第115話:吸血鬼との道行

 先の見通せない霧に包まれた迷宮は、僕の先行きそのもののようで、黙って歩いていると、否応もなく心細さを掻き立てられる。


 ここまでは、ウリエラやマズルカたちと、互いの死角を補い合いながら進んできた。彼女たちの存在は僕を支えてくれていたが、誰も先を見ることのできない道のりを、手探りで進んでいたことには変わりない。


 それに比べて、アンナの足取りは。


「こっちですよ、マイロ先輩。少し道幅が狭いですから、気を付けてくださいね」


 さながら自宅の庭を散歩でもしているように、これっぽっちも迷いや恐れを抱かず、分かれ道でも速度を落とすことなく進んで行く。


 それを頼もしいと感じてしまうのも、彼女の策略なんじゃないだろうか。


「うるさいですね、もう」


 事実として彼女は、法外に強い。


 たったいまも、水中から飛び出してきたサハギンを、爪のひと薙ぎで切り捨ててしまった。まともに戦って、どうにかなる相手では断じてない。


「いったい、どんな身体をしていればあんな芸当ができるんだ」


「肉体の魔力構築密度が高い、なんて言葉で済ませられる範囲じゃないよ、もう」


 並んで歩くマズルカと、呆れも込みの感嘆を漏らす。


「あれで生きてるんだから、冗談みたいな話だよ」


 吸血鬼は、他者の血を吸って生命力を得る、不老不死の生き物だ。


 『空白』によって歪んだ魂の持ち主で、死後も新しい肉体に宿って復活できるアンデッドであるものの、肉体を持って活動している間は、間違いなく生きている。


 つまり、成長するのだ。あの肉体も、セルマが話していた復活の際に得たもののはずで、ごく短期間であれだけの力を手に入れていることになる。


 それを可能にするのが、吸血ということなのだろう。


「絶対に敵に回しちゃダメな相手……なんだけど、ウリエラを連れだして不安を煽ったことは、怒ってるからね」


「マ、マイロ様、それは、私がマイロ様を信じきれていなかったせいなので」


「そんなこと言ったら、僕がちゃんとみんなと話してなかったせいでもあるけど、それを利用して人を唆すのは話が別だよ」


「唆すなんて、心外ですね」


 わざと聞こえるように言うと、先頭を進んでいたアンナが振り返った。


「私は単に、ウリエラさんの不安を解消してあげただけじゃないですか。それに、間違ったことは言っていませんよ。死霊術師にとって、死体は道具。ですよね?」


「それはそうかもしれないけど」


「えっ」


 ウリエラの、マズルカたちみんなの視線が僕に集まる。


「だから、そうじゃなくて! 言い方の問題! 確かに死体は道具だって思ってるけど、魂を入れる器としての道具だよ! そこに繋がってるみんなの魂のことまで道具だなんて、これっぽっちも考えてないからね! マズルカとしたよねこの話!?」


「そういえば言っていたな、そんなことも」


 僕にとって死体は、魂がこの世界に干渉するための道具でしかない。いや、もっと言えば、生きた肉体だって同じ役割のはずだ。


 にもかかわらず、肉体が魂を束縛するから、生きた人間は面倒なのだ。だから僕は、死体しか信じられない。


「死体相手じゃないと信頼関係築けないのも確かだけど、そんな僕でも一緒に来てくれるウリエラたちのこと、道具だなんて思ったことないからね!」


「は、はい!」


「なるほど、それがマイロ先輩たちの利害関係なんですね」


 そう言いながら、アンナは面白そうに僕たちを眺めまわす。またこの子は……!


「だから、利害関係とかじゃないって」


「いいえ、利害関係ですよ。一緒にいることで、精神的な利益がある。自分の心を満たすのに好都合。お互いにその利害が一致しているから、家族を形成できる。そうじゃありませんか?」


「ん、んん……」


 それは、間違っては、いない……?


「案外、まだ考え方が即物的ですね、マイロ先輩も」


「……いや違う! 納得しそうになったけど、それは僕の心持の話でしょ! 僕の目当てはウリエラの魔術だ、って吹き込んだの知ってるんだからね!」


「ああ、それは。ほら、他人の考えてることなんて、わかりませんから」


 目を細め、いたずらっぽくアンナは笑う。


 こいつ……。


「マイロ様、やっぱりあの人、邪悪です」


「僕もそう思う」


 邪悪な吸血鬼に頼らなきゃいけない自分が情けない。


「ひどい言われようですねえ。ま、否定しませんけど」


「で、そろそろ聞かせてよアンナ。その邪悪な吸血鬼が、なんで僕なんかに目を付けたの。やっぱり、グールの一件が原因?」


「おや、気付いてたんですね」


「そりゃあね」


 あの騒動の裏に死霊術師がいたことは、最初からわかってた。ただ、なにがしたかったのかは、さっぱりだけど。


「なにをするつもりだったのか知らないけど、邪魔された恨み?」


「ふふ。まあ、最初は腹が立ちましたよ。せっかくの私の楽しみを、横から掻っ攫われてしまったんですから。私もね、あの聖騎士をゾンビにするつもりでいたんです」


「……理由は?」


「決まってるじゃありませんか」


「……ッッ」


 肩越しに振り返ったアンナの表情は。


 いままでに見たことのない、酷薄な笑みを湛えていた。


「教会の聖騎士を、魂から苛め抜いてあげたかったんですよ」


 吸血鬼アンナターリエ。忌まわしき捕食者の顔は、瞬きの間に掻き消え、いたずらっぽいアンナの表情が戻ってくる。


「もちろん他にも目的はありましたけどね。でも、結果的にマイロ先輩の存在を知ることが出来たので、僥倖でした」


「……グールの件以外にも、理由があるの?」


「ええ。だってマイロ先輩は、面白いですから」


 この絡まれ方、なんか覚えがある気がする。


 一瞬考えて、すぐに誰だか思い出してしまった。


「クルトと似たようなこと言わないでよ」


「えー? ふふ、案外趣味が合うみたいですね、私とあの人は」


 参った。いままで脅威には感じても、隔意は感じなかったのだが。


 突然アンナに苦手意識を覚えそうになってしまった。

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