第76話:慣れない食卓

 サーリャたちに言った言葉は、冗談でもなんでもなく、僕には友達なんて呼べる相手はいない。誰かの家にお茶をしに行ったこともなければ、誰かをお茶に呼んだこともない。


「んー、美味しいですね。ウリエラさん、料理の才能ありますよ」


「お、お口にあったならよかったです」


 だから、誰かの家にずかずかと上がり込んで、お茶どころか、夕飯まで同席しているアンナがどういう神経をしているのか、理解不能にもほどがあった。


 ウリエラも、いきなり一人前増やしてくれなんて頼まれて、困惑していた。本当にごめん。あとでちゃんと埋め合わせしなきゃ。


「いいですねー、マイロ先輩。こんなかわいいゾンビさんたちに囲まれて、誰の目も気にせずのんびりできるなんて、ウハウハじゃないですか」


「君も大概くつろぎ過ぎだと思うんだけど」


「そんなことないですよー。こんなにしゃんとしてるじゃないですか」


 確かにアンナは、ダイニングの食卓にぴんと背筋を伸ばして座り、きれいな所作でウリエラの用意してくれた夕食に舌鼓を打っている。食器は音ひとつ立てず、喋るときも、口にものを入れたままにすることはない。相当しこまれたテーブルマナーだ。


 テーブルに並んでいるのは、木彫りの食器や、いつものジャガイモや塩漬け肉のソテーなのに、まるで貴族の食事風景でも見ているようだった。


「それにしても、先輩も考えましたね。トレントゾンビで家を作っちゃうなんて」


 アンナは一度手を止めると、感心した様子で家の中を見回す。彼女がどういうつもりかわからないが、褒められて悪い気はしない。


「しかもそこに人間のゾンビも組み込んじゃうとは、なかなかできない発想ですよ」


「最初はトレントだけだったんだけどね。サーリャに新しい身体をあげようってことになって、こうなった」


「ふふ、結構便利だよこの身体。家の中に居れば、マイロくんがどこでなにしてるか、いつでもわかるし」


 とのことらしい。見られて困ることもないので、気にしてはいないが。


「え、じゃあ先輩のえっちなところも見放題じゃないですか」


「それがさ、誰ともシないんだよマイロくん! こんなに女の子に囲まれてるのに!」


 なんの話してるのほんとに。


「そういう事情ばら撒くのやめようよ!」


「だってー」


「だってじゃないよ」


 ここ最近、こんなことばっかりだ。どうして男と女で一緒に暮らしているだけで、そういう話に繋げられなければいけないのだろう。


 女と見れば誰かれ構わず手を出すような、そんな連中と一緒にしないでほしい。


「なんで手を出さないんですか?」


 アンナが、テーブルに頬杖をついて僕を見つめている。紫の目で。


「死体には興奮できないですか? それとも生者と死者が繋がるべきじゃない?」


「なにを」


「それとも……誰かいるんですか? 心に決めてる人」


 なんだ。なんでそんなこと、聞かれないといけないのだろう。でも、みんなの視線も集まっている。ウリエラも、マズルカも、ポラッカも、サーリャも。紫の目が。


 興奮するかどうかと言われても、僕は死霊術師で、裸の死体だって見慣れている。いまさら裸くらいで、興奮したりしない。いや、そうじゃない。彼女たちに欲情できるのかと言われているんだ。できる。でもしたくない。僕はあいつらと同じになりたくない。


 それに、心に決めてる人なんて、僕には。


-ばうっ!


「あっ」


 外でトオボエが、一声吠えた。


「いっけない、わたしトオボエのごはん、まだあげてなかったっ」


 ポラッカが慌てて駆け出していく。


「……あのね、ひとんちで夕飯食べながら、いきなりなに言い出してるのさ」


「すみません、そういうのが気になるお年頃なもので」


「いけしゃあしゃあと……」


 僕は背もたれに深くもたれ掛かる。なんだかすごい緊張した気がする。


「ごめんなさいってば、マイロ先輩」


「あの、ところでアンナさん」


 おかしそうに笑うアンナに、ウリエラがおずおずと声をかける。


「なにか、依頼を請けてダンジョンに来たのでは……?」


「そうだよ。君、目的があって潜ってるんでしょ。いつまで居座るつもりなの」


「あー、それなんですけどね」


 本気なのか演技なのか、すっかり忘れていたみたいな顔で、アンナは手を叩く。


「これがまた本当に面倒くさい依頼でして」


「素材収集とか言ってたけど、なに採ってこいって?」


「マンドラゴラなんですよ、これが」


「うわ」


 思わず呻いてしまう。そりゃ面倒くさい。


 マンドラゴラは、各種霊薬などにも使われる、薬草の一種だ。青い花を咲かせ、人の形をした根を持ち、引き抜くときに悲鳴を上げる。その悲鳴を聞いた人間は、精神を壊され、死に至るという危険なシロモノである。


 死霊術師は、マンドラゴラの採取にもよく駆り出される。聞いたら死ぬ悲鳴も、ゾンビなら関係ない。


 だから、仕事自体は大して難しくないのだが、マンドラゴラはとにかく希少だ。


 人の血を多く吸った大地に咲く、というマンドラゴラだが、このダンジョンの中では、樹海ゾーンでごくごく稀に発見される。モンスター扱いで出現しているのか、あるいはどこからか舞い込んできて根を張っているのかは、いまだに判明していない。


 探索中に見つかればラッキーだが、これを探せと言われると、ひたすらダンジョン内を彷徨する羽目になり、引き受けたがる人間は滅多にいない。


 探索のためのリソースは、決して無限ではないのだ。


「なんでまたそんな仕事請けたの」


「報酬がよかったんですよ。でももう、ここに来るまででへとへとなんで、明日から頑張ります」


 ああそう。


 いや待て。


「まさか、泊まるつもり!?」


「え、先輩まさか、出て行けっていうんですか。こんな夜更けに、女の子ひとりで外に……?」


「広場を出たら昼だよ!」


「知ってますって、冗談ですよ。でも、ここを拠点にさせてもらえると、マンドラゴラ探しも楽になるんです。軒先でいいんで、貸してもらえたら嬉しいんですけど。食費はお返ししますし。同じ死霊術師のよしみで」


 いきなりそんなこと言われても、困る。同じ死霊術師を邪険にしたくないのは、確かだけれど。ウリエラに転移門で外に送ってもらって……ダメだ、また翌日ここまで下りて来なくちゃいけないのでは、意味がない。


 正直、前までの僕だったら、問答無用で追い出していたと思う。


 けれどいまは、ちょっとそうしにくい。サーリャの一件以来、僕がそうやって排他的に人に接している姿を見せると、みんなが不安になるらしい。そう知ってしまったから。


 ああもう、仕方ない。


「わかったよ……でも寝床は自分で用意してよね」


「あは、ありがとうございます。マイロ先輩。大丈夫ですよ、ひとり分の寝具くらい、用意してますから」


 あれ。


 でも彼女、どうやってここまでひとりで来たんだろう。

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