第114話:なにを求めて
反射的にアンナの手を払い、後ずさる。呼応するように、マズルカたちも警戒心も露わに身構えた。
「中途半端って、なにが」
「言葉通りの意味です。マイロ先輩は相変わらず、曖昧なままじゃないですか。マイロ先輩自身の望みについて」
僕の望みなんて、はっきりしている。ただ家族であるみんなと、誰にも脅かされない生活がしたい。それだけだ。僕らの居場所を手に入れる。そのためにこんなところまで来た。
そのどこが、曖昧だっていうのか。
「どうしてマイロ先輩は、ダンジョンに潜るんですか?」
「アンナのおかげで、僕たちは地上じゃ追われる身だ。簡単に足を踏み入れられない地下に潜るのは、自然なことだと思うけど」
「いつかは踏破されるとわかっている、冒険者で溢れた迷宮にですか?」
僕は、答えられなかった。
「違いますよ、マイロ先輩。確かにマイロ先輩は、安住の地を欲しているかもしれません。でも、ここに来たのは、安住の地自体が目当てではないはず。ですよね?」
まさか。僕にはそれ以上に望むもなんて、ない。ここに隠れてしまえば、地上よりも人目を逃れられる、から。
逃れる。
いつまで?
「マイロ、もうこれ以上は聞かない方がいい」
視線を遮るように、マズルカは僕とアンナの間に割って入る。
わかっている。彼女は危険だ。なにを考えているのかもいまだにわからないし、関わればきっと、ロクなことにはならない。
だけど。
「そのままじゃ、マイロ先輩はいつまで経っても追われ、脅かされる立場です。もう先輩は、ただ静かに暮らしていくだけ、なんてできません。だって先輩は弱いから」
ウリエラが明確に、殺気立った。
「マイロ様は、弱くなんてありません」
「すみませんウリエラさん。でも別に、貶すつもりで言ってるわけじゃないです。純粋な事実として、いまのままじゃマイロ先輩は、先輩を追う人々に勝てません。たとえウリエラさんの力があっても」
「そんな、ことは」
確かに、このままダンジョンに隠れていたって、いつかは限界が来る。
なにもそれは、戦いの話ばかりじゃない。実はそろそろ、食料も心許なくなってきている。この辺りは樹海ゾーンのように、食べられるものが豊富に手に入る場所でもないのだ。
その意味でも、僕は弱い。
杖を握り締めるウリエラの手に、そっと僕の手を添える。
「マイロ様?」
「待って、ウリエラ。アンナ、いま僕に催眠術使ってる?」
「いいえ?」
「おい、マイロ」
ウリエラたちも、不安そうな顔で僕を見る。
「わかってる、アンナは信用できない。でも僕たちはいま、確かに弱い。ついさっきだって、マズルカを失いそうになったばかりなんだ」
「……だとしても、こいつの口車に乗るつもりか?」
「人聞きが悪いですね。私はただ、助言しに来ただけのつもりだったんですが」
「よく言うよ。でも、そろそろなにを言いたいのか、わかってきた」
まっすぐに、アンナを見つめ返してやる。
「僕はこのダンジョンに、力を求めて来てる。そう言いたいんでしょ? でもそれなら、最初からそのつもりだよ。もっと僕自身も強くなって、みんなの足手まといにならないくらいには……」
「そこですよ、マイロ先輩」
人差し指を立て、アンナは僕の言葉を遮った。
「そんな中途半端な志じゃ、もう太刀打ちできないところまで来てしまっている、って言ってるんです。もっと明確な力が、マイロ先輩には必要なんです」
事実だった。
幾人かの冒険者程度なら、相手に出来るかもしれない。でも、僕らはどうしても、少数の個だ。数の力には、勝てない。
仮に僕が多少戦えるようになったところで、それは変わらない。
そこまで追い込む切っ掛けを作った、その張本人が、よくもまあぬけぬけと、とは思うけれど。
「……僕にも『空白』を植え付けるつもり?」
「まさか、そんな無粋なことはしません」
アンナは踵を返し、沼地の奥へと進んで行く。
「下の階の、安全な場所に行きませんか? もっとゆっくり腰を据えて、お話ししましょう。マイロ先輩は、どれほどの力を求めるべきなのか」
紫の髪が、ゆっくりと霧の中へと霞んでいく。追わなければ、すぐに見失ってしまうだろう。
「ど、どうするの、マイロくん」
「あの人、ぜんっぜんなに考えてるのかわかんないね」
不安げなサーリャ、不信そうなポラッカ。
「マイロ様……」
ウリエラを見る。赤い目が、心許なく僕を見上げる。前髪の間から。『空白』に触れた、黒銀の髪の間から。
「彼女について行ってみようと思う。直接的に危害をくわえるつもりはなさそうだし、聞きたいこともたくさんある。ウリエラの『空白』についても、わからないことだらけだし。どうかな」
「んんんんー……私は、まあ、いいけど」
「わたしも、いいよ。強くなる方法があるなら、気になるし」
サーリャとポラッカは少し考えた末に、了承した。ポラッカはマズルカの手を握って、耳を垂らしている。マズルカを失いかけた恐怖の名残が、まだ見て取れた。
「わ、私も、いいと思います。信用はできませんけど、『空白』については、もっと知らないといけないと思うので……」
ウリエラも杖を握り締めながら頷く。そう、アンナには、ウリエラを唆したことについても、言わなければいけないことがたくさんある。
最後にマズルカが、小さくため息をつきながら、ひとつ頷いた。アンナの背中は、もうほとんど見えなくなりかけていた。
「……わかった。だが危険だと思ったら、すぐに離れる。もしも様子がおかしいと思ったら、容赦なく殴るからな」
マズルカの恐ろしい宣言に、気を引き締める。アンナの催眠術にだけは、かからないようにしないと。
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