第83話:反省会

 結局。


 僕はバルバラ商会のお抱え冒険者になる、という契約書にサインを入れた。入れざるを得なかった。あの場であの状況をひっくり返せるような手札なんて、僕はもっていなかった。


「はああああ……」


 で、いまはこうして、自宅のリビングで頭を抱えている。


「もう本当に最悪。どうせなにかの形で難題ふっかけてくるだろう、とは思ってたけど、まさか飼い殺しにしてくるなんて」


 あのあと、必要な買い物をして、学院の裏手でポラッカとトオボエと合流して、それから家に帰ってきた。はずなのだけど、あんまりにも憂鬱で、正直ほとんど記憶にない。買い物、ちゃんとできてるだろうか。


「ごめんね、マイロくん。私のせいで、そんなことになってるなんて」


 顔を上げると、隣に寄り添ってくれているサーリャは、いっそ僕よりも憂鬱な顔をしていた。


 いけない。確かにきっかけはサーリャにあるけれど、ここで僕が嘆いていたら、彼女を責めているようなものだ。


「僕こそごめん、そんなつもりじゃないんだサーリャ。むしろ、僕の考えが甘かったんだ。安易にバルバラ商会なんか頼ったのがよくなかったんだよ」


「でも……」


「今回のことは、アタシにも落ち度がある。ロドムという男を見誤っていた。直接見たことがあったのに」


 正面にいたマズルカが、苦い顔で呻く。


「抜け目ない男だと思ってはいたが、アタシは商人の考え方というものを知らなかった。ああも利己的に他人を使おうとするとは。それが解っていれば、止めたものを」


「マズルカまで。違うって、もう」


 誰が悪いかと言えば、とどのつまり僕が悪いのだ。


「僕は、サーリャや僕らの問題を自力で解決しようとしないで、バルバラ商会を巻き込んだんだ。これはそのしっぺ返しだよ。みんなが気に病むことじゃないから」


 なにもかも、僕の弱さが招いたことだ。


 息を吐きながら、天井を仰ぐ。


 本当に、僕は弱い。


「どうしようかな、これから」


 甘い見通しで言うならば、バルバラ商会もいきなり法外なノルマを課してはこない、と思いたい。それで僕が潰れてしまえば、ロドムの言う投資も無駄になる。達成できるギリギリの注文が入るのだろう。


 だが、それが延々と続く。延々と使われ続ける。しかも面倒なことに、三日に一度はアナグマ亭に赴き、商会からの注文を確認しなければならない。


 冗談じゃない。僕はそんなことのために、ダンジョンで暮らしてるんじゃない。


「ともあれ、しばらくは従うしかないかな」


「そうだな。いきなり反故にすれば、それこそなにをしてくるかわからない」


「うん。だけど……」


 あるいは、そろそろ決断の時期なのかもしれない。


 僕はダンジョンの中で、生きた人間の世界との関係を断ち切って、死体のみんなと暮らしていきたい。なのにいつまでも、未練がましく地上の社会の恩恵に頼りながら、日々を過ごしている。


 このままじゃ、どっちつかずの半端もののままだ。


 いい加減、心を決めるべきだろうか。


「も、申し訳ありません、マイロ様……」


 ぼんやりと今後の身の振り方を考えていると、誰より深刻な顔をしたウリエラが、おずおずと歩み出てきた。


「え、ウリエラまで、どうしたの」


「わ、私にもっと力があれば、あの場で全員焼き払えるくらい力があれば、お役に立てたのに」


「待って待って、なんでそうなるの。そんなことしたら、それこそめちゃくちゃになっちゃうよ」


 固く杖を握り締めた両手。


 俯いた顔。


 落ちた肩。


 ウリエラはすべてを震わせ、怯えたような眼差しを、足元に落としている。


「で、でも、私にはそれしかないのに。私には黒魔術しかないのに、マイロ様のために戦えなかったら、私は」


「ウリエラ、やめて!」


 ウリエラの肩が跳ね上がった。僕も、自分の荒げた声に少し驚いた。


「……僕は、ウリエラにそんなこと、望んでない」


「ッ……」


 僕はただ。


「あ、ウリエラ!」


「おっと……?」


 ウリエラは踵を返し、ちょうど入ってきたアンナと入れ違うように、リビングを出て行ってしまう。


「ただいま戻った、んですけど、なにかありました?」


「あとで説明するから! いまは、」


 ウリエラを追わないと。


 だが席を立ちかけた僕の胸を、アンナが軽い力で押し戻す。


「アンナ?」


「なんか深刻そうですし、私に任せてもらえません? ウリエラさんの話、聞いてきますから」


「いや、でも」


「感情的になってるときに、当事者同士で話したりしない方がいいですよ。ね?」


 アンナの紫の目が、僕をまっすぐに見つめる。


 確かに、ウリエラは間違いなく思い詰めている様子だった。それに、僕もバルバラ商会とのことで、少し気が立っているかもしれない。


 あんな風に怒鳴りつけてしまったし。


「……じゃあ、お願いしてもいい? ウリエラ、ここのところずっと、なにか悩んでたみたいだし」


「わかりました、それも聞いてみますね」


「ありがとう、よろしくね」


「いえいえ。これは私からマイロ先輩への、贈り物ですから」


 贈り物とは、どういう意味だろう?


 首を傾げる僕を置いて、アンナは手を振ってウリエラを追いかけていく。なんにしても、彼女がウリエラにとって、いい相談相手になってくれればいいのだけど。


「みんなもごめんね、変な空気にしちゃって」


「いや、平気だ。ウリエラは抱え込みがちなようだからな。ときには吐き出すことも必要だろう」


「そ、そうそう。ほら、話題変えよ! ポラッカちゃんはトオボエとのお散歩、どうだったの?」


 サーリャがわざとらしく、明るい声を出す。こういうとき、彼女のちょっと能天気な振る舞いは、空気を換えてくれる。


 だが、話を振られたポラッカは、ずっとなにかを考えこんでいる様子で、サーリャの言葉にも反応を示さない。


「ポラッカちゃん?」


「どうした、なにかあったのか?」


「え?」


 マズルカにも呼ばれ、はじめて気付いたように顔を上げる。そういえば、ポラッカとトオボエも、合流したときから妙に大人しかったような気がする。


「あ、ううん。なんでもないよ。トオボエもすっごくはしゃいでて、わたし、何度も振り回されちゃったくらいだもん」


「えー、なにそれめっちゃ元気じゃん。私もトオボエと遊んでこようかなあ」


「いいんじゃないか? トオボエは、木の棒を齧るのが大好きだからな」


「それ私が齧られる側じゃん!」


 冗談を言うマズルカとサーリャと一緒に笑いながら、ポラッカはちらりと僕を見た。どうしたんだろう。


「マイロおにいちゃん」


「うん、なに?」


「マイロおにいちゃんは、マイロおにいちゃんだよね?」


 それは、どういう意味だろう。


「えっと……?」


「ううん、やっぱりなんでもない!」


 突然の問いかけに戸惑っていると、ポラッカは誤魔化すように笑った。

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