第110話:ジャンパー

 マズルカの身体には、たくさんの傷跡がある。


 僕たちに向けられている背中だけでも、傷だらけ、と形容するに相応しい有様だ。


 ゴブリンに付けられたもの、トオボエになる前のダイアウルフに付けられたもの、グールに付けられたもの、サハギンに付けられたもの。刺し傷に切り傷に、切断された腕を繋げた痕にと、数え上げればきりがない。


 以前、傷跡の目立ちにくい修復方法をアンナに教わったものの、それより前の傷は、どうしたって消えてはくれない。死霊術師は、腐敗を止めて傷を繕うことは出来ても、肉を再生することはできないのだ。


 傷を完全に消そうとするならば、皮膚を張り替えるしかない。問題は、その張り替えるための皮膚を、どこから調達するのか、ということだ。


 実を言えば皮膚に関しても、ひとつ考えていることがある。のだが、その話また別の機会にするとしよう。当の本人の皮膚を傷つけながらする話でもない。


 そう、僕たちはいま、マズルカの身体に新たな傷を刻んでいる。厳密には入れ墨を刺しているだけで、切り刻んだりしているわけではないが、まあ傷つけていることには変わりない。


「ど、どうですか、マズルカさん。なにか違和感とかありますか?」


「いや、痛覚はほとんど切られているし、つつかれているくらいの感触だ」


 実際に入れ墨を刺しているのは、ウリエラだ。


 二人で考案した術式を肉体に定着させるため、掘っ立て小屋の前で、上半身をはだけたマズルカの背中に刻み込んでいる。


 僕は、ポラッカやサーリャと一緒に、その様子を後ろから眺めている。


「そういえばおねえちゃんは、隷属の刻印が残ったままなんだね」


「ああ、もう効果は失くなっていたからな。いまさら大して気にもならなかった」


 ポラッカの目が、ちらりと僕を見る。うん、できればそれも、消してあげたい。


 やっぱり今度、その話もしよう。そう決めながらポラッカに頷き返していると、ウリエラが手を止め、マズルカの背中を拭った。


「はい、出来ました」


「いまさら確認するのも野暮だが、本当に大丈夫なんだろうな?」


 鎧を着けながら、マズルカは疑わし気に僕とウリエラを見る。心配されるのは致し方ない。誰だって身体に電気を流す、なんて言われたら不安にもなるだろう。たとえ死体だとしても。


 だが、僕とウリエラの術式に問題はない。はず。サハギンの死体とにらめっこしながら、丸一日使って組み上げたのだ。


「大丈夫、電気は火傷もしない程度のものだし、それ以上の威力は出ないように、制限をかけてあるから」


「信じるからな……」


 あんまり信じてない目だ。


「す、少しテストしてみていただいてもよろしいですか? まず、普通にジャンプしていただいて、それから、術式を起動して同じようにジャンプしてください」


「わかった。とにかく試してみよう」


 ウリエラに指示され、マズルカは手足を回しながら立ち上がる。


 それから、跳んだ。僕なんかとは、いや、彼女は獣人だけあって、普通の人間とは比べ物にならない跳躍力だ。軽く跳ねただけで、僕の身長よりも高く身体を打ち上げてしまう。


 難なく着地して、脚の具合を確かめている。


「うむ、特段普段と変わりはないな」


「では次は、背中の術式に、魔力を送り込むことをイメージして跳んでみてください」


「アタシは魔術の素養はさっぱりなんだが……まあいい、やってみる」


 マズルカは目を瞑り、静かに息をする。ウリエラの言ったイメージを、脳裏に描いているのだろう。果たしてどうだろう、起動できるだろうか。


「ふっ!」


 再び跳ねた。だが、さっきと変わっていない。魔力が動いた気配もない。


「変わってないね」


「さすがに、魔術を習ったことない人には、難しいんじゃないかなあ」


「うーん……」


 やはりサーリャの場合は、曲がりなりにも魔術師として教育を受けていたから、ウリエラの夜が使えただけなのだろうか。


「いっそ隷属の刻印のように、勝手に発動するようにはできないのか?」


「そ、そうしてしまうと、力加減をマズルカさん自身も制御できなくなってしまう恐れがあるので……」


「戦闘中に使うことを考えると、意図せず発動することは避けたいからね」


「しかし、使えなければ意味がないぞ」


 ごもっともだ。


 どうにか、魔力を循環させるイメージを掴んでもらえないだろうか。


 掘っ立て小屋の前で、みんなで揃って頭を捻る。


「そもそも魔力は、あらゆる物質と力の根源要素ですから、マズルカさんほどの戦士であれば、無意識にでも運用しているはずですが……」


 熟練の戦士の肉体は高密度の魔力で構築され、それが増幅器となって力を解き放ち、高威力の攻撃を繰り出すという。格闘家などは『気』だとか呼ぶそうだが、おそらく魔術師が使うのと同じ、体内を循環する魔力だと考えられている。


 それならばウリエラの言う通り、多少なりとも魔力を動かしているはずだ。


「マズルカは攻撃するとき、どんなイメージで身体を動かしてるの?」


「そうだな……呼吸を整え、体を巡るエネルギーをへその下に集める。殴りかかるなら、その力を踏み込む足から、一気に拳に動かしてぶつける感じ、だろうか」


「それだ! 同じ力を、背中に動かすように意識してみて!」


「う、うむ」


 マズルカはやや戸惑いながら、手足を回し、軽く二、三度爪先で跳ねる。


 そして、膝を屈め、


 術式が、走る。


「うおっ!?」


「わっ!?」


「すごっ!」


 マズルカが、跳びあがった。高く、高く。掘っ立て小屋を優に跳び越え、一番巨大化しているサーリャの倍近くまで、身体が打ちあがっている。


「ぬうっ!?」


 思いがけぬ跳躍にバランスを崩しかけたマズルカだが、さすがの反射神経だ、咄嗟に体勢を整え、地面を揺らしそうな勢いで着地した。


「やったマズルカ、できたよ!」


「すごいすごい! おねえちゃん、飛んでるみたいだった!」


「めちゃめちゃ跳んでたじゃん! え、怖くない?」


「ど、どうですか!? 足や身体に異常はありませんか!?」


「お、落ち着け! ちょっと待ってくれ!」


 思わずみんなで駆け寄ってしまい、マズルカはたじたじになりながら、身体の具合を確かめている。


「異常はない、と思う。特に電気が走ったような感覚もなかったが、脚力が急に何倍にもなったような感じだった……ただ、使いこなすには練習が必要だな」


「身体能力が文字通り、跳ね上がったんだもんね。もうしばらくここで慣らしてから、下に進むことにしようか。ただ、微量とはいえ電気も使ってるし、強引に力を引き出して筋肉はダメージを受けてると思う。術式を使ったあとは、必ず僕に身体を診せるようにしてね」


「ああ、わかった。見える世界が変わりそうだな、これは」


「おにいちゃん、わたしも! わたしにも使わせて!」


 ポラッカに腕を掴んでせがまれる。昨日まで実験台とか言って疑ってたっていうのに、現金なものだ。


「や、やった……やりましたね、成功ですマイロ様! まさか、黒魔術でゾンビを強化できるなんて!」


 ウリエラも目を輝かせ、全身で喜んでくれている。


「あは、ウリエラのおかげだよ。これでまたひとつ、僕らの居場所を作るための力が手に入ったんだ。ありがとう、本当に」


「い、いえ、そんな……!」


「うんうん。二人でずっと、頑張ってたもんね」


 顔を俯かせて謙遜するウリエラに、サーリャがそそそっと寄ってきた。なんだろう、なんだか嫌な予感がする。


「で、どうだった、ウリエラちゃん? マイロくんに抱いてもらって」


「へぇぁ!?」


「い!? サーリャ、なんでそれを……」


「だって私の胎の中でシてるんだもん! わかっちゃうよお。次は、私のことも可愛がってね、マイロくん」


 そうだった。あの掘っ立て小屋は、サーリャそのものなのだ。中でなにか動きがあれば、わかるに決まっている。


「ぁ、うあぁうぁう……」


 ウリエラはローブのフードを被って、小さく縮こまってしまう。僕もしばらく、みんなの顔を見ることができなかった。

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