第78話:黒魔術師ウリエラ(1)
トレントゾンビ・ログハウスの地下にある研究室は、家の主たるマイロの研究室であり、同時にウリエラの研究室でもある。
この部屋で並んで机に向かっている時間、あるいは二人で額を突き合わせて議論している時間は、自分がマイロの役に立てている実感を得られる、なにものにも代えがたいひと時だった。
いまはその地下室に、ひとりで籠っている。マイロはリビングで、アンナと語り合っている。ウリエラと話すときよりも、ずっと熱を込めて。
仕方がないことだ。
マイロとウリエラは同じ魔術師だが、専攻が違う。お互いの分野に応用できる部分があったとしても、基本的には門外漢同士だ。死霊術師同士であるマイロとアンナのように、お互いの持っている技術を高めあうことは難しい。
だからウリエラは、自分にできることでマイロの役に立つしかない。
例えば黒魔術師は、水の元素を操れる。ウリエラの夜、マイロがそう呼ぶ星天儀と同じように、魔術具でこの広場の天候を変化させられないだろうか。それが出来れば、植物の生育も変わってくる。
しかし、天候操作は星天儀よりも、術式が複雑で多くの魔力を要求される。サーリャには荷が重い、どころの話ではない。複数の魔術師が共同で術式を走らせ、ようやく達成できる規模の魔術なのだ。
どうにかして簡略化できないだろうか。難しいのはわかっている。できてしまえば、黒魔術の教科書を書き換えなければならない偉業だ。
それでもウリエラは、マイロの役に立ちたかった。ウリエラにできることは、それしかないから。
「あ、ほんとにこっちにいた。ウリエラ、なにしてるの?」
「マ、マイロ様……!」
ウリエラは慌てて振り返る。集中していて、全く気付かなかった。いつの間にか、マイロが地下室の戸口に立っていた。
「これ、なんの術式?」
なんら気負いなく歩み寄ってきたマイロが、机に顔を寄せ、ウリエラの手元を覗き込む。すぐ近くにマイロの熱を感じ、ウリエラの動かないはずの鼓動が、ひとつ高鳴った気がした。
「あ、あの、て、天候操作の、魔術具を作れないかと思って」
「天候操作? すごい、ほんとに? でもあれって、かなり大がかりな術式じゃなかった?」
「はい……まだこのままでは、到底使えそうもなくて……すみません」
「え、どうして謝るの?」
マイロが振り返る。間近で目線がぶつかり、ウリエラはつい、顔を背けた。
「黒魔術は詳しくないけど、これが簡単じゃないことくらいわかるよ。ウリエラはすごいよ。僕が黒魔術師だったら、取り掛かろうとも思わないかも」
違う、そんなことはない。すごくなんてない。なのに。
「でも無理はしないでね。ゾンビだから疲れないのはわかってるけど、心にだって休息は必要なんだから。家のこともやってくれてるんだから、頑張りすぎないでね」
なのにどうして、そんなことを言うんですか。私には、これしかないのに。
ウリエラにとってマイロは、絶対的な存在だった。
自分をあの、パーティメンバーとは名ばかりで、ケインたちに弄ばれるばかりの日々から連れ出してくれた、唯一無二のひと。
だからこそ、ウリエラはマイロの役に立ちたい。マイロに役に立つと思ってもらいたい。そのはずなのだ。
けれど自分には、なにもできない。マズルカたちのように戦う力もなければ、サーリャのように豊かな身体もない。せいぜい、黒魔術が使える程度。
なのに、頑張らなくていいだなんて、どうしてそんなことを言うんですか。
「マイロ様……私は、私はもっと、マイロ様のお役に立ちたいです」
「え、うん、ありがとう。でも、ウリエラはもう十分、欠かせない存在だよ」
そうじゃないんです。とは言えなかった。
「は、い……ありがとう、ございます」
ウリエラは俯いた。マイロはそんなウリエラの態度に、首を傾げる。
「ねえ、ウリエラ?」
そっと呼びかけられ、ウリエラはわずかに顔を上げ、マイロを見上げる。
「何度か言ってるんだけどさ、なにか思うところがあるなら、遠慮なく言ってね」
いいのだろうか。
サーリャはよく、もっとマイロに甘えればいいのに、なんて言ってくる。ウリエラにはサーリャのような魅力はないし、彼女のように依存的でもない。そんな自分をさらけ出す、勇気もない。
けれどマイロは、要求してくる。自分を見せてくれと。
「あの、その、ひとつだけ」
「うん、なあに?」
「マイロ様は、どうして私を……」
喉が詰まる。言葉が出てこない。言えない。怖い。きっと口にすれば、なにもかもが壊れてしまうから。
「ウリエラ? 大丈夫?」
「ぁ、だ、大丈夫です。すみません、やっぱりなんでもありません」
「え、ちょっとウリエラ?」
マイロの前に立っていることも出来ず、ウリエラは席を立ち、踵を返した。後ろから呼び止める声にも振り返らず、戸口へ駆ける。
「ウリエラ!」
叫ぶような声に、足が止まった。目を伏せるように振り向き上目で窺うと、マイロは戸惑ったような顔で、ウリエラを見つめている。
俯きがちな目に、月の銀の髪がかかる。
そうだ。この髪も、この身体も、杖も、すべてマイロがくれたものだ。マイロはなにもない自分に、たくさんのものをくれた。居場所、力、目的。だから私は。
「マイロ様、私は、マイロ様のものです。すべて、あなたのものですから」
自分に言い聞かせるように告げ、深く頭を下げて、地下室を出る。
マイロの顔は見れなかった。
どうしてなのか自分でもわからないまま、ウリエラはマイロの前から逃げることしかできなかった。
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