第111話:力の代償

 第30階層。


 霧に包まれた沼地の、最終地点。ここを抜ければ、僕もウリエラも足を踏み入れたことのない、本当の未知の世界が待ち受けている。


 当然モンスターたちも、行く手を阻むように、繰り返し攻撃を仕掛けてくる。


 だが。


「はッ!」


 マズルカが地面を蹴る。魔力が奔る。姿が霞む。


 高速で突き出された槍を掻い潜り、マズルカはまばたきの間にサハギンに肉薄している。勢いを殺さずに振るわれた爪を、サハギンは大きく飛び退いて回避した。


 横合いから槍が迫る。魔力が奔る。


 ぎゃっ、と悲鳴が上がる。


「させないよっ!」


 マズルカを襲おうとした別のサハギンの肩から、矢が生えていた。目にも止まらぬ速さで射られた、ポラッカの矢だ。


 怯んだサハギンに蹴りを入れ、マズルカは間合いを取り直す。三匹目のサハギンの槍が、虚しく空を切った。


 戦えている。


 身体強化の術式を刻んだマズルカとポラッカは、弱体化された三匹のサハギンを相手に互角以上に渡り合っている。サハギンも大したものだが、以前のように一方的に攻め立てられはしない。


 前衛が完全に、敵の機動を抑えている。そうなれば、僕たちは完全にフリーだ。


 サハギンが飛び掛かったマズルカを避けようとした、その瞬間を狙って。


「いまだ、サーリャ!」


「それ!」


 地面に手をついていたサーリャに合図を出す。ぎゃっ、と困惑の声が聞こえる。地中を進んでいたサーリャの根が、サハギンの足下を掬ったのだ。


 マズルカがその隙を見逃すはずもなく、爪の一撃が容赦なく首筋を切り裂いた。


 その背中に、残ったサハギンたちが狙いをつける。でも、もう勝負はついている。


「貫け!」


 ウリエラが杖を振えば、立ち込めた暗雲から雷が降り、サハギンたちの身体を打ち据え、引き裂き、焼き焦がす。それで終わりだ。


 周囲に動く影がなくなったのを確認し、マズルカとポラッカは構えを解いた。


「お疲れ様、みんな。もうサハギンたち相手なら、戦法も確立できた感じかな」


「ああ。奴らは素早いが、動きが直線的だ。速さに対応できてしまえば、たいした脅威ではないな」


「イエロージャケットとか狙うより、ずっと簡単だったね」


 二人とも頼もしいことこの上ない。


「か、身体の調子はどうですか?」


「すっごくいいよ! いままでより全然早く弓が引けるし、威力も上がったし!」


「アタシもだ。こうも如実に強くなったと実感できたことなんて、いままでなかったから、少し奇妙な心地だがな」


 ウリエラが訊ねると、二人とも嬉々として術式の使い心地を報告してくれる。


 マズルカもポラッカも、やはり感がいいのだろう。最初は戸惑っていたものの、すぐに術式の使い方や力の加減を覚え、戦闘で遺憾なくその力を振っている。


 おかげでこうして、安定してダンジョンを進めているので、僕らも万々歳。


 なのだが。


「ちょちょちょ、マズルカちゃん! 足、足!」


「む?」


 慌てたサーリャの声に視線を下ろすと、マズルカの太ももやふくらはぎが、真っ黒に染まってしまっている。マズルカだけじゃない、ポラッカの二の腕もだ。


「うわ、内出血だこれ。二人とも、修復するからちょっと座って」


「あ、ああ。まったく気づかなかったな……」


「わー……こんなになっちゃうんだねえ」


 幸い、肉が裂けたりしているわけではないようだ。前の戦闘までは異常がなかったように見えたのだが、術式の使用で内部にダメージが蓄積していたのだろう。


「や、やはり、限界以上に力を発揮してしまうので、反動があるみたいですね」


 白魔術のように、対象が持つ力を増幅しているわけではなく、外部の力で強引に出力を引き上げているのだ。使用者にかかる負担は、当然大きい。


「そうだね。普通なら痛みで力がセーブされるんだろうけど」


 彼女たちはゾンビだ。多少の傷は無視して戦えるように、痛みには鈍くなっている。目に見えない傷を負うと、発覚に時間がかかってしまうようだ。


 エンバーミングをかけて身体を修復すると、肌の色も元に戻っていく。とりあえず、直せる。いまは。


 だが根本的な身体能力を向上させない限り、いつかは限界が来るだろう。


「下手に使い過ぎると、修復不能、なんてことになりかねないから、気を付けてね」


「肝に銘じるが、使わないわけにもいくまい」


 もちろん、その通りだ。いまはこの術式で、騙し騙し戦っていくしかない。


「この階を抜けたら、またしばらくゆっくりと腰を落ち着けて、みんなを強くする研究をしたいな」


「はい……下に降りればまた、敵も強力になるでしょうし。それに、とにかく下ばかり目指して、宝箱を探してもいませんでしたね」


「言われてみれば。装備も強化しないといけないよなあ」


 ダンジョン探索は、進むたびに装備を強化していくのが基本だ。けれど僕らは、寄り道を全くせずに進んでしまったものだから、ダンジョンで入手できる武器や防具も、軒並みスルーしてしまっている。


「第30階層では、ちゃんと探索もしないとだね」


「下といえば、この下はどんな場所になるんだ? また様子が一変するんだろう?」


 マズルカの言う通り、沼地はこの第30階層で終わる。次はどんな光景が待ち受けているかと言えば……。


「城……らしいんだけど」


「城? ダンジョンの中にか?」


 マズルカが首を傾げるが、僕も噂話で聞いただけだ。どういう意味なのかは、いまいちわかっていない。暮らしやすいところならありがたい、と願うばかりだ。


 マズルカたちの修復を終え、そろそろ出発しようか、と立ち上がった矢先。


 ぴくぴくと、マズルカとポラッカの耳が動いた。よくない予兆だ。


「またなにか来る。デカいぞ!」


 ああもう、やっぱり!


 泥と水をまき散らしながら、沼の中から飛び出してきたそれを、なんと形容すればいいだろう。


 見た目は、カエルだ。あるいは目と前脚のない、巨大な口ばかりが目立つ、カエルになりそこなった奇怪なオタマジャクシ。胴と頭の区別もないようなずんぐりとした身体を、異常に発達した後ろ脚で持ち上げている。


 そして、デカい。ぼたぼたと泥を垂らしながら、僕らを睥睨するその巨躯は、牛を軽々と超えてしまう。サーリャの身長は僕の倍以上あるが、その巨大なカエルの上背もいい勝負だ。


「うげ、スワンプトード!」


 この沼地で一番の大物が、僕らの前に立ちふさがっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る