第91話:炎と鉄の夜
太陽が山々の向こうに姿を隠し、星々が煌めき始めた空の下。
ごうごうと燃え盛る炎を前にアンナは、まるで市場の屋台を眺めるような表情で、待ち合わせに遅れた相手を見るように、僕らを振り返る。
炎に照らされた横顔は、僕の目には本当に普段通りに見えて、どこにでもいるひとりの少女にしか思えなかった。
「マイロ先輩なら、きっと来てくれると思ってました。ふふ、それにクルトたちも。約束、守ってくれましたね」
「アンナターリエ!」
「クルト、待って」
妖しく笑うアンナに、クルトたちが剣を抜いて臨戦態勢に入る。それを制して、僕は一歩前に歩み出た。戦うよりも先に、聞かなければならないことがある。
「アンナ、ウリエラはどこ?」
「安心してください、ウリエラさんは無事ですから。傷つけてもいませんよ」
「だったら!」
「でも、入れ違いになっちゃいましたね。もうここにはいません。家に火を放って、村を離れましたから」
「え?」
ウリエラが、家に火を放った?
「なんで、そんなことを。ここは、ウリエラの生まれた家なんじゃ」
「決まってるじゃありませんか、マイロ先輩のためですよ」
ますます意味が分からない。どうして生まれ故郷を焼くのが、僕のためになるっていうんだ。
「いったい、ウリエラになにをしたの」
「なにも。ただ、ウリエラさんが力を手に入れるための、お手伝いをしただけです」
力を手に入れるための?
困惑を隠せない僕の肩を、クルトが掴んだ。
「マイロ、まともに取り合うな。あいつは言葉で人を惑わせる吸血鬼だ」
「でもウリエラが」
「わかってる、ウリエラは見つける。けどまずは、あいつを倒してからだ」
勝手なことを言わないでよ。それでウリエラの居場所が分からなくなったら、どうするんだ。僕はクルトたちの因縁なんて、これっぽっちも興味がない。アンナの危険性より、ウリエラの安全が第一だ。
僕はクルトの手を払おうとしたけれど、アンナが不愉快そうに眉を顰める方が、ずっと早かった。
「無粋ですねクルト。私はいまマイロ先輩と話してるんですよ」
「黙れ、アンナターリエ! もうこれ以上、お前の好きには」
クルトが、押し黙った。クルトだけじゃない。誰もが言葉を発せられない。
「黙れですって? よくも私にそんな口がきけますね」
殺される。きっと、自分が死んだと気づく暇すらない。
なにか一言でも発しようものなら。あるいは彼女の機嫌を損ねようものなら、この場にいる誰ひとりとして、生き残ることなんてできない。
生物として、あまりにも格が違い過ぎる。
僕にもそれを察せられる程度には、なけなしの本能があったらしい。
でも、僕は、聞かないといけない。
「アンナ」
「はい、マイロ先輩」
とりあえず、殺されはしなかった。
「教えて。ウリエラは、どこにいるの」
「ガストニアに戻りました。良ければ転移門を使いますか? きっとウリエラさんも、それを望んでいると思いますから」
アンナが手を振うと、彼女のすぐ横に転移門が開く。たったそれだけでも、彼女がどれほど常識外れな魔術師なのかがわかる。わかってしまう。
転移門は普通、決まった二点に術式を刻み、その間に門を開くことしかできない。どこでも好きなところに門を開けるわけではないし、門の接続先も変えられない。
だというのにアンナは、なんの準備もなく、空間に穴を開けてしまった。
「さあ、どうしますか、マイロ先輩?」
そんなの、聞かれるまでもない。
仲間たちを見回す。マズルカも、ポラッカも、サーリャも、その表情に否やはない。トオボエだけはちょっと乗り気じゃなさそうだったけれど、それでも足を前に踏み出してくれた。
「ダメだマイロ、罠に決まってる」
「そうです、それにここにも、もしかしたらまだ生存者が」
「関係ない」
クルトやセルマが引き留めようとするけれど、どれも僕が足を止める理由にはならない。ましてや、この家に誰がいようと、そんなの知ったことか。
「罠だろうと、僕はウリエラのところに行くだけだ。行こう、みんな」
「マイロ……」
僕らは、アンナの用意した転移門に歩き出す。クルトたちは動く様子はなかった。きっとここで、アンナと決着をつけるつもりなのだろう。僕には関係のない話だ。
転移門に近づくにつれ、火の手が近づき、頬に熱風が当たる。アンナは、平然とした顔で立っていた。
「ねえ、アンナ」
「はい?」
「君は、なにを企んでるの」
アンナは、陶然とした表情で微笑んだ。
「企むなんて、とんでもない。これは私から、マイロ先輩への贈り物です」
要領を得ない返事を聞き流しながら、僕たちは転移門を潜った。
◆
転移門の向こうは、農場とは違う喧騒に包まれていた。
「くそ、こいつらどこから!」「助けて、誰か!」「北館で火が出た! 誰か魔術師を!」「うわああああ!」
人々の悲鳴、怒鳴り声、金属と金属がぶつかる音。行き先はガストニアだ、と言っていたはずだけれど、ここは?
「これは、なにが起きてるんだ」
マズルカが、尋常ならざる気配に声を震わせる。
後ろで転移門が閉じるのを感じながら周囲を見回すと、辺りは確かに、見覚えのある風景だった。角ばった武骨な石造りの建物に、周りを取り囲む高い壁。
「ここって、バルバラ商会?」
知った風景にポラッカが目を丸くする。
言われて納得する。バルバラ商会の会館、その中庭だ。けれど、以前訪れたときとは、様相が全く異なっていた。
建物や庭のあちこち、見渡す限りそこら中で、戦闘が繰り広げられている。会館の衛兵や、傭兵、あるいは街から駆け付けた冒険者だろうか。剣や槍が振るわれ、矢や魔術が飛んでいる。魔物の群れを相手に、会館は戦場と化している。
そして、バルバラ商会を襲っている魔物は。
「あれ、スケルトン?」
「ううん、違う」
サーリャの言う通り、姿形は骸骨そのものだ。けれど、そこらの死体に穢れた魂が憑りついた、低級なアンデッドのスケルトンなんかじゃない。
あれは、竜の牙から生み出される、それぞれが一流の戦士の技量を持った、恐るべき骸骨兵士たち。黒魔術師の使う、強力なサーバント。
「
いったいなにが起きてるんだ。なんで、バルバラ商会が竜牙兵に襲われている?
「マイロおにいちゃん、危ない!」
ポラッカの声、引かれた手。
窓の破れる音がして、目の前に人影が落ちてきた。骨の砕ける音。落下の勢いに任せ、竜牙兵の頭蓋骨に短剣を突き立てて砕いた、女。
「ニノン!」
短剣を手にしたバルバラ商会会長の秘書が、竜牙兵と共に飛び降りてきた。
「……ッ!」
ニノンは僕らの姿を認めると、二階の窓から飛び降りてきた衝撃などまるでないかのように、動きを止めた竜牙兵から飛び退き、僕らに向けて短剣を構える。
「マイロ様。いったい、どういうおつもりですか」
敵意を剥き出しにした顔。やっぱり、そうなのか。
「待ってニノン、教えてほしいんだ。これは、ウリエラがやったの?」
「なにをとぼけているのですか。あれは、あなたのゾンビでしょう」
ああ、もう。どうしてこんなことになってるんだ。
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