第87話:招かれた招かれざる客
「彼女の本当の名前は、アンナターリエ。二百年前、灰色王率いる闇の軍勢に与し、世界を恐怖に陥れた吸血鬼です。アンデッドとして不死の命を持っていた彼女は、当時すでに、高度な黒魔術や催眠術の使い手として知られ、諸国連合との戦いでも猛威を振るっておりました」
セルマの説明は、完全に僕の理解の範疇を超えていた。アンナが吸血鬼で、灰色王の配下だったって?
トレントゾンビに道を開けさせ、クルトたちを広場に案内しながら、僕は話について行くのがやっとだった。ただ、ひとつだけわかった。
「催眠術……」
僕がアンナの言うことをほいほい聞いてしまっていたのは、それか。
「連合軍との激闘の末、アンナターリエは灰祓いの勇者たちによって討ち取られました。ですが、マイロ様もご存じかと思いますが、勇者たちの中には……」
「聖職者がいなかった。だから、アンデッドだったアンナターリエの魂は浄化されず、いまになって復活した……ってこと?」
セルマは重々しく頷く。
「数年前、アンナターリエは再びこの世界に舞い降りました。ある村を滅ぼしたのち、すぐに人々の間に身を潜めるようになりました。クルト様とわたくしたちは、そのあとを追ってこの街に辿り着いたのです」
なんだそりゃ。まるで英雄譚の頭出しじゃないか。
「俺たちはずっと、アンナターリエが潜んでると思って、ダンジョンに潜ってた。けれどギルドが、アンナって冒険者の捜索依頼を出したんだ。学院の生徒を名乗って、存在しない冒険者が活動してるって。それで俺たちも気付いた。それがアンナターリエだろうって。理由はわからないが、彼女はお前に近づこうとしてる」
「待ってよ、仮にそうだったとして、なんでそんな面倒なことを? 催眠術が使えるなら、さっさと僕のところに来て、操っちゃえばいいんじゃないの」
「催眠術と言っても、なにからなにまで言うことを聞かせることが出来るわけじゃないですから。ほんの少し、人の気持ちの方向を誘導するんです。真実の中に混ぜたひとかけらの嘘を、信じ込ませるように。そのためには、下準備が欠かせません」
だとしてもだ。僕に近づこうって言うなら、力づくで押し入ることだって、
「あ」
足元を見る。小川にかかっている、橋。
有名な話だ。吸血鬼は、流水を渡れない。招かれないと、家には入れない。僕は、彼女を招き入れてしまった。彼女を遮っていた川に橋を架け、渡らせてしまった。
「嘘でしょ、じゃあ本当に、アンナは吸血鬼?」
「信じられないかもしれないが、本当の話だ。マイロ、お前、いったい彼女となにがあったんだ?」
「知らないよ! アンナはある日、突然僕の前に現れたんだ。それ以前に接点なんて、どこにも……」
いや、まさか。
「ああ、クソ、そういうこと? だから僕に近づいてきた?」
「なにか心当たりがあるのですか?」
セルマに問われれば、頷くしかない。吸血鬼に目を付けられる理由はわからない。けれど、死霊術師に目を付けられる心当たりなら、ひとつだけある。
「たぶん、ゲオルギウス……変異グールの一件だ。あの騒ぎには、裏で糸を引いてた死霊術師がいたんだ。僕以外のね」
「なんだって? そんな話、一度もしてなかっただろ」
「言ってないよ、君らに言う理由がないし。でもそんな厄介な相手の注意を引いたとしたら、それしかない。しかもそれが、君らの因縁の相手とはね」
ふざけた話もあったもんだ。なんでクルトたちの話に、僕らまで巻き込まれないといけないのか。
「それで、アンナターリエはどこにいるんだ?」
「あいにく僕たちも、彼女を探そうとしてたところ」
川を渡って広場に入り、僕らの家が見えてくると、さすがのクルトたちも足を止め、目を丸くしている。
「うわ、すっごー」
「ダンジョンの中に住んでる、とは聞いていたが」
「どうやって、こんな立派な家……」
いまはそれを、いちいち説明している場合ではない。
「あ、戻ってきた。おにいちゃん……と、クルトくんたち?」
「またお客さん来たの? マイロくんって、意外と友達多いんだね」
家の前で待っていたポラッカとサーリャもまた、クルトたちの姿に目を丸くする。
だから、断じて友達とかではないってば。それよりも。
「二人とも、ウリエラとアンナは戻ってきた?」
期待はしていなかったが、やっぱり二人とも首を横に振って答える。ああもう、どこに行っちゃったんだよ、ウリエラ。
「ねえ、なにがあったの?」
「あとで説明するから、ちょっと待ってて。こうなったら……トオボエ! ウリエラがどっちに行ったか、わかる?」
けれどトオボエは、ウリエラの名前を聞くと耳を伏せ、しっぽを丸めてしまう。本当にウリエラってば、なんでこんなにトオボエに怖がられてるのさ。
マズルカたちでも同じことはできるかもしれないが、野生に近い肉体を持つトオボエの鼻の方が、ずっと鋭敏だ。
「頼むよトオボエ、いまは一刻を争うんだ。あとでおやつあげるから、ね」
必死で宥めて懇願して、トオボエはようやく動き出してくれる。玄関口から地面に鼻をつけ、花壇の方へ向かって歩き出す。
やがて花壇の奥で立ち止まると、きょろきょろと周囲を見回してから、一声吠える。ここで行き止まり、ってことだろうか。
「どういうことだろう。ここからはどこにも繋がってないのに。まさか、転移? でも、ウリエラの転移門はこっちには作ってないのに」
「少し、いいですか」
ヘレッタが歩み出て、目を瞑って意識を集中させる。魔術の痕跡を探っている。
邪魔をしないように、そっとクルトに訊ねる。
「彼女、転移の痕跡を探れるの?」
「探れるように特訓したんだ。アンナターリエは、ほとんど無尽蔵に転移門を開けるからな」
厄介過ぎる。そんな相手を追いかけようと思ったら、そりゃあ転移の跡くらい追跡できなければ話にならない。
ヘレッタはすぐに目を開けて、深刻な顔で頷いた。
「間違いありません、アンナターリエです」
ああもう、なんてこった。
「じゃあ、やっぱりウリエラも一緒に?」
「はい、二人転移していますから、ウリエラで間違いないでしょう」
「行先は?」
「転移門周辺の景色しかわかりませんが、どこかの農場のようでした。思い当たるところはありませんか?」
農場? そんなところには、なにも縁がない。
いや、でも。僕にはなくても、ウリエラにならある。
「前に聞いたことがある。ウリエラはもともと、農場の生まれだったはず。でも、アンナの目的はなに? 僕じゃなくて、どうしてウリエラを?」
ゲオルギウス再討伐に関わった僕を狙うなら、いくらでもチャンスはあったはずなのに。
「それはわかりません。でもウリエラの出身地なら、学院で聞けばわかりますね」
クルトたちは顔を見合わせ、頷きあう。そして、僕を見た。
「俺たちはアンナターリエを追う。マイロ、あんたはどうする」
どうする? そんなの、決まってる。
「ウリエラを連れ戻す。彼女は僕の、家族なんだ」
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