第95話:黒魔術師ウリエラ(5)
「だったらどうして、私を助けてくれなかったんですか、マイロ様……?」
ウリエラの言葉を受けたマイロの顔は、まったくの虚を突かれた表情そのものだった。まるでいまのいままで、そんなことを考えもしなかったような。
「どういう、意味? 僕がウリエラを助けなかった、って」
ああ、やっぱりそうなんだ。アンナの言葉通りだったんだ。
あくまでマイロは死霊術師であって、ウリエラを道具として使える死体だとしか見ていない。家族ごっこをしているだけなんだ。
生家の農場で、金を寄越せと、父や母や兄に迫られたあのとき。
ウリエラはそれを拒んだ。いまのウリエラは、マイロのリビングデッドだ。主たるマイロの許しなく、金を渡すことなんてできない。第一、もう彼らは、ウリエラの家族じゃない。
「い、いまの私は、マイロ様のものです! マイロ様が、私の家族なんです! この家に入れるお金なんて、ありません!」
途端に、家族だったものたちの顔が強張った。頬を紅潮させ、目を血走らせ、口汚くウリエラを罵りながら、力で言うことを聞かせようとした。なにより耐え難いことに、彼らはマイロを誹った。薄汚い冒険者風情が、と。
ウリエラは激昂した。彼女はもう、かつての非力な、ただ殴られるばかりの少女ではなかったことに、家族だったものたちは最期まで気付かなかった。
はじめに、すぐそばにいて、ウリエラに手を振り上げた母親の身体が燃えた。汚い悲鳴を上げながら床でのたうち回る母親を目にし、兄が掴みかかってくる。杖を奪い取ろうとする兄ともみ合いながら、ありったけの魔力を、兄の身体に流し込む。それだけで、兄の身体が、風船のように内側からはじけ飛んだ。
父親はもはや、腰を抜かし、股間を濡らしながら、命乞いをするばかりだった。その姿が酷く無様で、みっともなくて、こんなものが家族だと思っていた自分が、どうしようもなく情けなくて。
だから、殺した。マイロの物に手を出そうとしたものを、生かしておく理由なんてどこにもなかったから。母親と同じように、火を点けた。
はじけ飛んだ血と肉が、木造の家と共に焼ける匂いを嗅ぎながら、ウリエラは涙を流した。いつの間にかアンナが、寄り添うように隣に立っていた。
「どうでしたか、ウリエラさん。これがあなたの家族です」
「……違います、この人たちは、家族なんかじゃ」
アンナは小さく、首を横に振った。
「いいえ。残念ですけど、彼らはウリエラさんの、血の繋がった家族でした。でもまあ、そんなものです。人間が誰かと一緒にいる理由なんて、自分にとって都合のいい相手だからに過ぎないですから」
違う。彼らはそうだったかもしれない。けれど、マイロは。
「マイロ先輩だって同じです。あなたが自分にとって都合がいいから、黒魔術の使える便利なゾンビだから、リビングデッドとして使役しているだけなんです」
「違います! マイロ様は、私を、家族だって」
「じゃあウリエラさんは、どうしてそんなに怯えてるんですか?」
言葉を、返せなかった。
「もっとマイロ先輩の役に立ちたい、もっと、もっとって。ずっと怯えてますよね。本当はわかってるんじゃないですか? もっと大きな力を手に入れなければ、いずれマイロ先輩に捨てられてしまうって」
もっとマイロの役に立ちたい。ウリエラの本心だった。でも、その理由は。
「だってマイロ先輩は、苦しんでいたウリエラさんのことを、助けてくれませんでしたものね」
目を背け続けていた事実を突きつけられ、ウリエラは嗚咽した。
「他のパーティメンバーたちに虐げられているのを知りながら、マイロ先輩はウリエラさんを助けてはくれませんでしたものね。マイロ先輩にとって都合のいい、死体になってしまうまで」
「違います、違います……だって、私は、マイロ様の、一番のリビングデッドで」
それは、ウリエラにとって誇りで、ウリエラにとって拠り所だった。だからマイロは、きっと自分を見放したりしない。はず。だったのに。
「そんなの、口から出まかせですよ」
「え」
「ウリエラさんを懐柔するための嘘です。マイロ先輩の最初のリビングデッドは、全然別の人なんですから」
アンナの紫の目が、ウリエラを覗き込む。
どうしてか、その言葉が真実だと、わかってしまった。あるいは、信じ込んでしまったのかもしれなかったが、どちらにせよ、大きな違いはなかった。
炎に巻かれる部屋の中で、家族だったものたちの間に、ウリエラは膝をついた。力が入らない。
結局自分は、マイロの家族ごっこに使われる、ただの人形に過ぎない。自由意志なんて、あるように見せかけられているだけの、都合のいいゾンビに過ぎない。そんなこと、最初からわかっていたはずなのに。
「でも……でも、私には、マイロ様しか」
「そうですね。ウリエラさんはリビングデッドですから、マイロ先輩に縋るしかありませんもの。ウリエラさんにできることをするしか、道はないんです」
もはやウリエラには、それがマイロの傍にいたいからなのか、この肉体にしがみついていたいだけなのか、とっくにわからなくなっていた。
「私に、出来ること」
「マイロ先輩に決して見捨てられないだけの、大きな力。ウリエラさんは黒魔術師ですから、マイロ先輩の前に立ちはだかるもの、すべてを薙ぎ払えるほどの魔術、ですとか。欲しくはありませんか? そんな力が」
ウリエラは、黒魔術師だ。それだけは、自信がある。マイロだって褒めてくれた。だがウリエラはゾンビだ。魔力を鍛えることは出来ないし、月の銀の髪のような特異体質だって、そう簡単には手に入らない。
「私は、ウリエラさんの力になってあげたいんです。あなたが望むなら、比類なき力をあなたに分け与えてあげられます。いかがですか?」
選択の余地なんて、なかった。
ウリエラが頷くと、アンナは満足そうに微笑んだ。
「手を出してください。そう、私に触れて。もっと深く、もっと奥に触れて。私の、魂に繋がってください」
ウリエラに、なにかが繋がった。止め処ない力が、ウリエラに流れ込んでくる。整然と在り方を定められた力ではない。まだなにも決まっていない、行き先も、形すらも定まっていない、混沌の濁流。
「ようこそ、ウリエラさん。摂理の外側にある、アンデッドの世界へ」
吸血鬼アンナーリエに笑顔で迎えられ、炎の中でウリエラは、リッチとなった。
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