第104話:勇者クルト(1)
遊ばれている。
燃え盛る炎に照らされて剣を振いながら、クルトは確信していた。
クルトが振り下ろす長剣を、ダグバの叩きつける戦斧を、アンナターリエはくるりくるりと、踊るように身を翻して躱す。そのしぐさはいっそ優雅ですらある。
「ッ!」
気まぐれに振われた爪に、咄嗟に盾を掲げる。掬い上げるような一撃は、それだけで腕ごともぎ取られそうな鋭さだ。
歯を食いしばって堪え、左腕を横薙ぎに振るう。跳ねるように下がったアンナターリエに、叩きつけようとした盾は空を切る。
まただ。
クルトの盾は、ガストニアの防具屋で購入した既製品で、シナノキを鉄板で補強したありふれた丸盾だ。セルマに防護の祝福をかけてもらっているとはいえ、そう何度もアンナターリエの爪を防ぎきれるとは思えない。
そんな見込みと裏腹に、もう何度彼女に爪を振われただろうか。
手を抜かれている。数合の渡り合いの末、クルトはそう確信していた。
ふい、と、アンナターリエがダグバを避け、横に動く。クルトはその後を追った。
「やばっ、クルトッ!」
ダナの悲鳴。
「がッ!?」
衝撃が、背後から襲ってきた。右肩を殴られたように、身体が傾いだ。鋭く焼けるような激痛。思わず肩を見る。矢じりが、肩口から顔を覗かせている。
「ちょっと失礼しますね」
しまった。アンナターリエから目を離してしまった。
アンナターリエは、クルトに抱き着くように身を寄せる。なにを。思わず胸元見たが、深く暗い影に覆われ、吸血鬼の姿は見えなかった。背後から差す極光が、クルトの前に強烈な影を落としていた。
セルマの祝福の光だ。
「ごぁッ!」
理解より先に、鈍器で殴られたような衝撃が腹部に走り、クルトは背中から地面に倒れこんだ。
「クルト!」
「クルト様!」
仲間たちの悲鳴が聞こえる。アンナターリエは?
「思ったほど成長していませんね、クルト」
いた。
クルトたちから十歩ほど先。
アンナターリエは炎を背負い、慈愛と落胆を孕んだ、さながら出来の悪い子を見る親のような顔で、クルトを見つめている。小柄な少女の姿だというのに、遥か高みから見下ろされているような、そんな心地だった。
剣を握り締めて立ち上がろうとして、失敗した。激痛が走る。まずい、右手に力が入らない。
「アンナターリエ……! どういうつもりだ、なぜ人を玩ぶような真似をする!」
「弄ばれている人にそう言われるのは、少し面白いですね。いえ、ふふ、すみません。私は期待しているんです、あなたがどれほどの強者に育ってくれるのか」
「ふざけるな!」
震える膝を抑え込んで立ち上がり、盾を落とし、剣を左手に持ち替える。左手で剣を振る練習など、一度もしていない。だが、四の五の言ってる場合ではない。ようやくアンナターリエと、再びまみえることが出来たのだ。逃がすわけにはいかない。
「クルト」
ダグバが寄り添うように、傍らに立つ。いつも頼もしい気配が、このときばかりは、畏怖に震えているように思えた。
「下がるぞ」
「な、ダグバ!?」
「無理だ」
ダグバはいつだって、勇猛果敢だった。物静かで優しいが、ひとたび戦斧を振えば、立ちふさがるものをすべて切り払う。
その瞳に、死が映っている。
「どうやら、お仲間たちの方が冷静なようですね。どうします? まだ続けます?」
「クルト! ここは退きますよ!」
「クルト!」
クルトは歯を噛み鳴らした。この機会を逃せば、また。
「ダメだ、俺は行けない」
「クルト……」
「みんなは逃げてくれ。俺は、こいつを放っておけない。またこいつに苦しめられる人が出るかもしれないっていうのに、みすみす引き下がれない!」
一歩踏み出す。それだけで肩と腹が痛み、膝から崩れそうになる。大丈夫だ、堪えられる。あの痛みに比べれば、こんなもの。
場違いな拍手が、クルトを迎えた。
「はい、正解。百点満点の模範解答ですね、クルト。さすが勇者の血を引くもの」
「なにを……!」
手を打ち鳴らしながら、しかしその表情は、ひどく退屈そうであった。
「でもそれじゃ、ダメなんですよ。それじゃ英雄どまりで、勇者にはなれません」
ふざけるな。
「俺は、勇者になんて、なりたいわけじゃない!」
「クルト、よせ!」
制止も聞かず、クルトは駆けた。アンナターリエを討つ。それがクルトに課せられた使命だ。クルトには、それを反故にするような真似はできなかった。
「いいえ」
アンナターリエの顔が、目の前にあった。
「あなたには、勇者になってもらわなければなりません」
クルトの意識は、闇へ落ちていった。
◆
「くあッ!?」
不意に意識が浮上し、クルトは飛び起きる。
「あ、起きた」
飲み込めない状況に、周囲を見回す。ヘレッタと、ダナと、セルマの顔。がたがたと揺れる板張りの床。幌で覆われた天井。外から差し込む光が明るい。
「ここは」
「農場へ行くのに使っていた、馬車の中です。クルト、あなたはアンナターリエに意識を刈り取られました」
ヘレッタの言葉に、記憶が戻ってくる。滑るように接近してきたアンナターリエが、片手でクルトの首を絞め落としたのだ。赤ん坊の手を捻り上げるよりも簡単に。
幌の隙間から覗くと、御者台にダグバが座っている。馬は、農場から調達したのだろうか。
それよりも。
「俺はまた、負けたのか……」
「ごめんねクルト。私の矢が当たっちゃって」
「ああ、いや」
ダナに言われて肩を見れば、鎧の下着に穴が開いている。傷はない。ヘレッタが癒してくれたのだろう。
「気にしないでくれ。手玉に取られるほど、俺が弱かったんだ」
ガストニアに来て、ダンジョンに潜るようになり、いままでよりもずっと強くなったと思っていた。
けれど、あの吸血鬼からすれば。アンナターリエからすれば、赤子の一歩に過ぎなかったのだろう。あまりにも歴然とした、実力差だった。
「そういえば、俺が倒された後、どうなったんだ?」
「アンナターリエは、すぐに姿を消しました。ただ、ダンジョンの奥で待つ、とだけ言い残して」
「だからまた、みんなでガストニアに戻ってるところ。もうすぐ着くはずだよ」
「そうか……」
結局はまた、いままでの追跡行に逆戻りというわけだ。あわよくば、ここで終わらせられるかもしれないと、わずかに期待していたのに。
「クルト様」
セルマがそっと、クルトの手を取る。温かい手に包まれ、クルトの頬に血の色が戻った。
「セルマ?」
「クルト様の勇気と優しさは、よく存じております。それこそがクルト様の強さだとも、わたくしは理解しているつもりです」
セルマは祈るように、クルトの手を両手で包み込む。
「ですが、どうか蛮勇だけは振るわないでくださいませ。あなた様は、勇者になられるお方です。わたくしはそう信じております」
それは、信仰にも近しい信奉だった。
「……セルマ、前にも言ったけど、俺はそんな器じゃない」
「いいえ! あなた様にはその資質があります! 決して血筋の話ではありません、わたくしは」
「やめてくれ!」
手を振り払う。
「俺は!」
セルマを見た。瞠った目に涙を浮かべ、クルトを見つめていた。クルトは、言葉を飲み込んだ。
「突然大声を上げないでください、クルト。セルマも、みな疲れていますから、そう言い募るものじゃありません」
「……すまん」
「いえ、わたくしが悪いのです……」
沈黙が、馬車の中を支配する。
馬車の揺れとは無関係に、ダナのしっぽが、ゆらゆらと揺れていた。
「あーもう! ダメ!」
「ダ、ダナ?」
「やめよやめよこういう空気! 私らはみんな弱かった、だからアンナターリエにちっとも歯が立たなかった! それだけでしょ!」
事実だけが、ダナの言葉には並んでいた。
「誰が悪いとか、気持ちの問題とか、そういうのは勝ってから考えんの! 私らは弱い! だったらどうすればいいの!?」
「強くなるしかありませんね」
即座にヘレッタが答え、ダナは満足そうに頷いた。
「なんか異論ある!?」
クルトもセルマも、ただ首を横に振るしかなかった。それから、揃って笑いだす。確かに、いまはそれしかない。余計なことを考えていられるほど、自分たちは強くないのだから。
「それにさ、私らはとりあえずみんな無事だからいいけど、マイロたちがどうなったかも心配じゃん?」
先ほどとは違う沈黙が下りた。そうだ、自分たちだけの問題ではない。
「マイロたちも、何事もなければいいんだが」
「信じましょう。マイロ様は非情ではありますが、心根は優しい方だと信じています。きっとウリエラ様を宥めて、罪と向き合ってくださいます」
「非情っていうか、非常識っていうか」
人間嫌いの死霊術師に思いを馳せているうち、馬車はガストニアの街に到着し、荷台の揺れも穏やかなものになる。
だが不意に、その車輪が止まった。
「おい」
「どうしたんだ?」
ダグバに呼びかけられ、クルトは幌から顔を出す。そして、顔を顰めた。
馬車が停まっているのは、要塞めいた大きな館の前だった。確か、バルバラ商会の会館だと、クルトは記憶している。
館の周りは、負傷者で溢れていた。館の警備に当たっていた衛兵や、冒険者。誰もが疲れ切った様子で道端に座り込み、その間を白魔術師が行き来している。中には道に横たえられ、布をかけられた死者の姿もあった。
「なんだ、これ。なにがあったんだ」
クルトは馬車を飛び降り、門の中に駆けこんだ。
館の敷地内は、いっそうひどい有様だった。そこら中に死者と負傷者があふれかえり、館の一部は焼け落ちている。まるで戦場のような様相だ。街中の、商会の会館だというのに。
「いったいなにがあったんだ、誰がこんなことを!?」
クルトは、手近な負傷者に駆け寄り、半ば予感を抱きながら問いかけた。
負傷者は女だった。理知的な相貌に、日々の入った眼鏡をかけている。クルトは知らなかったが、その女は、バルバラ商会会長の秘書を務める女だった。
「……マイロ」
「まさか」
「死霊術師マイロ。あいつが、会館を襲い、ロドム様を殺して逃げたのです」
それは、クルトたちが想像しうる限り、最悪の結末だった。
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