第90話:勇者の血統

 クルトは冒険者でもなければ、別にそうなるつもりもなかったそうだ。


 彼はもともと、同郷のダグバと共に、生まれ育った村の自警団の一員として勤めていた。野盗やゴブリンたちを警戒しながらも、日ごろは野犬を追い返したり、村人同士のトラブルの仲裁に入る程度の、平和な日々を送っていたのだという。


 ところが、そこに災厄が現れた。


「はじめは、大人しい少女のように振舞って近づいてきたんだ。旅の途中で賊に襲われた、助けてほしいって具合で。俺もみんなも、誰も警戒なんてしないまま、彼女は村の一員になった。村にいる間、彼女は働き者だったよ。助けられた礼にって言って、みんなの仕事を手伝った。そうやって少しずつ、入れる家を増やしていった」


 僕の家に入り込んだのと、同じ手口ってわけだ。


 当然、人間の村に入り込んだ吸血鬼が、いつまでも大人しくしているはずがない。終わりは、ある日突然に始まった。


「いよいよどの家にも入れるようになったから、だろうな。彼女は、本性を現した。ひとり、またひとり。アンナターリエは村人たちの血を次々に吸いつくし、殺していった。歯向かおうとすれば、赤ん坊よりも簡単に殺されたよ」


 そうして、クルトたちの村は一夜にして、彼らを残し、ほぼ全滅した。ほんの数時間の間の出来事だったという。


「君たちは、よく無事だったね」


 そう訊ねると、クルトは首を横に振る。


「ダグバはそのとき、たまたま村を留守にしてた。俺は……見逃されたんだ」


「見逃された?」


「ああ。俺はアンナターリエを相手に、手も足も出なかった。すぐに押さえつけられ、血を吸われた。けれど、そこで急に彼女の様子が変わったんだ。俺に、勇者の血が流れてる、って言い出して」


「勇者の血?」


「あとで知ったよ。俺はどうやら、五人の灰祓いのうちのひとり、ベレグオストの末裔だったらしい」


 思いもよらない話に、僕もポラッカもサーリャも、ぽかんと開いた口が、揃って塞がらないままになってしまった。


 だって、仕方がないだろう。伝説に謳われる五人の勇者、その中でも稀代の名剣士だったというベレグオストの末裔が、目の前にいるだって? 出来の悪い三文小説みたいな話だ。


「冗談でしょ?」


「俺だっていまだに信じられないんだ、冗談だったらどれほどよかったか」


「いやでも、だからってなんで、アンナが君を見逃すわけ? むしろ厄介の種は、早めに摘んでおきそうなものだけど」


「さあな」


 クルトは肩を竦め、どこか遠くを見る。


「また私に会いに来い、とか言ってたけどな、あいつは」


 ウリエラの件にしてもクルトの件にしてもそうだが、いまいちアンナがなにを考えているのか、掴み切れないところがある。


 娯楽なのか、それともなにか計画があるのか。会って聞いてみないことには、なにもかも謎のままだ。


 ただいずれにしろ、クルトが灰祓いの勇者の血を引いている、というのは、どうやら冗談ではないようだった。


「前にセルマが、勇者がどうとか口走ってたのは、そのことだったんだね」


「あのときは口が滑ってしまいました。余計な尾ひれがつかないように、クルト様の血筋のことは、不用意に人に話さないと決めておりましたのに」


 そりゃ当然だ。勇者の血筋なんて、どんな面倒を招くか分かったものじゃない。


 ともあれ。そうして、故郷を血の海に沈められたクルトやダグバのもとに、セルマがやってきた。セルマは村を襲った吸血鬼の正体を明かし、ともに討伐に乗り出すことにしたのだという。


「よく一緒に旅に出る、なんて決められたね。もとはと言えば、対処に失敗した教会のせいもあると思うんだけど」


「セルマにも言われたけど、そりゃお門違いだろ。教会に不信が募らないって言ったら嘘だけど、セルマが直接足を引っ張ったわけでもない。それに、セルマはいいやつだ。ひとりでアンナターリエを追わせるなんて、それこそできないしな」


 本当に、こいつは。


 善意に付けこまれ、結果的に村を滅ぼされたっていうのに、まだ人の善性を信じていられるなんて、底抜けのバカとしか言いようがない。


「こういう方なんです。だからこそわたくしは、教会ではなく、クルト様について行くことを決めたのですから」


 やがてクルトたちは、ガストニアに辿り着く。そこで、道中で出会ったダナや、やはりクルトたちと同郷で、学院に入学していたヘレッタと共に、冒険者としてアンナターリエを探していた、というわけだ。


 それにしても。


「じゃあ、クルトがアンナを追うのは、復讐?」


 クルトは、すぐに首を横に振った。


「違う、危険だからだ。憎い気持ちは否定できないけれど、それ以上に、もう誰も彼女の犠牲にしたくないんだ。だから俺は、アンナターリエを追ってる」


 そうだろうね。クルトなら、きっとそう答えると思っていた。


 あるいは、その気質こそが、勇者の血筋ってやつなのかもしれない。クルトを主人公にした叙事詩は、それはそれは、優しく勇敢な英雄の物語になることだろう。


「こういう方なんです」


 セルマはまたそう言って、心からの敬愛を籠めて、クルトを見つめる。


 僕は、やっぱり彼とは相容れないと、芯から確信していた。



 ウリエラの生まれ故郷に辿り着いたころには、もう日が沈みかけていた。


 小さな農場だ。木々や草の香りに、たい肥の匂い。そして、燃える木材の。焦げ臭いにおい。家畜たちの、騒がしい鳴き声。


 異常は遠目にも、すぐに察せられた。柵に囲まれた放牧地の向こう側が、やけに明るく照らされていたからだ。家屋がひとつ、まるごと燃えている。


「嘘でしょ……ウリエラ!」


 マズルカがトオボエに指示を出し、大急ぎで馬車を走らせる。急いだところで、見えている結果は変わらない。


 ウリエラの生家は、炎に包まれている。とてもじゃないが、中に誰かがいたとして、無事だとは思えない。じゃあ、ウリエラは?


 いくらゾンビと言えども、肉体の損傷が大きくなれば、死体と魂を繋ぐ魔術が途切れてしまう。そして、全身が一気に焼かれる炎は、リビングデッドの天敵だ。


「ウリエラ、ウリエラ!」


「待て、マイロ!」


「けどウリエラが!」


 駆け出そうとした僕の腕を、マズルカが掴んで止める。その目は、僕のことも、燃える家のことも見ていない。


「あれ。思ったより遅かったですね、マイロ先輩」


 燃え盛る家の前に立って、悠然と振り返るアンナを……吸血鬼アンナターリエのことを、睨みつけていた。


◆---◆


お待たせしました。

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