第89話:ウリエラを追いながら
がたがた。がたがた。
馬車の荷台が街道の轍に揺れるたびに、僕の身体もがたがたとゆすられる。膝が小刻みに揺れるたびに、安普請の床板がぎしぎしと軋む。
「マイロくん、大丈夫?」
不意に横から、大きな影が覗き込んだ。
マズルカよりも、クルトよりも、一番大柄だったダグバよりも、さらに大きな影。窮屈に背を丸めていてもなお、幌馬車の屋根に頭がついてしまいそうな、金の髪の女の子。
サーリャだ。彼女も一緒にウリエラを追いかけるため、家の屋根も、壁も、土台ばかりを残してすべての材木を取り込み、移動できる身体を作った。その結果、身の丈が僕の倍以上もある、巨大な女の子になってしまったのだ。
当然、着れるような服なんてなく、胸元や腰回りだけ、肉ではなく木の肌にして誤魔化している。
「大丈夫って、なにが?」
「足、さっきからずっと動いてる」
大きくなったサーリャの手に指さされ、ようやく気付いた。
床板をぎしぎしと軋ませていたのは、貧乏ゆすりをする僕の脚だ。
「少し安心した」
今度は向かいから、クルトが妙なことを言ってくる。
「安心って、なにが」
「ウリエラのこと、心配で不安なんだろ。だから安心したんだよ」
クルトはなにを当たり前のことを言っているんだろう。ウリエラは家族なんだ。得体の知れない吸血鬼と一緒にいなくなったら、心配するに決まっている。
いったい、ウリエラの身になにがあったんだろう。アンナの目的はいったいなんだ? ウリエラはアンナに連れ去られてしまったのだろうか。けれど、彼女の故郷に行く理由がわからない。あるいはまさか、ウリエラは自分の意志で、僕のもとから出て行ってしまった?
死霊術師は死体を仲間にできる。けれど、リビングデッドたちがなにをしているのかなんて、把握できるわけじゃない。ウリエラに、あるいは状況に置いて行かれてしまった僕の中には、しんしんと不安が降り積もっていくばかりだった。
ウリエラになにかあったら。いや、もしもウリエラに、僕の仲間でいることを拒否されてしまったら。
とにかくウリエラを追いかけ、連れ戻さないと。
そう即断してクルトたちに同行したのはいいものの、追跡はとにかく遠回りの連続だった。
転移魔術の使える人間がいない僕らは、まずダンジョンの第13階層から大急ぎで地上に出るのに、丸一日を要している。おまけに、明らかに普通の生き物ではないトオボエやサーリャを衛兵に止められ、ダンジョンを出るだけでひと悶着だ。学院でヘレッタの伝手を頼ってウリエラの出身地を突き止め、移動用の馬車を用立てるのに、さらに半日。
そこからようやく、半日かかるというウリエラの故郷へ向け、馬車を転がしているのがいま。すぐにもウリエラのもとに行きたいのに、ままならない現状が、僕にいらいらと足を刻ませる。
「落ち着いてください、マイロ様。不安はわかりますが、トオボエ様のおかげで、進みは普通よりも早いくらいですから」
「そうそう、最悪ヤバい吸血鬼と対決になるんだから、いまのうちはどっしり構えて、身体を休めておこーよ」
向かい側でセルマやダナが口々に宥めてくる。そんなこと、わかってるけれど。
セルマの言う通り、馬車の進みは、普通よりもずっと早い。というのも、僕らが乗っている馬車を曳いているのは、馬ではなくトオボエだ。
本当であれば、馬車と共に馬も借りるつもりだった。だが馬がトオボエを怖がってしまい、馬車を曳かせることが出来なかったのだ。ならばいっそのこと、トオボエに曳いてもらおう、となったわけだ。
これは正解だった。トオボエは馬よりもずっと力があり、疲れも知らないダイアウルフのゾンビだ。マズルカが御者台に座って制御してやれば、トオボエは馬よりもずっと早く、休む必要もなく馬車を曳いてくれている。
「ウリエラおねえちゃんなら、きっと大丈夫だよ」
サーリャと反対隣のポラッカが、手を握ってくれる。ひんやりとしたゾンビの体温が、少しだけ気持ちを落ち着けてくれた。
「ありがとう、ポラッカ」
いまは焦っても仕方がない。なにか別のことを考えよう。
「そういえばさ。クルトたちはどうして、アンナのことを追ってたの」
「え、なんだよいきなり。言っただろ、あいつは危険な吸血鬼なんだって」
「聞いたよ。でも、僕らは吸血鬼アンナターリエ、なんて聞いたことなかった。それをどうして、クルトたちが追っているのって話」
灰色王の配下にいた吸血鬼の復活なんて、ダンジョン並みに世間に知らされていてもおかしくない話だ。なのに、いままでちっともそんな噂は聞いていない。
話せよ。目で圧をかけてやると、クルトは首筋を掻きながら、左右の仲間たちの様子を窺っている。
「話しちゃってもいいんじゃない? マイロたちももう巻き込まれてるわけだし」
「異論はありませんよ」
ダグバも無言で首肯している。
「なら、セルマ。話してくれるか?」
最後にクルトがセルマを見ると、修道士はこくりと頷いて返した。
「構いません。ここで教会に義理立てしても、得られるものはありませんから」
それからセルマは、僕らの方に向き直り、穏やかな口調で語り始める。
「もともと、最初にアンナターリエを追っていたのは、わたくしなのです。わたくしは教会の巡礼部という、かつての灰色王との戦いの中で、浄化されずに討ち取られたアンデッドの……つまりアンナターリエのようなものの復活を予見し、阻止するための部署におりました」
「へえ。そんなところがあったんだ」
「ええ。ですが、教会は失敗しました。巡礼部は、アンナターリエの復活を察知していたにも関わらず、功を求める本属の聖騎士団の横やりが入ったのです。結果として、対応の遅れた巡礼部は、アンナターリエの復活を許した挙句、彼女に皆殺しにされました。唯一、見習いの身であったが故、教会との連絡役に当たっていたわたくしを除いて」
どうやら教会の権威主義は、同じ組織の中でも軋轢を生んでいるらしい。おかげでセルマたちのような人間が、しわ寄せを食らうというわけだ。
けれどそれで、教会がアンナの存在を公表しなかった理由もわかった。そんな話が公になれば、教会の立場はますます悪くなる。
「それ以来、わたくしは特命を受け、逃亡したアンナターリエを追っていました。正直に言えば、なぜわたくしが、とも思ったものです。もっと他に適任がいるのでは、と。しかしわたくしは、アンナターリエを追う旅の中で、運命に出会ったのです」
なんとなく、その運命とやらがなんなのかは、予想がつく。
「それが、クルト様です」
やっぱりね。
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