこに在るだけで魔力を放つ書物と、力について話そうという吸血鬼。


 落ち着ける要素が欠片もない。緊張に肩が凝るし、喉が渇く。


 さっさと始めよう。


「それで、アンナ。僕が求めるべき力って?」


 わざとテーブルに頬杖をついてアンナを睨む。


 ちなみにだがこのテーブルは、傍らに座るサーリャの身体の一部が形作っているものだ。この書庫、本当に書棚が並んでいるだけで、閲覧机のひとつもなかった。


「何度かお話ししましたけど、マイロ先輩はいまのままでは、家族と過ごす安寧の暮らし、なんてものは実現できません」


「それはわかってるよ。この階層まで下りてくると、現状じゃもう、生きていけるかさえ怪しい。だから僕は、少しずつみんなを強化して、自分も力をつけるつもりだった。でも君は、それじゃダメだって言うんだよね」


「はい、ダメです」


 即答である。


「マズルカさんたちに刻んである術式とか、発想は面白いですし、リビングデッドは強化できないっていう常識を覆す発明ではあるんですが、一時しのぎにしかなりません。人間たちを敵に回した時点で、もう時間の問題なんです」


「誰のせいでそうなったと思ってるんだ」


「なんか勘違いされてる気がするんだけど、僕は別に、生きた人間を憎んだりはしてないからね。信用できないし仲間にはなれないけど、敵対するつもりはなかったよ」


 興味がないのだ。率直な話。だが、アンナは肩を竦める。


「いいえ。今回は私が唆したのは事実ですが、遅かれ早かれマイロ先輩は、同じ道を辿っていましたよ。少なくとも、教会は間違いなくマイロ先輩に目を付けているでしょうし」


「ガストニアじゃ、教会は大手を振って動けないでしょ」


「そのガストニアが、マイロ先輩の敵になるんです」


「だから、どうして」


「はみ出してしまったからです。人間という輪の中から。そのくせ、本当にひとりでは生きていけない寂しがりやさんです」


 ひどい言われようだ。自覚はあるけれど。


「マイロ先輩が本当に誰にも関わらず、山の奥とかでひっそりと暮らすなら、まあ寿命が来るまでくらいはしのげたかもしれません。でも先輩は、人と関わりたくないのに、ひとりではいたくないなんて我儘を、死霊術で叶えてしまったんです」


「だからって、どうして敵対するって?」


 アンナはにっこりと笑った。


「マイロ先輩が人間たちと敵対するんじゃありません。人間たちが、マイロ先輩を許さないんです。私欲のために死霊術を悪用する、忌まわしき死霊術師として」


「ま、待って、それこそおかしいよ。僕は私欲で、みんなに人間を襲わせたりするつもりは毛頭ない。だから、そんなことにはなりようが、」


「本当に気付きません? マイロ先輩の死霊術は、人間社会に浸透して、彼らを内側から切り崩せる恐ろしい力だって」


 まったく意味が分からず、僕は首を傾げた。


「普通ね、いないんですよ。死霊術で作ったリビングデッドと、信頼関係を築く人間なんて」


「え、まさか、そんな」


 死霊術師は、なにも僕ひとりじゃない。学院にも死霊術科の教授や学生がいたし、王宮でも官職を得て働いている死霊術師はいる。


 その誰ひとりとして、死者と信頼関係は築かないなんてこと、ある?


「い、いえ、それは確かに、そう、かもしれません」


 思いがけず同意したのは、ウリエラだった。


「だ、だって私も、そう思っていました。死霊術師は死者を責め苛むのを生業にする、恐ろしい魔術師だ、って。学院の人たちからも、そう教えていましたし」


「私もそう聞いてたなあ。死者と生者は交わってはならない、その摂理の淵にいるのが死霊術師だ、みたいな感じだったかな?」


 普段魔術師らしいことを言わないサーリャまで、そんなことを言う。


 でも、考えてみると。


「……そう言えば僕、同じ死霊術科の人とも全然話が合わないな、って思ってた」


 いままでずっと、僕が人付き合い苦手だから、だと思っていたのだけど。


「どうしたら死者と仲良くなれるかって聞いても、みんな変な顔されるばかりで」


「当然ですよ。死霊術が確立されたときに、魔術師たちは自分たちでそう流布したんです。死霊術は忌まわしい魔術だ、と。死霊術師たち自身も含めて」


「なんで? そんな教会の言い分みたいな話を、わざわざ自分たちで?」


「ちょっと考えてください。ウリエラさんも、ほかの皆さんも、リビングデッドになって、なにか不自由はありましたか?」


 不意に話を振られ、みんなが首を捻る。


「肉体的に成長が出来ない、くらいか?」


「首だけだったときは、ご飯食べるの大変だったけど……そのくらい?」


「え、ポラッカちゃん首だけだったときなんてあったの?」


「そういえばサーリャちゃんは、あのときのこと知らないんだっけ。わたし、ゴブリンに攫われてね」


「あ、あの、いまはそれよりも……リビングデッドになるデメリットがない、ということですか?」


 逸れそうになった話題をウリエラが修正すると、アンナは頷いた。


「その通りです。死霊術師と死者が信頼関係を築いてしまったら、人間は生きている意味がなくなってしまうんです。肉体の束縛を全く受けずに済むんですから。もしもそんな死霊術師が現れてしまったら。人間たちは、全力で排除しようとするでしょうね。人間社会の崩壊を防ぐために」


 極論だ。


 けれど、非現実的な極論ではない。僕自身、何度か思うことがあったじゃないか。死者でいる方が、生きた肉体で暮らすよりもずっと楽そうだ、って。


 もし仮に。リビングデッドとしての暮らしを、なんの見返りもなく与える死霊術師が現れてしまったら。


 僕はその、前例になりかねない。だから排除する。


 生きた人間が、喜んで飛びつきそうな極論だった。


「言いたいことは、わかったよ。それで、アンナは僕にどうしろって言うの?」


 ようやく本題に切り込める。


 僕が尋ねると、アンナは口の端を釣り上げて笑い、いたずらっぽくテーブルに頬杖をついて僕を見上げてきた。咄嗟に目を逸らしたけれど、紫の目に特段魔力は籠められていないようだった。


「まさしく、人間たちが恐れる通りのことをするんです。マイロ先輩、死者たちの王になってみませんか?」


 アンナが持ちかけてきたのは、そんなどこかで聞いたような提案だった。

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