第101話:死霊術師マイロ

 ガストニアの外れに位置する集合墓地。その墓守の家で育ったマイロにとって、物心ついた頃から、墓所は遊び場で、死体は密かな友人だった。


 周囲の家々からも離れて設けられた墓所は、死者たちには静謐な終の寝所であると同時に、生者たちにとっては、特段用がない限りは近づきたくない場所だ。


 当然、近隣に同じ年代の子供がいるはずもなく、マイロが接する相手は、もっぱら父と母か、あるいは時折運ばれてくる死体ばかりだ。


 その分、父と母は優しかった。


 遊びたい盛りのマイロをよく相手したし、棺に入って遊ぶような真似をしても、窘めはしても、必要以上に怒鳴りつけたり、手を上げるようなこともなかった。


「はい、マイロ。あなたの好きなお菓子よ」


 初めて食べるはずの焼き菓子を、そう言って差し出されて首を傾げたこともあったが、美味しかったので深く気にすることはなかった。


 死者が運ばれてくる日は、大忙しだ。


 葬儀と埋葬の前には、入念な支度が必要だ。まずは丁寧に死体を清め、傷があれば繕ってやり、防腐処理を済ませたら、死化粧を施し、鎮魂の儀式を執り行う。マイロも両親と一緒になって、死体の身支度を整えた。


 マイロは、この作業が好きだった。


 彼らが生前、どんな人物で、なにがあって命を落としたのかはわからない。ただ死体となった彼らは静かで、黙ってマイロたちに身を任せてくれる。そんな死体たちを綺麗に、ともすれば生前よりも美しく仕立てるのが、娯楽の少ない暮らしの中で、マイロの大きな楽しみだったのだ。


 もちろん、幼いマイロに、なにもかも上手くできたわけではない。だが父は、そんなマイロの手際をよく褒めてくれた。


「いいぞ、やっぱりマイロに任せると、死体がきれいになるな」


 初めて行う作業のはずだったが、褒められるのは嬉しかった。


 マイロの日々は、そうして過ぎていった。両親を手伝って運ばれてくる死体を清め、仕事のない日は墓所を駆け回り、自分が手掛けた死体の眠る場所に話しかけながら墓石を磨いてやる。死者と向き合うことこそ、マイロの日常だった。


 だが次第に、マイロは両親よりも、より死体に没頭して過ごすことが多くなった。


 歳を重ねるにつれ、だんだんと両親がなにか、ひどく恐ろしいものに思えるようになってきたのだ。


 この頃になると父も母も、ことあるごとにマイロを𠮟りつけるようになっていた。そうじゃない、前に教えただろう、あなたはこれが好きなのよ、どうしてできないんだ、どうして食べるの嫌いなはずなのに。


 叱責されるたびにマイロは、自分が悪かったんだと落ち込んだ。なにがよくなかったのだろう。なにが上手くできてなかったのだろう。ひとつ叱られたところを直すと、違うところを叱られた。またひとつ、またひとつ。


 次第にマイロは、自分の存在そのものが間違っているような気持になっていった。ただ静かにその身を任せてくれる死体だけが、マイロにとって癒しだった。


 マイロに転機が訪れたのは、十歳になる年のことだ。マイロに魔術師の適性があることがわかったのだ。


 両親はその報せに狂喜した。なにがそんなに嬉しいのか、マイロにはぴんと来なかったが、近頃は顔を合わせるたびに舌打ちをする両親が喜ぶのなら、いいことなのだろうと思った。


 魔術学院への入学が決まると、両親はしきりに、死霊術を学べとマイロに迫った。なぜかはわからなかったが、否やはない。


 死体を相手にすることは、むしろ望むところだったからだ。


 マイロは熱心に死霊術の習得に打ち込んだ。授業は目新しいことばかりで、楽しかった。顔に入れ墨を入れるのは少し怖かったし、そのおかげで他の学生や街の住民から白い目を向けられるようになったが、ちっとも構わなかった。


 死と魂について学び、死体に向かって日々を過ごし、やがてアニメイト・リビングデッドの術式を習得すると、マイロは歓喜に包まれた。これでまたきっと、両親もマイロを褒めてくれるに違いない。


 すぐにそれが、大きな思い違いであることを知った。


 マイロは二年目の休暇で、学院に入って以来、初めて墓地の家に帰った。


「父さん、母さん、ただいま!」


 出迎えた父と母の目は酷く冷たく、まるで他人を見るそれであった。


「聞いて、あのね。僕、リビングデッドを作れるようになったんだ。これで本当に、死体と友達になれるんだよ。ねえ、父さん、母さん……?」


「来い」


 両親に連れられて向かった先は、自宅の地下の、さらに奥にある隠された部屋だった。マイロはそんな部屋があることも知らなかった。


 部屋の中には、ひとりの少年が寝かされていた。十歳ほどの男の子だ。穏やかな寝顔で、一瞬気が付かなかったが、それは丁寧に死化粧と防腐処理を施された、少年の死体だった。


「……これ、誰?」


「さあ、マイロを生き返らせるんだ」


「え?」


 父の言葉が、理解できなかった。


「なに、言ってるの? マイロは、僕で」


「お前なんかがマイロなわけがないだろ、この出来損ない! 早く私たちのマイロを生き返らせて!」


 母の言葉が、理解できなかった。


「早くしろ!」「早く!」「マイロを!」「私たちの子を!」


 急かされ、怒鳴りつけられ、わけもわからぬままに、マイロは少年の死体に術式をかける。なにも間違えることなく、少年はゆっくりと目を開けた。


「ああ、マイロ!」「マイロ、やっと帰ってきてくれた!」「俺たちの宝物!」


 両親は狂喜しながら、死体の少年をマイロと呼び、抱きしめた。少年は首を傾げながら、両親に抱きしめられていた。


 ああ。


 マイロはようやく理解した。


 本当に、自分の存在が間違っていたんだ。


 自分は、まがい物でしかなかったんだ。


 ただの身代わりだったんだ。


 納得を裏付けるように、ゾンビとして起き上がった少年の代わりに、マイロは地下室に幽閉された。日に一度の食事が与えられる以外は、扉が開くことはなかった。


 後で知ったことだが、両親はマイロの前にも、何人もマイロを育てていた。浮浪児や、どこからか攫ってきた子供を、亡くした自分たちの息子に成り代わらせようとしていたのだ。


 しかし、攫ってきた子供が、息子が死んだ歳に近づくと、だんだんと違う振る舞いに耐えられなくなり、殺した。そしてまた、新しい息子を迎えたのだ。


 マイロが殺されなかったのは、直前になって、魔術の適性が判明したから。別の利用価値を見出されたからだ。そして、ただ息子にかけられた術式が解けないようにと、幽閉されていた。


 きっとこのまま、自分は誰でもないなにかとして、一生を暗い部屋の中で過ごすのだろう。自分には初めから、居場所なんてなかったんだ。


 両親のためにと頑張っていた自分が酷く滑稽で、マイロは数日の間、なにをするでもなく、無気力に閉じ込められていた。


 だが孤独ではなかった。すぐに、閉ざされた扉を訪ねてくるものが現れた。


「ねえ、君が僕の代わりになっていたマイロ?」


 リビングデッドになった少年が、小さなマイロが、扉の外に立っていた。


「僕もマイロって言うんだ。君が僕をゾンビにしてくれたんだよね」


「そう、だけど」


「なんだかごめんね、僕のせいで」


「別に、君のせいじゃ……」


「じゃあ、ありがとう! 君のおかげで、またお父さんとお母さんに会えたから!」


 礼を言われると、少しだけ報われたような気がした。死体は、素直で、なにを企むでもなく、明るくマイロに接した。


 それから小さなマイロは、両親の目を盗んで足しげくマイロのもとに通った。いろんな話をした。マイロのこれまでの暮らし。小さなマイロの生前の話。


 聞いていると、マイロとマイロは本当によく似ているようで、いつしかマイロは、小さなマイロを兄と呼んでいた。彼の方が、マイロよりもずっと先に生まれていたからだ。


 死体は、マイロの味方だった。


「ねえマイロ、ここから出たいよね」


 ある日小さなマイロは、マイロにそう聞いた。


「……出たい、けど」


「じゃあ出してあげる! でも、ひとつだけお願いを聞いてほしいんだ」


「……なに?」


「僕の家族を作ってよ」


 こうしてマイロは地下室を出たが、そのまま家に居続ける気にもなれず、学院に戻り、冒険者としての生活を始めた。もしかしたら、どこかに居場所が見つかるかもしれないと、そのときはまだ淡い期待も抱いていたかもしれない。


 結局は、やはり生きた人間とは共に生きられないと、ダンジョンの奥底で暮らすことを決めたのであったが。

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