第99話:黒魔術師ウリエラ(6)
マイロのところに。
マイロは、そう言い残して意識を失った。
「マイロ様! マイロ様!」
ウリエラがゆすっても呼んでも、目を覚ますことはない。生きてはいる。だが呼吸は浅く、心音も見る見るうちに弱まっていく。
このままだと、マイロは死ぬ。
恐怖が、ウリエラに手を伸ばす。
「いやですマイロ様、起きてください! まだ、まだ私は、あなたの言葉に返事もしていないのに!」
「ウリエラ、落ち着け! いまはとにかく、ここを離れるぞ!」
マズルカがマイロを背負う。それに縋ろうとして、しかし足に上手く力が入らない。頽れそうになったウリエラの身体を、サーリャが抱きかかえた。
本館の外に、人の気配が集まりつつある。建物の中から漏れ出ていた光や、飛び出していったブラムに慄いていた冒険者や衛兵が、様子を窺いに来たのだろう。
いますぐに逃げなければ、それこそマイロの命はない。
「で、でもどこに!? マイロくん、どこに行けって言ってたの?」
「マイロのところ、と言っていたが……」
バルバラ商会の本館を裏口から出て、夜闇に乗じて塀を飛び越え、街の外へ向けて走りながら、マズルカもサーリャも首を傾げる。
ウリエラはサーリャの腕の中で、ますます焦燥を募らせる。
意味が分からない。マイロは錯乱していたのだろうか。助けなければならない相手の、言葉の意図が汲み取れないもどかしさに、ウリエラは叫びだしそうになる。
私に持っと力があれば。魔術だけでなく、呪詛に関する知識もあれば。
そうしている間にも、マイロの心音はどんどん弱まっているというのに。
「わ、わたし、わかるかも」
並走するポラッカが、ぽつりと呟いた。ウリエラが顔を上げると、ポラッカは表情に迷いを浮かべながらも、マイロを見て頷く。
「本当かっ?」
「たぶんだけど! ついてきて!」
先頭に立って一目散に駆け出したポラッカは、ガストニアの街を外に向かって走り抜け、バルバラ商会の騒乱でざわめく市街地からどんどん遠ざかっていく。家々の灯りが遠ざかり、闇と静寂が支配を強めていく。
やがて、黒く影を落とす雑木林が近づいてきた頃、闇の中に、ぽつんと明かりを灯す、石造りの家が見えてくる。他の家々から、やけに離れた場所に建つ家だった。
周りは広場になっているが、小さな影がいくつも、等間隔に並んでいるように見える。ウリエラは目を凝らしてようやく、それが立ち並ぶ影が墓石だと気が付いた。
墓地だ。なら傍らに建つ家は、墓守の住まいか。ウリエラの記憶に、なにか引っかかるものがある。マイロは確か墓守の家の生まれだと言っていたはず。
ポラッカは迷いもせずに家の戸に駆け寄ると、扉を力いっぱい叩いた。
「誰か! 誰かいませんか!」
どうか、お願いします。誰でもいい、マイロ様を助けてください。
ウリエラの祈りに応えるように、家の中で動く気配がある。もどかしい思いで待っていると、小さな足音がぱたぱたと近づき、玄関の戸がそっと、薄く開いた。
そろそろと覗いた頭は、思っていたよりも、ずっとずっと低い位置にあった。
「誰、ですか?」
少年だ。顔を覗かせたのは、年のころは十かそこらの、小柄な男の子だった。
ウリエラはその姿を見て、目を瞠り、息を呑んだ。
「ごめんね、こんな時間に。わたしのこと、覚えてるかな」
ポラッカが身を屈め、少年と目を合わせる。ポラッカの顔を見ると、不安げだった少年はぱっと表情を輝かせた。
「あ! 犬のお姉さん! どうしたの、遊びに来てくれたの?」
「ううん、そうじゃないんだ。あのね、助けてほしい人がいるの」
「助けてほしい人? わ、他にもお姉さんがたくさん」
突然の申し出に困惑する少年は、ポラッカの背後を覗き込んで、また驚く。それから、マズルカが腕に抱えるマイロの姿に、零れ落ちそうなほどに目を見開いた。
「もしかして、マイロ!?」
「やっぱり、知ってるんだね」
どうして少年がマイロのことを知っているのか。どうしてポラッカがそのことを知っているのか。疑問は尽きなかったが、これが唯一の望みだ。
「お願いです、マイロ様を助けてください。このままだと、マイロ様が……!」
「と、とにかく入って。えっと、こっち!」
少年に引き連れられて、家の中に案内される。家は思ったよりも広い。暖炉に火の灯されたリビングから人の気配を感じたが、少年はリビングを通り過ぎ、ウリエラたちを寝室に案内する。サーリャは、何度か頭をぶつけていた。
「ここに寝かせて!」
ベッドにマイロを横たえると、その息はもはや虫のそれよりも弱い。顔色は使者よりも青ざめている。
「いったいなにがあったの? 病気? でもなんでお医者さんじゃなくてここに?」
「呪いだ」
「呪い?」
「呪霊を使った反動だ。相手を仕留め損ねた呪いが返ってきた、とマイロは言っていたが……家には誰かいないのか?」
「ううん、僕しかいないんだけど……呪い。それって、魂の呪い?」
「あ、ああ、おそらくは」
「それなら僕、なんとかできるかも!」
少年はぱっと顔を上げ、寝室を飛び出していく。寝室に残されたウリエラたちは、奇妙な成り行きに首を傾げた。
「僕しかいないって、嘘、ですよね」
「ああ、間違いなくリビングに誰かいた。しかし、どういうことなんだポラッカ。何故あの子がマイロの知り合いだと?」
問い詰められると、ポラッカはもじもじと、言いづらそうに手をこねる。
「えっと……じ、実は、前にトオボエと遊びに行ったときに、裏のお墓まで来ちゃったの。トオボエっていうか、ブラムの話もそのときに聞いたんだけど、えっと」
「なっ、アタシたちがロドムと会っていたときか!? 人前に姿を見せるなとあれほど言っただろうポラッカ!」
「ひゃあっ! ご、ごめんなさいおねえちゃん!」
「それよりさ」
姉に怒られるポラッカを傍目に、サーリャはぶつけた頭をさすりながら、怪訝な表情を浮かべる。
「私の気のせいかなあ。さっきのあの子さ……」
「いえ、私も、そう思います」
サーリャの感覚は、外れてはいない。ウリエラにもわかる。それがますます、不可解だった。
ただウリエラは、ひとつだけ確信している。ここがマイロの生家であることは、おそらく間違いないだろう。
「持ってきたよ! 準備するの手伝って!」
少年が慌ただしく寝室に駆け込んでくる。両手には、水の入った瓶や香炉、ヒイラギの枝などが、溢れそうなほど抱えられていた。
ウリエラたちは少年の指示に従いながら、香炉に火を入れ、瓶の水をマイロの額に垂らし、胸の上や枕元にヒイラギの枝を並べていく。
「これって、なにしてるの?」
「鎮魂のおまじない。本当は、死んだ人を埋葬する前に、魂を悪霊や呪いから守るためにやる儀式なんだけど……」
少年は手にした香炉を、マイロに振りかけるように動かしながら、ぶつぶつとまじないをかけ続ける。手慣れた動きだ。きっとこれまでにも、何度も繰り返してきたのだろう。墓守の家とはいえ、こんな小さな子供が?
疑問は尽きなかったが、いまはもう、ウリエラたちには見守ることしかできない。
マイロの顔はいまだ青白く、息は糸のように細く頼りない。いつ途切れてしまうか、気が気ではない。
どうか、どうかお願いです、マイロ様。
私は、あなたが恐ろしかった。死霊術師のあなたが、まるで世界の誰にも興味がないような目をしたあなたが、恐ろしくてたまらなかった。私が死んだ途端、親しみを見せるあなたが、とてつもなく恐ろしかった。
けれど、それでも。
例えどんな形であっても、私を仲間だと言ってくれることが嬉しかった。傍にいていいと言ってくれることが嬉しかった。誰にもかけられたことのなかった優しさが、本当に嬉しかった。微笑んでくれる顔が、優しく触れてくれる手が、なによりも嬉しかった。
なのに、それを信じることができなかった。
もう勝手なことはしません。あなたが望んでくれるなら、あなたの居場所になります。私も、そうありたいから。私も、あなたに居場所であってほしいから。
私も、あなたのことが。
だから、どうか。
そのまま、どれほど見守っていただろう。
「あ、見て!」
ポラッカが、続いてマズルカが、サーリャが身を乗り出す。
マイロが、大きく息を吸って、深く吐き出した。頬に血の気が戻ってくる。
少女たちの安堵の息が、寝室に響き渡った。
「よかった、生きてる人にも効果があるのかわからなかったけど、なんとかなったみたいで」
少年が、汗もかいていないのに額を拭って、ほっと息を吐く。
「えっと、ありがとね」
一同を代表して、ポラッカが礼を述べる。ウリエラもそれに続こうとして、言葉を呑んだ。
「マイロくん」
ポラッカは、少年をそう呼んだのだ。
「ううん、こっちこそ、マイロを連れてきてくれてありがとう!」
マイロと呼ばれた少年は、そう言って笑う。
そして、朗らかな笑みを浮かべるこの少年もまた、ゾンビであった。
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