第四章
第105話:新たな出発
バルバラ商会で起きた騒動で、僕を取り巻く環境は大きく変わった。
商会の会館を襲撃し、ロドムを殺害。結果として、ガストニアの市場に大きな混乱をもたらすことになるであろう僕は、もう大手を振って街を歩くことは出来ない。
早晩、冒険者ギルドには僕の人相書きを添えた手配書が張り出され、冒険者たちは僕を見つけようものなら、問答無用で襲い掛かってくるようになるだろう。まあ、賞金がいくらか次第ではあるが、事の大きさを思えば、そう安くはないはずだ。
こればっかりはもう、弁明のしようもない。ウリエラをきちんと制御できなかった、僕の落ち度だ。死霊術師として、彼女たちの主としての僕の失態なのだ。
けれど、ちょっと笑ってしまう。
忌まわしき邪悪な死霊術師。日頃人々から囁かれていた陰口が、現実のものになってしまうとは。同輩の肩身を狭くしてしまうことには、少し申し訳なさがあるが。
いずれにしろ。
ウリエラに責任を負わせるつもりも、僕自身が出頭して裁かれるつもりも、毛頭ありはしない。僕は僕の家族と、僕の居場所を作る。たとえ世界から後ろ指を指されたとしても。
これで晴れて僕は、人間社会のどこにも居場所がなくなったわけだ。ダンジョンと地上を行き来して、身の置き所も曖昧なまま続けていた生活も、これで終わりだ。
今度こそ、ダンジョンに引きこもろう。
マイロ兄さんの家の地下室で、僕はみんなの顔を順番に見る。
「じゃあみんな、準備はいい?」
ウリエラも、マズルカも、ポラッカも、サーリャも頷く。見送りに来てくれた兄さんは、一歩引いたところで僕らを眺めている。
「ウリエラ、お願い」
「はい。では転移門を開きますね」
『空白』と接続してから、ウリエラの黒魔術師としての能力は、ちょっと人知を超えたものになっている。
転移の魔術は通常、二つの地点に刻んだ術式同士を繋ぐことで、道を開く魔術だ。それぞれの地点に事前に足を運び、個別に術式を刻む必要がある。それに、術式の接続先を変えることも出来ない。
便利だが、手間と制約の多い魔術なのだ。
それもひとえに、『言葉』がそう定めているからだ。地に足を付けて移動することが原則であり、なにもない空間に穴を開けることは出来ない。『言葉』は世界をそう定めている。
にもかかわらず。
「で、出来ました」
振り返るウリエラの前に、転移門が開いている。地下室の石壁にぽっかりと穴が開き、その向こうに、鬱蒼とした森の木々が見えている。決して枯れることのない木々。超常の樹海。
僕らが暮らしていた、ダンジョンの第13階層の、あの広場の風景だ。
「便利なもんだね。どこにでも繋げられるのか?」
「い、いえ、どこにでもというわけでは。私が実際に訪れたことのある場所だけ、ですから。普通の転移門より開くのに時間がかかりますし、一度通ると、最初から開きなおさないといけないですし」
ウリエラはそう謙遜しているし、他の皆もぴんと来ていないようだが、これは完全に摂理を無視した魔術だ。アンナが使っていたのと同じ、『空白』由来の能力。
『空白』。『言葉』の摂理から外れた力。教会が邪悪だと認定する歪み。
僕自身は、使える力ならなんだって使う所存だが、『空白』が魂にどんな影響を及ぼすのか、判然としない以上、多用は避けたい。しかし逃亡者になったいま、背に腹は代えられないのも事実だった。
「ありがとう、ウリエラ。うん、誰もいないし、来てないみたいだね」
転移門に頭だけ入れて見回すと、広場は僕らが出発したときのままで、荒らされた様子もなかった。入り口にトレントゾンビを置いたままにしてあったのが、功を奏したのかもしれない。
「じゃあ兄さん、またね」
「うん! 元気でねー」
手を振る兄さんに手を振り返し、僕は転移門を潜る。続いてマズルカ、ポラッカ、サーリャ。最後にウリエラが、兄さんに頭を下げてから潜ると、転移門は術式を残すこともなく消え去った。
いつか、また会えるだろうか。安住の地を作り上げることが出来たら、兄さんも呼べるだろうか。
その日のためにも、まずは次の居場所へ旅立つ準備をしなければ。
「よし、手早く荷物をまとめて、出発しよう。ここもいつ人が来るかわからない」
ここに来たのは、置いて行かざるを得なかった生活用品の回収のためだ。
僕らの家であったサーリャの身体は、トレントの木材が主体だ。それ以外のものを吸収することは出来ない。広場には、土台や竈に暖炉、煙突、鉄の鍋やマットレスなど、サーリャが取り込めなかったものが放置されている。
中には、僕やウリエラの書物や、モンスターから回収した試料なども含まれている。
ここから居を移すために、必要最低限の荷物を選別しなければならなかった。
「毛布に、調理器具……それに着替え。書物や試料は、ほとんど持っていけなさそうだなあ」
「す、すみません、もう少し力の使い方が分かれば、亜空間にものを収納することも出来そうなんですけれど……」
なんと、そんな能力も使えるらしい。
「いまはこうやって、人目に付かないように行き来できるだけで充分だよ。転移門だって、リスクがないわけじゃないしね」
そう、『空白』由来であれ、転移門は追跡が可能だ。ヘレッタにそれが出来た以上、他にもそれができる人間はいると考えるべきだろう。
それの心配さえなければ、どこかに倉庫を設け、必要に応じて転移門で行き来するという手もあったのだが。いままでのように、固定した場所で転移門を開くことは、やめた方が賢明だろう。
「は、はい。でも、必ずこの力を、もっと使いこなしてみせますから」
「ありがとう、期待してる。でも、出来なくっても落ち込まないでね。そのときは一緒に、違う方法を考えよう」
「はい……はい!」
ウリエラが、笑ってくれる。いままでよりも、少し明るい笑顔に見えた。
「うーん、マイロくん、お肉とかどうしようか?」
そう言えば、近いうちに使うつもりで、エンバーミングで腐らないようにしていた生肉もあるんだった。けれど、もう術式も切れてしまっている。
「燻製しておいた肉と、あとは日持ちする根菜とかだけ持って行こうか」
「はーい。あ、重たい荷物は私に任せてね!」
「頼りにしてるよ、ほんとに」
鼻を膨らませて力こぶを作るサーリャは、身体が大きいだけではなく、とんでもない力の持ち主だ。大きめの調理器具なんかも、ひとまとめにすれば持っていけるかもしれない。
あとは。
忘れ物はないかと、広場の中を見回す。
マズルカとポラッカが、並んで花壇の前に立っていた。ああ、あそこは。
「……お花、トオボエと一緒に見たかったな」
「ああ……そうだな」
二人の横に並んで立つ。土の上に顔を出していた芽が、どれも萎れてしまっていた。数日留守にして、水をやることも出来なかったのだから、仕方がない。
でも、ここを楽しみにしていた僕らの家族は、確かにいたんだ。
「申し訳ありません……私があの子を、ブラムを殺したりしなければ」
ウリエラが、俯きながら並ぶ。
ウリエラは手段を誤ったけれど、僕らとトオボエを引き合わせてくれた。
「ううん、トオボエと過ごせて楽しかったのは確かだもん。それに、わたしが外に連れて行かなかったら、あの子も思い出さなかったかもしれないし」
「それにアタシたちは、何度もトオボエに助けられた。あの子がいなければ、いまもこうしてはいられなかっただろう。結果論だが、否定はできない」
ポラッカは、トオボエと一番仲が良かった。マズルカは、トオボエを一番熱心に鍛えていた。
「やっぱり、居なくなっちゃうと寂しいね」
サーリャも、隣に立つ。彼女もなんだかんだ、トオボエとよく遊んでいた。
それぞれに、思い出を持っている。望まぬうちに加わってしまった、偽りの家族だったかもしれないけれど、僕らは確かに、ここで一緒に暮らしていた。
「ブラムは去ったけれど、トオボエは僕らの家族だった。それだけ、覚えておこう」
ここはトオボエと過ごした、思い出の場所になる。僕らはここを離れるけれど、またきっと、思い出すこともあるだろう。
五人で肩を寄せ合って、一番元気だった家族へ、少しだけ思いを馳せた。
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