第107話:水辺の魔物たち

 水中から跳躍し、僕らの前に立ちはだかった三つの影は、シルエットについて言えば人間に似ていた。


 だが、人間ではあり得ない。体表を覆ううろこ。前腕やふくらはぎ、顎や頭頂部のひれ。首筋のエラ。三叉槍を握る手には水かき。


「サハギンだ!」


 魚と人を混ぜ合わせたような亜人は、ダンジョンの外でも見かける種族だ。ゴブリンほど好戦的ではなく、中には人間と取引をするものもいる。


 だが、ダンジョンの中では、すべからく敵だ。


「マズルカ、下がって!」


「わかってる、だが……!」


 サハギンの一匹が素早くマズルカに肉薄すると、三叉槍を立て続けに突き入れてくる。マズルカも咄嗟にバグ・ナウを構えるが、急所を守るのがやっとだ。


 リーチも早さも、サハギンに分がある。後退する暇さえない。


「おねえちゃん!」


 ポラッカがマズルカを襲うサハギンに弓を引くが、その矢は間に割り込んだ別のサハギンに防がれる。


「もう、この! 避けるなあっ!」


 サーリャも腕を根にして振うが、大振りな攻撃はサハギンの敏捷さに追いつけていない。回避に無頓着だった竜牙兵とは、わけが違う。


 マズい。このままだと、すり抜けられる。


「ポラッカ、弓で脇の二匹を足止めして!」


「わ、わかった! けど、おねえちゃんは!?」


「こっちで助ける! サーリャは攻撃を止めて! ウリエラ!」


「え、えぇ!?」


「はい!」


 ウリエラはすぐに術式を走らせ始める。ポラッカは直射と曲射を織り交ぜ、絶え間ない射撃で、こちらに接近しようとする二匹の進路を、どうにか塞ごうとする。


 足りない。サハギンたちはポラッカの矢を躱しながら、跳ねるように迫ってくる。


 片方でも僕らに接近を許してしまえば、一気に崩壊する。


「ど、どうするのマイロくん!?」


「落ち着いてサーリャ、弱体化させるんだ!」


「弱体化……やってみる!」


 彼女は白魔術師だ。傷を塞ぐ治癒や、肉体を活性化させる身体強化の魔術は、リビングデッドには効果がない。だが、その逆ならば。


 サーリャも遅れて、術式を走らせ始める。


 複雑な術式ではない。すぐに魔力が奔りだす。


「鈍れ、鈍れ! 泥の中でもがくように!」


 途端に、目前まで迫っていたサハギンたちの動きが、精彩を欠く。野生動物のように駆け回り、俊敏に動いていた影が、重りを付けたように鈍重なものになる。


「できた、できたよ!」


「いいよサーリャ! ポラッカ!」


「うん!」


 足を鈍らされたサハギンなど、ポラッカのいい的に過ぎない。


 先ほどまで、目にも止まらぬ機敏さで矢を避けていたサハギンたちは、一変して足を止め、槍で払い落とすことに必死になっていた。ぎゃあぎゃあと、金切り声で焦ったように喚いている。


 マズルカは。


「おねえちゃん!」


 悲鳴のようなポラッカの声。


 動きが、止まっていた。マズルカも、相手のサハギンも。マズルカの胴に、三叉槍が突き刺さっている。


 マズルカの顔が、こちらに振り返った。


「捕まえたぞ、ウリエラ!」


 空が陰る。岩を転がすような、腹に響く低音が聞こえる。深い霧の中で、どこからともなく湧き出た暗雲が、サハギンたちの上に立ち込めている。


「貫け」


 視界が、霧のそれとは違う白に染まった。轟音。地面が揺れる。


「がッ!?」


「うわっ!」


 暗雲から降り注いだ雷撃がサハギンたちを打ち据え、体内を致命的に破壊すると同時。マズルカの身体が後方に吹き飛び、僕に激突してきた。到底受け止められず、二人して地面を転がっていく。


「わ、わ、マイロくん!」


 伸びてきた根っこが、僕らの身体を止めてくれる。


「だ、大丈夫?」


「あ、危なかった……ありがとう、サーリャ」


 振り返ると、沼がすぐ後ろに待ち構えている。危うく、頭から沼の中に突っ込むところだった。


「も、申し訳ありません、マイロ様、マズルカさん!」


「おねえちゃん、平気!?」


「ど、どうにかな……連中はどうした?」


 雷に打たれ、そのまま沼に落ちたのだろう。三匹のサハギンの身体が、濁った水の中にずぶずぶと沈んで行くのが、ちらりと見えた。


 どうにか勝てた。僕らは揃って、深く息を吐いた。



「やっぱり、いままで通りってわけにはいかないね」


 サハギンたちとの戦闘を終え、僕らは土手道の真ん中に腰を下ろし、一息入れることにした。あわせて、先ほどまでの戦いの反省会だ。


「アタシは防戦一方だった。それも一匹相手にだ。囲まれてたら、ひとたまりもなかっただろうな」


「わたしの矢も、最初はほとんど意味がなかった。サーリャちゃんがいなかったら、危なかったね」


 前にいた階層までであれば、マズルカは複数の敵を相手に、いっそ優勢で立ち回ることも出来た。もちろん、トオボエの力も含めて。ポラッカにしても、相手の急所を狙って矢を当てることさえ可能だった。


 でももう、そうはいかない。


 逆に、これまで以上の成果を上げているものもいる。


「わたしは、白魔術で活躍できたの、はじめてかも……」


「僕も、正直あそこまで効果があるとは思わなかったよ」


 彼女の筋力低下の魔術は、非常識なほどの効力を発揮した。それもそのはずだ、サーリャは全身が、超強力な魔術師の杖なのだから。


 そう考えるとサーリャは、身体の強さと、本来活躍するフィールドがちぐはぐな状態なのだ。確かにサーリャは強力な攻撃が繰り出せるし、本人もトレントの力で戦う気満々でいた。


 しかしはっきり言って、サーリャに白兵戦のセンスは、ない。ならば、むしろサポート役に徹してもらった方がうまく回る。


「次からは戦闘になったら、まずサーリャが白魔術で相手を弱体化。それから全員で敵の進路を塞いで、ウリエラが強力な魔術で叩く、って形にするのがいいかな?」


「ああ、そうだな。もうアタシが先陣を切るのは難しそうだ」


「はーい。でもウリエラおねえちゃん、少し魔術使うの遅くなった?」


 ポラッカが首を傾げる。それは、僕も感じていた。


「も、申し訳ありません、どうしてもいままでよりも、術式を組み立てるのに時間がかかってしまうみたいで……」


「やっぱり、『空白』の影響?」


「はい……なんと言えばいいのか、ぐちゃぐちゃになっている力を、一方向に纏めるのが難しい、というか。た、たぶん、どの術式でもそうなってしまうと思います」


 なるほど。


 『空白』に触れたウリエラの魔術は、ひと際強い力を発揮できるようになった。その代わり、発動までに要する時間が増えてしまった、ということだ。


「わかった。なら、みんなもそのつもりで動こう」


「すみません……できるだけ早く、使いこなせるようになりますから」


「構わないさ。アタシたちも、ウリエラひとりに活躍の場を取られずに済むからな」


 冗談めかして笑うマズルカに、ポラッカやサーリャも笑顔で頷く。ウリエラは、少し困ったように、けれど嬉しそうにはにかんで俯いた。


「ところでマズルカ、身体の調子はどう?」


 先の戦闘で負った傷を塞いでからというもの、マズルカは手を握って開いて、肩や首を回して、を繰り返している。


「ああ、問題はないが……さっきのはなんだったんだ」


「たぶんだけど、槍で繋がった状態のサハギンが雷撃を受けて、マズルカまで感電しちゃったんだと思う」


 彼女のおなかに出来ていた槍の傷は、周りが少し焼け焦げていた。幸い電撃はほとんど地面に逃げたのか、衝撃で吹き飛ばされる程度で済んだようだが。


「か、重ね重ね、申し訳ありません……」


「いやあ、しょうがないよ。あそこからウリエラが術式を変えるのは無理だもの。サハギンは水に属する亜人だから、雷の魔術を使うのは定石だしね」


「アタシの不注意だな。もう槍を掴んで押さえつけるのはやめる。しかし……」


 マズルカは怪訝な顔をしながら、手のひらを見つめて首を捻っている。


「どうかしたの?」


「いや、気のせいかもしれないんだが……妙に身体が軽い気がするんだ」


 はて。どういうことだろう。疑問に首を傾げそうになった僕の頭に、なにかが過る。それこそ、電気が走ったようなひらめきだった。

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