第72話:夜が来る

 くるり。サーリャが回る。


 ふわり。金の髪と、スカートが舞い上がる。


「身体の調子はどう、サーリャ?」


「うん、すごくいいよ。歩くだけでも、すごく軽くなったみたい」


 家の地下の研究室。サーリャは椅子に座った僕の前で、ワンピース姿で、楽しそうに、踊るように回ってみせてくれる。その背中から一本の根が伸び、天井の梁に繋がっている。


 表情は屈託がなく、冒険者パーティに入ってきた頃よりも、幾分幼さが増したように見える。


 もしかすると、こっちがサーリャ本来の表情なのかもしれない。


「マイロくん」


「ん?」


「ありがとね、新しい身体」


 サーリャは背中から伸びる根に手を添え、天井の梁を見ながらつぶやいた。


「どういたしまして。気に入ってもらえたなら、よかったよ」


 目の前で命を落としたサーリャを、僕は家へ持ち帰り、リビングデッドにした。彼女に約束した通り、新しい身体を与えてだ。


 その新しい身体というのが、僕らの住んでいた家、ログハウスになっているトレントゾンビだ。以前考案した通り、エンバーミングの術式は、人間であれトレントであれ、死体ならば問答無用でつなぎ合わせることが出来た。


 一度ログハウスのトレントを死体に戻し、サーリャを核にすべての死体を繋ぎ合わせた。筋線維と樹木の繊維を縒り合わせ、骨と枝葉を接ぎ、表皮と樹皮を縫い合わせるように。


 その結果、サーリャはゾンビとしては驚異的な能力を得た。


 トレントはもともと、己の枝や根を自由に動かす能力を持っていた。しかし本質的に、トレントの幹や枝や根の間に、厳密な区別はない。繊維の塊のようなものだ。サーリャが核に入ることで高い思考能力を得ると、己の肉体を自在に組み替え、好きな形態を取ることが可能になったのだ。


 例えばいまのように、ログハウス部分は残したまま一部の繊維を縒り合わせ、人間の肉体を模倣することもできる。ただ質感に関しては、肉と木の間でしか切り替えられない。いま来ている服は、以前ポラッカのためにと買ったものだ。


 そしてさらに、身体全体が超高密度の魔力構造体という、高出力な魔術師の杖でもある。本人の覚えているわずかな白魔術も、大幅に増幅して使用できるおまけ付き。


 もう彼女は、人間でも、トレントのゾンビでもない。アルラウネ。植物に属する高位精霊の名前を借りて、そう呼ぶことにした。ちなみにその気になれば、ログハウス丸ごと使って、人間の身体を作ることも出来るそうだ。たぶん巨人になっちゃうけど、とサーリャは言っていたが。


 なんだか、えらく強力なゾンビが出来上がってしまった気がする。


「ね、ね、マイロくん」


「どうしたの、今度は」


 彼女がゾンビになって一晩。つまり、僕らに共通する因縁に片を付けて一晩。


 サーリャの状態を観察するため、いろいろと検査をしてみたけれど、いまのところ肉体的にも精神的にも問題はなさそうだった。けれど、なにか気になることでもあっただろうか。


「私、ここに居てもいいんだよね?」


 と思ったら、なんだか今更なことを聞いてきた。


「もちろんだよ、そう言ってるじゃない」


「……ふふ。うん、ありがと、マイロくん」


 もうこのやり取りも何度か繰り返しているが、まあいいか。サーリャはそれが聞きたいのだろう。彼女は死んで、自分に素直になった。なら別に、その気持ちに水を差すことはない。


「いくらでも居てくれていいよ。それに、なにか特別なことをする必要もない。君はもう僕の仲間、僕らの家族なんだから。というか、もう君は僕たちの家なんだから、居てもらわないと困るな」


「そっか、私がいないと困るんだ。ふふふ」


 含み笑いをするサーリャ。言わせたいだけなんだろうなあ。


 僕にはやっぱり、人の心があんまりよくわからない。ただ、彼女がいま喜んでいて、だいぶ舞い上がっていることくらいは、わかるようになったと思う。


 だから、そんなに悪い気はしなかった。


「ねえ、マイロくん」


「はいはい、今度はなに?」


「キスしていい?」


 こういうのは例外。


「だからそういうのはいいってば! したくないこと、無理にしようとしなくて!」


「したくないことじゃないもん! むしろ私、マイロくんとしたいなって思ってるよ。キスも、それ以上のことも」


「なんで!? 君、僕のこと嫌ってたでしょ!?」


「いまさらそんなこと言う!? もうマイロくんのこと、そんな風に思ったりなんかしないもん! そりゃ、最初はパパから逃げるためだったけど、ここまでいろいろしてもらって、嫌いでいられるわけないじゃん」


 やっぱり僕には、人の気持ちなんて、さっぱりわからない。


 それに。


 もし僕が、最初にそういうことをする相手を選ぶなら。


「だから、ね? マイロくん」


「ちょちょちょちょ、待って、待ってってば」


 じりじりと迫ってくるサーリャの手を、どうにか掴んで止めるけれど。


「力が強いなもう!」


 アルラウネの膂力に僕なんかが勝てるはずがなかった。


「……なに、してるんですか?」


 救いの手は、地下室の入り口から差し伸べられた。


「ウリエラ、よかった! サーリャを止めてー!」


「ちぇ。もう術式刻み終わったの、ウリエラちゃん?」


 二階でサーリャの身体に術式を刻んでいたウリエラが、僕らのことを呼びに来てくれたらしい。っていうかサーリャ、絶対ウリエラが来てるの気付いてたはずなのに。


「はい、もう終わりましたけれど……サーリャさん、まさかマイロ様のこと、襲って……?」


「違いますー。マイロくんにお礼、しようとしてただけだもん。ね、マイロくん?」


「いや、襲われてたよ、確実に」


「あー! マイロくんまでそんなこと言うの! べーっだ!」


 頬を膨らまして舌を出すと、サーリャの身体はするするとほどけ、天井の梁へと同化していく。ついでにワンピースも一緒に吸収されていく。どこに収納してるのか気になるところなのだが、聞いても教えてくれなかった。


 いまはそれよりも。


「……あ、あの、もしかしてお邪魔でしたか、マイロ様」


「ううん、とんでもない。ほんとに助かったよ、ありがとねウリエラ」


「いえ……でも、その、本当に困っていましたか……?」


「え?」


 困っていたけれど、どういうことだろう。そうは見えなかっただろうか。


「あ、いえ、あの、す、すみません、私なんてことを。申し訳ありません、決してマイロ様を疑っているわけではなくてその」


「あはは、鼻の下伸ばしてるように見えちゃったかな……」


「そ、そんなことはありません、本当に!」


 だったらいいんだけれど。


 なんとなく気恥ずかしくて、ウリエラの顔を直視できない。ちらりと窺うと、ウリエラも俯いて、なんだか気まずそうにしていた。


 いろいろと、ウリエラと話したいことがあった気がする。はずなんだけれど、どうしてか彼女を前にすると、上手く言葉が見つからない。なにを聞きたいんだったっけか。わかっているはずなのに、わからなくなってしまう。


 怖い?


 ふと浮かんだ言葉が、鎖のように僕の心を縛り付ける。なにが怖いのだろう。怖いことなんて、なにもないはずなのに。


「あ、あのさ、ウリエラ」


「は、はい!」


「術式、出来たんだよね。ありがとうね」


「い、いえ、とんでもありません」


 ウリエラが刻んでいた術式とは、もちろん以前話した、この広場に夜を作るための術式だ。魔力源の問題は、サーリャを繋いだことで解決した。これでこの家は、サーリャの身体を魔力源として機能する、巨大な魔術具にもなるのだ。


「それで、その、外の時間に合わせると、もうすぐ日が沈みます。良ければ、上にあがりませんか?」


「ほんとに? もちろん行くよ」


 席を立って、ウリエラの手を取る。


「あ……はい」


 階段を上がって庭に出ると、すでに空の様子が違う。ずっと白くぼやけた色だけが見えていた枝葉の天蓋の向こうには、わずかに雲の散った、青が覗いている。だが、周囲は木々の影が濃い。ウリエラの言う通り、日が傾きつつある。


 庭には、もうみんなが集まっていた。マズルカとポラッカ。二人のそばに座り込んだトオボエ。テラスの淵には、サーリャが腰かけている。術式はサーリャが発する魔力で自動的に稼働するため、サーリャ自身は特に意識することなく機能するらしい。


 みな、空を見上げていた。僕も隣のウリエラと一緒に、空を見上げる。


 だんだん、空の色が変化していく。一方の青に赤が混じり始め、もう一方ではより青が色濃くなる。夕暮れ。だけど、真上しか見えないこの場所では、本当に一瞬だ。あっという間に空は夜に飲み込まれ、濃紺の中にちらちらと星が瞬いている。


 気付けば、辺りは真っ暗な闇に包まれている。


「……ウリエラの夜だ」


「……はい」


 繋いだままだったウリエラの手を、わけもなく、ぎゅっと握る。かすかな力が、握り返してくれた。


 この手を離したくないな。


 ダンジョンの中で、家族たちと幻の夜空を眺めながら僕は、わけもなくそんなことを考えていた。


◆---◆


第二章完結です。ここまでお読みいただきありがとうございます。

次章は次章として、サポーター限定コンテンツも用意しようか考えています。


よろしければ、感想や評価を頂けると嬉しいです。

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