第86話:来客、再び
飛び出していったウリエラをアンナが追いかけて、どれくらい経っただろうか。もう家の外では日が傾いて、夜が迫りつつある。
「うん、いい感じかな」
火にかけた鍋の中身を匙ですくって、味を見る。悪くない。中身は昨日狩った鹿肉を、野菜とともに煮込んだポットローストだ。
ここのところは料理も、ずっとウリエラに任せきりだったから、久しぶりに腕を振るっているのだ。戻ってきたウリエラに作ってもらうわけにはいかないし、なにより彼女に、暖かいものを食べさせてあげたかった。
しかし、結構しっかりと煮込んだのだが、まだウリエラたちは戻ってこない。
「二人とも大丈夫かな。まさか、ダンジョンにまで出て行っちゃった?」
「それはない、と思いたいが」
「うんん……いいにおいがして、おなかすいてきちゃった」
そろそろウリエラたちに戻ってきてもらわないと、ポラッカの我慢が限界に近づいてきている。
「サーリャ、二人がどうしてるかわかる?」
「待っててね、ちょっと見てくる」
そう言って、サーリャの身体が床に溶け込んでいく。サーリャは家の中のことならすべて把握できるらしいが、家の外については、意識を表に出さないとわからないらしい。いまはきっと、屋根の上にでも身体を作っているのだろう。
もうテーブルの準備もしてしまうか。
そう思って食器棚に向かっていると、リビングの床が蠢いた。戻ってきたサーリャは、訝しげな表情で首を傾げている。
「どうだった?」
「あのねマイロくん、二人ともどこにも見当たらないの」
「え?」
まさか、本当に広場からも出て行ってしまった? でもそれなら、アンナが一言伝えてくれてもよさそうなものなのに。
「でね、それとは別に、広場の外に誰か来てるみたいなの」
「誰か来てる? 冒険者が近づいてきたってだけじゃなくて?」
「うん。なんだか、マイロくんのこと探してるみたいだった」
僕を探してる?
こんなところに、この短期間に二度も来客が来るなんて、嫌な予感しかしない。しかも、今度は本当に心当たりがない。バルバラ商会だって、なにか用があったとしても、次の注文のときに伝えればいいはずだ。
いったい誰だろう。
「マズルカ、一緒に来てくれる? ポラッカとサーリャは、ここで待ってて」
「わかった。トオボエは連れていくか?」
「お願い」
「わたし、弓の準備しておくね」
「わ、私も、なにかあったらいつでも助けに行くから」
みんな本当に、心強い。
疑問と不安を飲み込みながら、マズルカと、外にいたトオボエと共に広場の入り口へ向かう。川を渡って、道を塞いでいるトレントゾンビのもとへ行くと、確かに人の気配がする。ひとりじゃない。何人かいる。
耳をそばだてると、話し声が聞こえてきた。
「あれ、誰か来たみたいだよ」
聞き覚えのある声だ。少し子供っぽい、女の声。
「本当か? おい、聞こえてるか? そっちにマイロはいるか?」
「クルト?」
いけない。聞こえてきたまさかの声に、思わず返事をしてしまった。
「マイロか! よかった、いてくれて。ここを開けてくれないか」
そういうクルトの声音には、どこか緊張の色が見える。少なくとも、遊びに来たわけじゃなさそうだ。なにせ僕らの間には、決定的な亀裂がある。
「いったいなんの用? まさかと思うけど、やっぱりフレイナの件が許せないとでも言いに来たの?」
けれどクルトの反応は、思ってた以上に苛烈なものだった。
「違う! そのことも忘れたわけじゃないが、もっと緊急の話なんだ!」
「緊急?」
「ここに、アンナって冒険者が来なかったか?」
思わずマズルカと顔を見合わせる。どうしてクルトの口から、アンナの名前が出てくるんだろう。
どうもクルトの言う通り、ただ事ではない気配を感じる。
トレント越しじゃ話しづらい。お互いの顔が見える程度に、道を開ける。久しぶりに見たクルトは、声色の通り、鬼気迫った表情をしている。
「アンナがどうしたの?」
「やっぱり来たんだな。あいつはいま、どこにいるんだ」
「こっちの質問に答えてよ。アンナになんの用事? いきなりやってきて、そんな物々しい雰囲気で人の居所を訪ねるなんて、不躾すぎるんじゃないの」
「いいから教えてくれ! あいつは危険なんだ!」
クルトの言葉に、むっとしてしまう。クルトは、そういう偏見を持たない人間だと思ってたのに。
「彼女が死霊術師だから? 僕の後輩に向かって、ずいぶんな言い草だね」
するとどうしてか、クルトたちは怪訝な表情で顔を見合わせている。なんだ? なにかおかしなことを言っただろうか。
「マイロ、アンナという死霊術師は、あなたの後輩なんですか?」
クルトの横から顔を出したヘレッタが、静かな口調で訊ねてくる。
「そうだよ、それがどうしたっていうの」
「いつからですか」
「は?」
「彼女はいつから、あなたの後輩だったんですか」
いつからって、おかしなことを聞く。僕もアンナも、学院の生徒で、しかも死霊術科に所属しているのだ。彼女が入学してきたときから、研究室で顔を合わせている。
「本当にそうですか? よく思い出してください。あなたがアンナと最初に会ったのは、いつ、どこですか」
「最初にって、そんなの……」
そんなの、学院の中だ。研究室に新入生が入ってきたとき……いや、違う。冒険者になってからは、それほど授業にも研究室にも顔を出していない。そもそも、死霊術科に新入生なんて、ほとんど入ってこない。いくら生きた人間に興味がない僕だって、同じ死霊術科の人間くらいは覚えている。アンナとは、死霊術科では会ったことがない。
じゃあ、どこだ。いつ?
「『智識の安置所』」
「え?」
マズルカが、険しい顔で呟いた。
「学院の図書館の地下。アタシは、あそこで会ったのが初めてだ。マイロ、もしかして、お前もそうなんじゃないのか」
「智識の安置所。そうだ、僕は……マズルカと一緒に匿われたときまで、アンナに会ったことなんかなかった」
けれど確かに、彼女は僕の後輩で……後輩? 違う、おかしい。アンナがそう言っていただけだ。だって僕は、学院で彼女に会ったことなんてないんだから。
「だ、だからなんなのさ。僕がアンナを知ったのはつい最近だけど、単に僕があんまり学院に顔を出していなかった、ってだけの話でしょ?」
そうだ、別になにもおかしな話じゃない。アンナが僕の後輩であることには、変わりがない。はずだ。
でもまだ、なにか違和感がある。
「マイロ。ひとつ、ずっと気になっていたことがある」
「え、なに?」
「アタシたちは、マイロが隠し場所を知っていた鍵を使って、裏口のドアを開けて、図書館に入ったよな?」
「うん、それが?」
「アンナは、その鍵を使わずに、どうやってあそこに入り込んでいたんだ」
あ。
どうして、いままで気付かなかったんだろう。図書館の開館中からずっといた? いや、あり得ない。入出館は名簿で管理されている。夜間忍び込むしかないはずだ。
「ま、待って、待って。いったいなに、どういうこと?」
「マイロ、落ち着いて聞いてくれ。俺たちはギルドからの依頼と、俺たち自身の理由があってアンナを追っている」
ますます意味が分からない。ギルドとクルトたちが、アンナを追っている?
「アンナなんて冒険者も、生徒もいない。彼女は、アンデッド。吸血鬼なんだ」
情報量が多すぎる。
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