第93話:不安との戦い

 床に転がるロドムの首。その口元から豊かに伸び、いまはべっちゃりと血を吸った髭を握り、ウリエラは風の魔術で切り飛ばしたばかりの生首を拾い上げる。


「み、見てください、マイロ様。もうこれで、バルバラ商会に悩まされることはありません」


 獲ってきた獲物を誇るように掲げ、どこか得意げに、ウリエラははにかんでいる。


 本当に、あれが、ウリエラ?


 僕は一瞬、本当に一瞬だけ、それが誰だかわからなかった。


「あ、き、貴様ァッ!」


「待て、ニノン!」


 マズルカの制止も聞かず、ニノンが激昂に駆られて駆け出す。だが。


「うるさいです」


「ごっ……!?」


 ウリエラが杖を一振りした途端、横合いから鉄槌で殴られたかのように、ニノンの身体が吹き飛んでいく。ホールの柱に激突し、彼女は動かなくなった。


「マイロ様」


 何事もなかったかのように、ウリエラが一歩、僕に向けて歩み出る。手にはロドムの生首を提げたまま。


「どうでしょうか。私は、マイロ様のお役に、立てていますか?」


 僕は、どう答えるのがいいのか、わからない。


 確かにウリエラは言っていた。自分の力で、バルバラ商会を焼き払えれば、と。本当に、これをすべて、僕のためにやったって言うの?


 それより、なによりも。


「ウ、ウリエラちゃん……どうしたの、その髪」


「え、か、髪ですか? あれ、本当ですね、いつの間に黒くなってたんでしょう」


 ウリエラは前髪をつまみ、不思議そうに首を傾げている。


 彼女の髪は、フレイナの死体からもらった、月の銀の髪だった。白銀に輝き、高密度の魔力構造で、ウリエラの保有魔力を大きく引き上げていた。


 けれど今の髪は。


 芯から黒く染まり、かつての彼女の黒髪よりもなお、ぬばたまのごとく艶やかに輝いている。構築密度は銀の髪よりもいっそう高度で、空間を歪めそうなほどの魔力を漂わせている。


 あれは。あの輝きは。


「新月の黒銀の髪……どうして、ウリエラ、なんで君がそれを」


「マイロ! あの髪はなんなんだ! ウリエラから異様な気配を感じる、あの髪のせいなのか!?」


 ウリエラの雰囲気に気圧され、マズルカが珍しく震えた声を上げる。


 無理もない。僕らを圧倒したアンナの気配が、研ぎ澄まされた刃だとしたら、いまのウリエラが醸し出しているのは、混沌と荒れ狂う嵐のそれだ。


 でも、髪はその原因じゃない。髪は、結果だ。


「あれは……月の銀の髪が、『空白』に曝されて変質したものだ」


「『空白』、だと?」


 『言葉』によって定められた世界の摂理と、相反する力。かの灰色王が振い、アンデッドたちの魂を歪める力。


 どうしてウリエラが、『空白』に。


 ウリエラは、ぽかんと僕を見つめ、生首を手放して両の手を見つめ、それからもう一度、黒銀に輝く髪をつまんで見つめた。


「『空白』……ああ、これがそうだったんですね。すごいんです、マイロ様。どんどん力が湧いてくるんです。ほら」


 ウリエラが杖を掲げると、無秩序に吹き荒れていた魔力が、杖を通してひとつに練り上げられていく。目に見える光を伴うほどの、暴力的な魔力が、空へと打ち上げられた。


 異変は、すぐに起きた。


 窓から指す光が、陰った。星々が煌めき、月が上っていた空に、どこからともなく暗雲が立ち込めていく。白光が迸り、遅れて轟音が降り注ぐ。


 雷の魔術。だけど、桁が違う。


 雷の魔術は、確かにウリエラが使っていた術式のひとつだけれど、これはもう、ほとんど天候操作の領域だ。ひとりの魔術師が振える力なんかじゃ、断じてない。


「見ていてください、マイロ様。私、マイロ様のお役に立ってみせます。マイロ様を穢れた死霊術師だって馬鹿にした人たち、みんな消してしまいますから」


「ウリエラやめて! そんなことしなくていいから! ウリエラ!」


 雷鳴が轟き、暴風が館を揺らし、僕の声はウリエラに届かない。


「マイロ、止められないのか! お前はアタシたちの、ウリエラの主人だろう!」


「ウリエラはもう、ただのゾンビじゃない。リッチ……アンデッドの魔術師なんだ。いまの彼女に、僕の死霊術がどう作用してるのかわからない。もしも術式を弄って魂が解放されてしまったら、それこそ手が付けられなくなる」


「だったらどうする。彼女を……」


 始末するのかって? まさか。


「止める。アンナになにを吹き込まれたかわからないけど、手荒な真似を使ってでも、ウリエラに正気に戻ってもらうよ」


「どうにかおねえちゃんに、お話を聞いてもらうしかない、ってことだね」


「もーっ! ウリエラちゃんがこんな聞き分けない子だったなんて!」


 『空白』に触れたリビングデッドが、いままでと同じでいられるのかなんてわからない。少なくとも僕らはもう、いままでの暮らしには戻れない。けど知ったことか。まずはとにかく、ウリエラを連れ戻すんだ。


「みんな、お願い。少しの傷は僕が修復できる、だから」


 マズルカもポラッカも、サーリャも頷いてくれる。トオボエも、唸りを上げながらウリエラを睨む。


 僕も、覚悟を決めておかないと。懐から、死者の手袋を取り出して、右手にはめる。こんなもの、使わずに済ませたいけれど。


「行くぞ!」


 マズルカが駆け出し、サーリャがそれに続く。ポラッカは弓に矢を番えながら、トオボエの背に跨って弧を描くように距離を取って走る。


「ウリエラ、いい加減にしろ!」


「ひゃっ、マ、マズルカさん? なにをするんですかっ」


「こっちの台詞だよ! もうやめなって!」


「サーリャさんまで……!」


 マズルカが振うバグ・ナウや、サーリャの鞭のようにしなる根の腕を、ウリエラは重力を感じさせない動きで後ろに飛んで躱す。いったいどんな術式を操っているのか、もはや僕には理解すらできない。


「どうして、どうして邪魔するんですか!」


「うぉっ!」


「きゃっ!」


 ウリエラの叫びが槌になって振われたかのように、暴風が叩きつけ、二人の身体が吹き飛ばされる。


「トオボエっ!」


 入れ替わるように、トオボエと共にポラッカが飛び出た。トオボエがウリエラに飛び掛かり、ポラッカがその背から弓を引き絞る。


「どうして!」


「うあっ!」


 突如として床の一部が柱のようにせり上がり、空中にいたトオボエとポラッカを打ち据える。


 皆が何度攻撃を仕掛けようとしても、無尽蔵とも思える魔力を振うウリエラに、ひとつとして届かない。


「どうして、私はマイロ様のお役に立ちたいだけです! なのに、どうして邪魔をするんですか!」


「いつマイロがそんなことをしろって言ったんだ、ウリエラ!」


「……ッ! だって、だって私には、他になにもないじゃないですか!」


 暴風が吹き荒れる。


「マズルカさんみたいな力も、ポラッカさんみたいな力も、私にはないのに。トレントの家だって、サーリャさんに渡ってしまったのに。私にはただ、魔術を使うことしかできないのに! 私がマイロ様の傍にいるには、これしかないのに!」


 慟哭が、吹き荒れる。


「ウリエラ、僕は……!」


 近づけない。荒れ狂う力が大きすぎる。


 ずっと僕が向かわずにいた、ウリエラの恐怖が。


「だから」


 ポラッカが、柱の陰に身を隠しながら叫ぶ。


「だからトオボエのことも殺したの、ウリエラおねえちゃん!?」


 ウリエラの動きが、止まった。

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