第88話:黒魔術師ウリエラ(4)
けたたましい雄鶏の鳴き声で目を覚ましたウリエラの、久方ぶりの故郷での朝は、ダンジョンの家でのそれと比べれば、ずいぶんと早く慌ただしいものだった。
夜が明けきるよりもずっと早く、牧草や、動物たちのふんの匂いに包まれながら着替えると、すぐに母親に呼びつけられる。
「水を出して、火を点けられるかい? やっておくれよ」
魔術師からしてみれば、簡単な仕事だ。
それが終わると、次は父親と兄に呼びつけられる。
「家畜の餌やりと、厩舎の掃除だ。魔術を使えば簡単だろう?」
いくらでもできる。餌やりは手作業だが、ゾンビとなったウリエラには、造作もない。掃除はもっと楽に終わる。魔術で水と風を起こしてやれば、半分ほどしか使われていない厩舎は、すぐにきれいになった。
この頃になると日が昇り、全員で朝食を食べる。卵と硬いパンの、質素な食事だったが、ちっとも気にならない。
朝食が終わるとまた母親に呼びつけられる。
「裏の牧草を刈っておいで。ついでに、納屋の掃除もしておきな」
風の魔術は、いとも簡単に草を刈りはらっていく。納屋の埃だってなんてことはない。ゾンビとなったウリエラは、埃を吸い込んで咳き込むことすらなかった。
これが終わったら、次は薪割りをして、暖炉に火を入れ、家の掃除をして、また家畜たちに餌をやったら、夕食になる。
次々に任される仕事は、どれもこれも単純で、ダンジョンに家を建てたち、偽りの夜を作り出すことに比べれば、子供の手伝いよりも簡単な仕事だ。
それでもウリエラは、充実した心地で、仕事に取り組んでいた。家族の一員として迎え入れられ、必要とされている。ウリエラが求めていた確かな実感が、杖を握る手に力を与えてくれた。
こんな風に、マイロ様が求めてくれたなら。
納屋の埃を吹き払いながら、過った不満を、頭を振って追い出す。マイロのせいじゃない。自分の実力不足がいけないんだ。しかもこんな、家出まがいのことまでして。
あれ。私は家に帰ってきたけれど、もう何日の間、家に帰ってないのだろう。
「お忙しそうですね」
「ッ!?」
慌てて振り返ると、いつからそこにいたのか、アンナが目を細めて笑っている。
「アンナ、さん。いったいどうして、」
「いかがですか、久しぶりのご実家は」
どうして自分の故郷を知っているのか。どうして自分をここに連れて来たのか。どちらを聞こうか迷った隙に、アンナに口を挟まれ、ウリエラは疑問を飲み込んだ。
「よかったですね、歓迎してもらえたみたいで。それでさっそく、家族のためにお仕事ですか。ウリエラさんらしいです」
よかった、のだろうか。確かに、絶対に嫌悪されていると思っていた家族に、こうして迎え入れてもらっていることは、嬉しくないわけではない。
だが、なにもかもが不可解過ぎた。
「て、手紙を送ったのは、アンナさん、ですか」
どうにか絞り出したのは、少し焦点のずれた疑問だった。
「おや、さすがにバレましたか。その通りです。突然帰省しても、驚かせてしまいますからね。ちゃんとウリエラさんを、万全に出迎えてもらえるように計らいました」
「……なんの答えにもなってないです」
「そうですね。でも、ウリエラさんに気付いてもらうために、必要でしたから」
「な、なにを」
「どうしていまさら戻ってきたあなたが、家族として迎えてもらえたのか」
どうして。
いくつも浮かんだ疑問の中で、それは間違いなく、最大のものだった。
どうして、ずっと望まれていなかったはずの自分が、こうして迎え入れてもらているのか。どうして、自分を売り払ったはずの両親が、何事もなかったかのように、自分を娘として扱ってくれるのか。どうして、いつも自分を疎んでいた兄が、
兄が? 兄たちではなく?
「あれ……?」
自分にはもうひとり、兄がいた。だがウリエラが帰ってきてからというもの、上の兄は一切姿を見せていない。食卓を囲むときも、ウリエラを入れて、常に四人しかいなかった。
どういうことだろう。
黙考から顔を上げると、納屋にはもう、誰の姿もない。白昼夢でも見ていたような心地に、ウリエラは首を傾げながら納屋を出た。
思えば、他にも妙なことはある。
家畜の数が、遠い昔の記憶よりも、ずっと少ない。かつてこの農場では、厩舎にいっぱいの家畜たちがいたはずだ。それがいまは、半分に満たない。
出された食事も、豪華だったのは最初の晩だけだ。ここ数日食べたものと言えば、卵と、硬いパンと、水のようなスープばかり。ウリエラは問題ない。けれど、他の皆は、あれで働けるのだろうか。
そもそも、家族たちはみな、ウリエラが働いている間、なにをしているのだろう。母親が料理をしている姿以外は、見た覚えがない。
一度気になると、疑問は次々に湧き上がってくる。
家に戻り、テーブルを囲む家族を前にしても、違和感が消えることはなかった。
「遅かったじゃないか。さっさと座りな、食べたらまだ仕事があるんだよ」
母親が厳しい声音で急かし、ウリエラの席に叩きつけるように皿を置く。
「まったく、いつまでトロトロやってるんだ」
「愚図なのは変わらないな」
あれ? みんなはいつから、こんな風に私を苛むようになったんだったろう。
ひどい違和感。自分は家族として迎えてもらったはず。
「あ、あのね、お母さん」
「あん? なんだい」
「わた、私たちは、家族、だよね……?」
「いまさらなにを言ってるんだい。あんたは私たちの家族に決まってるだろう」
そうだ。そのはずだ。じゃあ。
「じゃ、じゃあ。兄さんは?」
食卓に、一本の線が張り詰めた。
「俺がなんだってんだ」
「ち、違う。上の、兄さんは」
「死んだよ」
母親が、冷たく言い捨てた。
「去年、病でね。親不孝な子だよ。ただでさえうちの家計はギリギリだって言うのに、医者代だの薬代だの使わせて。冗談じゃないよまったく」
「え、そ、そんな」
そんな話、一言も聞いていない。
「まあ、でももう関係ないさ」
やけに明るい声で、父親が言った。
「代わりにウリエラが帰ってきたんだからな。しかも便利な魔術を使えるようになってな。あのとき売り払っておいて正解だったぜ」
「おやめよ、あんた」
「なんだよ、本当のことだろ。ウリエラ、お前にはこれからも、うちのために働いてもらうからな」
ウリエラは、声を出せなかった。
確かに自分は、必要とされたかった。でも、これじゃあ、まるで。
「それより」
兄が煩わしそうにウリエラを見る。
「いつ寄越すんだよ」
「え、な、なにを」
「金だよ、金」
なにを言っているのか、わからなかった。
「稼いだんだろ? ナントカ級冒険者とかになって。早くその金を寄越せよ。こっちは、いつまた家畜を減らさないといけないか、ギリギリなんだから」
「おお、そうだそうだ。そろそろお前の稼ぎを寄越すんだ。持ってるんだろう?」
「なん、で?」
「はあ? なにを言ってるんだい、お前は」
母親が、かつてウリエラを叱責し、疎んでいたのと同じ目で、睨んだ。
「決まってるだろ、家族なんだから! 四の五の言わずに、さっさと出しな!」
違う。
違う、違う違う。
「家族の言うことが聞けないのかい、ウリエラ!」
そんなの、家族じゃない。
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