第96話:在ることを赦して

 ああ。


 ああ、そうだったんだ。


 僕は本当に、まったく、なにもわかっていなかった。


「マイロ様に必要だったのは、便利に使える死体だったんですよね。別に、私じゃなくったってよかったんです。だって、私が生きている間は、見向きもしなかったんですから」


 ウリエラはまるで、信じていた相手に裏切られたかのように瞳を潤ませ、それでも笑顔を作って僕を見つめている。赤い目で、真っ直ぐに。


「それでもいいんです。私、マイロ様のために、なんだってしますから。もっともっと強い力だって、手に入れてみせますから。だからマイロ様、マイロ様は、私を見捨てたりしませんよね?」


 誰もが唖然とする中、ウリエラの周囲にまた魔力が渦巻き始める。空に立ち込めた暗雲が再び猛り、稲光を窓から差し込ませる。


 あの術式が発動すれば、ガストニアの街にどれだけの被害が出るかわからない。きっと大勢が死ぬ。別に誰が死のうがどうでもいい、けれど。


「マイロ様を蔑んだ奴らに、思い知らせましょう。後悔させてやりましょう」


 意味のない殺しの先にあるのは、世界のすべてを殺し尽くす道だ。


 そんな無意味な選択を、ウリエラにさせるわけにはいかない。


「ウリエラ、もうやめよう。何度も言ってるけど、僕はそんなこと、望んでないよ」


 僕は歩き出す。ウリエラに向かって。なにをされるかわからないけれど、ウリエラと向き合わなければ。


「マイロ」


「マイロくん」


 立ち上がって駆け付けてくれようとするマズルカとサーリャを、首を横に振って制する。これは、僕の蒔いた種だ。


「マイロ様……? どうして、そんなことを言うんですか。いまなら私、誰にだって負けません。どんな相手だって、消し飛ばせます。マイロ様のどんな望みにだって答えられます」


「違う。僕はウリエラに、そんなこと望んでない。君の魔術に助けられていたのは確かだけれど、僕は」


「嘘をつかないでください……ッ!」


「うわっ!」


「マイロ!」


 ウリエラの激情が、突風になって吹きつける。後ろに尻餅をついたけれど、すぐに立ち上がる。大丈夫、たいしたことない。


「ぁ……」


「いてて。嘘だなんて、なんでそう思うのさ。何度だって言うよ、僕は君に仲間で居てほしい、家族で居てほしいだけだ」


「だったら、どうして……どうして助けてくれなかったんですか! どうしてあの人たちに弄ばれていた私を、見て見ぬふりしてたんですか!」


 どうして、と言われたって、そんなの決まってる。ずっと前から変わらない。


「だって、君が生きていたから。僕は他人の気持ちが分からないし、生きてる人間は信用できない。君がなにを考えてたのかわからなかったし、いまだって、ずっとわかってなかったんだ。善意で誰かを助けるなんて、怖くてできないよ」


 ウリエラが杖を振う。僕はまた吹き飛ばされる。大丈夫、致命的な攻撃じゃない。


「なんですか、それ。そんなの、マイロ様が臆病なだけじゃないですか!」


 そう、その通りだ。


「ひどい……マイロ様の臆病者、卑怯者! 私は、ずっと苦しかったのに、なにもしてくれなかったのに! なのに私が死んだ途端、家族になってくれだなんて! そんなの、卑怯じゃないですか!」


「なんとでも言ってよ。僕は臆病者で卑怯で、穢れた忌まわしい死霊術師だ。そんなのずっと言われ続けてきたんだから、なんでもない。けどね」


 ウリエラは、ずっと溜め込んでいた気持ちを吐き出してくれた。だったら僕も、言いたいことを言わせてもらたっていいはずだ。


「卑怯なのはウリエラだっておんなじだ」


「な、なにが、ですか」


「君だってずっと黙って、ケインたちの言いなりになってたじゃないか。僕が彼らになにを言われても、街でどんな目を向けられていても、君は目を背けるだけだった。僕が追放されたあのときだって」


「い、言えるわけないじゃないですか! だって、歯向かったりしたら、どんな目に遭っていたか」


「でも君は、僕の仲間になって最初に、どうして死霊術師になったのか、って聞いたよね。君も思ってたんでしょう、死霊術師なんか、信用ならない相手だって! だから、僕に助けを求めようともしなかったんじゃないの!」


「……っ」


「それだけじゃない! いつも君は、自分の望みを押し隠して、僕が頼むのを待ってるんだ! 自分の責任になるのが怖いから、僕の指示だって言い訳するために! バルバラ商会を襲ったのだって、ガストニアの街を襲うのだって、君の望みだ! それを僕のせいにしようとしているだけだ、違う!?」


「~~~~……ッ! うわああああああ!」


 ウリエラが杖を振りかぶる。魔力が終息する。あの術式は、危険だ。させない。


「来いッ!」


「あッ!?」


 ウリエラの持つ杖に、指示を出す。杖は弾かれたようにウリエラの手を離れ、僕の手の中に飛び込んでくる。


「マズルカ!」


「受け取った!」


 奪い取った杖を、後方のマズルカに投げ渡し、ウリエラから引き離す。すっかり忘れていたけれど、この杖だって、僕の作ったリビングデッドなんだ。


「あ、か、返してください、返して、それがないと……!」


「いい加減にして、ウリエラ……ッ!」


 杖に追いすがろうとするウリエラに、全力を籠めて飛び掛かる。接近戦なんて嗜んでいないから、無様に飛びつくだけだったけれど、同じ魔術師のウリエラはあっさりと押し倒されてくれた。


 右腕を振り上げる。死の手袋を着けた右手を。


 ウリエラの目が、恐怖に瞠られた。


「ウリエラ……」


「わ、私……私は、ただ……」


 声が震える。赤い瞳が滲む。


「マイロ様に、見捨てられるのが怖くて。初めて、一緒にいて嬉しいって言ってもらって、私も嬉しかったのに、なのに信じられなくて……だから、力を示さなきゃって……私や、マイロ様を虐げる人たちに、思い知らせなきゃって……」


 彼女がただ、アンナに唆されて混乱していただけだったのか、それとも、あの吹き荒れる魔力が彼女の本質だったのかは、わからない。


 でも、どちらでも同じことだ。


 ゆっくりと、右手を下ろす。こんなもの、使いたくない。ウリエラは、ただ泣きそうな顔で、それを見ていた。


「どうして、腕を下ろすんですか。罰しないんですか、臆病で卑怯な、私のこと」


「しないよ。臆病で卑怯なのは、僕も同じだ」


 情けない話だけれど、彼女の糾弾は、なにもかも図星だった。


「全部ウリエラの言う通りだよ。僕は結局、僕を裏切る心配のない死体を集めていただけだ。臆病な僕は、そうじゃないと安心できないから。本当は、わかってるよ。ケインたちに虐げられていた君が、感嘆に周りに助けを求めることが出来なかったことくらい」


 自分に都合のいい人形を集めていた、と言われたって、なにも否定できない。


「でも、ウリエラ。君といる時間は、本当に楽しかった。どうやって家や、夜を作るか一緒に考えて、術式を組み立てて。朝と夜に君に挨拶して、みんなと一緒に食事をとって……君が傍に居てくれるのが、本当に嬉しかったんだ」


 すごく恥ずかしい話だけれど、本当にこれが、僕の正直な気持ちなんだ。


「ウリエラ。都合のいい話なのは分かってる。でも僕は君に、僕の居場所になってほしい。別になにをしてくれなくたっていい。ただ僕が、まだこの世界で生きていく理由になってほしいんだ。家族になってほしいんだ」


「私、が、マイロ様の、居場所……」


「もちろん、君が望まないなら、この場で解放する。好きなところに行って、好きに過ごしてほしい。無理して僕の仲間でいる必要はない」


 僕を見つめる赤い目が、揺れた。


「私は、マイロ様のことを、信じられなかったのに……『空白』に触れて、取り返しのつかないことをしたのに」


「それは僕の責任だから。きちんとウリエラと向き合ってなかった、僕の罪だ。全部、僕が背負っていく。それが家族としての責任だよ」


「私を、見捨てないでくれるんですか……?」


「絶対に見捨てない。君が首だけになってしまったって、絶対に」


「どうして」


 どうして、って。そんなの決まっている。


「僕は、君が好きだから。みんなも大事だけれど、ウリエラは、僕の一番大事なリビングデッドだから」


「……ぁ、マイロ、様」


「マイロおにいちゃんッッ!」


 僕の告白は、静まり返ったホールを引き裂く、ポラッカの悲鳴に遮られた。


「ポラッカ?」


「おにいちゃん! トオボエが、トオボエが変なのッ!」


 振り返った先にあったのは、褐色の毛皮が、闇よりもなお深い漆黒に染まりつつある、トオボエの姿だった。

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