第71話:騎士ケイン(3)

「おい、まだか」


 ケインは苛立ち紛れに、繰り返し地面をつま先で叩く。急かすケインの言葉に、字面を検めていた女が、不愉快そうに振り返った。


「あんたがそうやって口を挟まなけりゃ、さっさと終わるんだけどね」


「だったら早く、連中がどっちに行ったか調べろ、のろまが」


 男は舌打ちをして、地面に顔を戻す。


 彼女はアーダムが用意した、お抱えの暗殺者のひとりだった。短剣使いの盗賊にして、追跡者。かすかな足跡や痕跡を探し出し、狙った相手がどちらへ向かったのか、まるで見ていたかのように読み解くことが出来る。


 複雑怪奇なダンジョンの中で人を探そうとすれば、追跡者の存在は必須だ。幾人もの冒険者やモンスターが、繰り返し行きかうダンジョンの中では、素人には追跡はおろか、痕跡を見つけ出すことさえ困難だ。


 その点、アーダムの用意した追跡者は優秀だった。サーリャが血を流しながら逃げていた間はもとより、それが途絶えたあとも、マイロたちの足跡をごく短時間で見分け、追跡し続けている。


 だが追跡者を知らないケインにとっては、自分を苛立たせる愚鈍な女でしかない。


 アーダムが用意した暗殺者は、彼女のほかにも二人。男の戦士と魔術師がひとりずつ。獲物をダンジョンで追跡するのに、必要なだけの戦力だ。いずれも腕は立つが、ケインにとっては、自分に敬意を払わない生意気な連中だった。


 同時に暗殺者たちは、娘が誰とパーティを組んでいたのか知らないはずのないアーダムに、サーリャと共にケインも殺すように指示を受けていたが、ケインは知る由もない。


 彼はただ、マイロをどう追い詰めて殺してやるかしか、考えていなかった。


「こっちよ」


 追跡者が分かれ道で右を示し、慎重に追跡していく。相手がこちらに気付いていれば、どう待ち構えられているかわからない。暗殺者たちはそう主張する。


 臆病な連中だ。どう罠を張っていたところで、所詮マイロたちのやることだ。死体を操るしか能のない死霊術師に、いつまでも貧弱な魔力しかなかった黒魔術師に、脳みその足りない死にかけの白魔術師。


 多少ゾンビの数が増えたところで、なにができるはずもない。ケインは、そう確信していた。


 獣道を直進していくと、道は川にぶつかる。奥にはもう、行き止まりの広場しかない。追い詰められ、絶望している姿を思い浮かべ、唇が吊り上がる。


 だがその手前で、追跡者は足を止め、怪訝な顔をして地面を睨んだ。獣道は、掘り返されたように荒れている。ダンジョンの中ではよく見る痕跡だ。


「連中はこの先ね。でも、なにかしら、これ」


「どうした」


「さっきまでここに、トレントがいた。でも、例の死霊術師たちが来て……いなくなった。戦ったわけじゃない。ただ、いなくなってる」


「どういうことだ?」


「わからないわよ。死霊術師ってモンスターも操れるんでしょ。ならトレントは、そいつのゾンビだったのかも」


 だったら、面白い。ケインはほくそ笑む。マイロたちはどうやら、よっぽど慌てているらしい。自分の周りをゾンビに守らせて、対抗しようっていうのか。


「トレントまで操れるなら、面倒だな」


 及び腰な戦士の言葉に、ケインは鼻を鳴らす。


「どこがだ。トレントくらい、焼き払えばいいだろう」


 暗殺者たちが舌打ちするが、気にすることはない。連中は雑魚だ。早く、泣いて許しを請う姿を見ながら、殺してやりたい。


「とにかくさっさと行くぞ」


 獣道を進み、小川を渡り、広場に入る。


 ケインたちはまたしても、足を止めることになった。期待していた光景は、そこになかった。ただ、奇妙な景色が広がっている。


「なんだ、ありゃ」


「家? まさか、ここダンジョンの中よ?」


「どうやってあんなものを」


 広場には、一軒のログハウスが建っている。周りには、作りかけの花壇や畑。森の中の隠れ家のようだ。ここがダンジョンの中でさえなかったなら。


 ダンジョンに暮らす。馬鹿げた話をする、バカな死霊術師。まさか、本当に暮らしているとは。


 ケインの裡に怒りが湧く。ダンジョンの中に住むなど、どうせ粗末なテントで寝起きするのが精々のはずだったのに。これは、暮らしだ。地上と変わらない生活が、確かに営まれている。


 俺の両腕を奪っておいて。こんなところでのうのうと暮らしているなんて。


 すべてぶち壊してやらなければ。


 玄関が、開いた。


「あっ」


 暗殺者の誰かが声を上げる。


「マイロ……ッ!」


 ケインからすべてを奪った死霊術師が、煩わしそうにこちらを一瞥して、また扉を閉める。


 怖気づいたか、臆病者め。


「待て、マイロ!」


「おい、ちょっと待て!」


 すぐに追いかけようとして、戦士に止められる。


「なんのつもりだ。早くヤツを捕まえるぞ。この家から引きずり出して、目の前で火を放ってやる」


「落ち着け。連中の住処だぞここは。どんな罠があるかわからない。おい、気配はするのか」


 戦士が魔術師を振り返る。魔術師は杖に意識を集中しながら、眉を顰める。


「いる。あの家からゾンビの気配がする……だが」


「だが、なんだ」


「これは……どういうことだ。どれだけいるのかわからない。気配が、多い。いや、大きい?」


「役立たずが」


 これだから魔術師は。ケインは吐き捨てて、ログハウスへ向かって歩き出す。慌てて追跡者を務めていた盗賊が前に出た。


「私が先に行く」


「……腰抜けめ」


 盗賊がログハウスのドアに張り付き、慎重に罠の有無を確かめる。


 鍵穴は見当たらない。足元やドアの取っ手にも、おかしなところはない。手鏡で様子を窺いながらドアを開けても、別段、なにも危険なものは見つけられなかった。


 盗賊が手招きし、ケインたちは慎重に、ログハウスの中に足を踏み入れる。


 中は思いのほか、広々としている。暖炉に、かまどに、テーブルやイス。生活に必要なものはすべてそろっている。それがますます、ケインの神経を逆なでする。


 罠を警戒して盗賊が先頭に立ち、いつでも戦闘に入れるよう、ケインと戦士がそれに続く。最後尾は魔術師だ。


 ばたん。ドアが閉まる。


「あ。くそっ、そういうことか、みんなマズい、この家自体かぺっ」


「おい、どうした……?」


 魔術師が奇妙な声を上げたが、ケインたちが振り返ったとき、そこには誰の姿もなかった。なんの痕跡もなく、誰の気配もない。いまのいままで、すぐ後ろにいたはずなのに。


「あいつ、どこに行った? 一緒に入ったよな?」


「知るかよ、逃げたんじゃないのか」


「そんなわけないでしょ! ちょっと、どこにいるの! 返事してよ!」


 盗賊は、閉められた玄関を開け、顔を覗かせる。玄関口から、体半分を外に出だし、いくら周囲を見回しても、魔術師の姿は見つからない。


「ねえ! どこにいっ」


 玄関が、閉まった。


「なっ!?」


「は?」


 室内に残された盗賊の身体の半分が、ずるりと床に崩れ落ち、おびただしい量の血だまりを作っていく。かすかに、外から女の悲鳴が聞こえた。


 もしかすると、千切れた上半身には、意識が残っていたのだろうか。ケインはぼんやりと、そんな場違いなことを考えた。


「なんだこれは、おい、どうなってる。お前の仲間だったんだろ!」


 激昂した戦士に詰め寄られても、ケインにはなにもわからない。死霊術師に、こんな力があるはずがない。


「知るか……なんだこれ、なにが起きて」


「聞いてるのはこっちだ! 雑魚みたいな魔術師しかいないって言ったのは、お前だろ! 話が違うぞ!」


「俺が知るかって言ってんだろ! だいたい、魔術師以外には戦士とダイアウルフしかいないって言ったのは、そっちの盗賊だろうが!」


「ふざけるな、貴様のせ」


 戦士の身体が、沈んだ。


「なんっ、がああぁぁあぁ!? ぎ、く、食われ、たすけっ」


 ばりばり。ばきばき。めきめき。


 ぽっかりと口を開けた床板が、吸い込むように、咀嚼するように、しつこく開閉を繰り返し、戦士の身体を刻んでいく。


「お、おい、なにしてる……なにしてるんだよ」


 理解の及ばないケインの目の前で。戦士は、足から噛み砕かれ、飲み込まれ、最後に右腕だけが、反射的につかんだケインの手の中に残っていた。


「おい……?」


 食われた? この家に? 家が人を食うってなんだ。そんな話、聞いたことない。


 戦士の腕を握ったまま、ケインは必死で、いまの状況を理解しようとした。


 危機的状況のなせる業だろうか。ケインはこのとき、唐突に答えに辿り着いた。ダンジョンの中に建つ家。死霊術師。どこかへ消えたトレント。人を食う家。


「まさか。この家そのものが、トレントのゾンビ……?」


 背筋が泡立つ。自分はいま、化け物の腹の中にいる。


「ふ、ふざけるな! 出せ! 冗談じゃない!」


 右腕を放り捨て、玄関ドアに飛びついても、ドアはちっとも言うことを聞かない。開かない。押しても引いても、びくともしない。いや待て、ドアの前に残っていたはずの盗賊の下半身は、どこだ?


 後ずさり、ドアから距離を取る。人の身体を寸断できるドアから。だが、床さえも人を食らう。逃げ場など、ない。


「マイロォッ! どこにいる! 出てこい! 殺してやる!」


 ケインは剣を抜き払い、血走った眼で視線を走らせる。いない。どこにもマイロの姿はない。出てくる様子もない。だったら、壊してやる。


 所詮は木材だ。剣で破壊できないはずがない。


 ケインは剣を振り上げ、振り下ろそうとした。


 振り下ろせなかった。


「あ?」


 腕に、なにかが絡みついている。なんだこれは。木の枝? 根?


「ぁがああぁあぁぁッ!」


 どこからか伸びてきた根が、腕を締め上げ、耐えきれず手から剣が落ちる。外れない。左手でいくら引っ張っても、根をはがすことが出来ない。


 やめろ、折れる、曲がる、せっかく取り戻した腕なのに。


 ぼきん。


「あああああ!」


 右腕が折れた。同時に左腕にも根が巻き付く。右脚にも、左脚にも。四方から引かれ、千切れそうになるまで広げられる。あたかも、磔刑に処されるように。


「あんまり、人んちでぎゃあぎゃあ騒がないで欲しいんだけどな」


 面倒くさそうな、ひどく場違いな、声が、ケインの耳に届く。


「マイ、ロ」


 いつからそこにいたのだろう。このログハウスの家主が、ケインからすべてを奪った男が、死霊術師のマイロが、前に立っていた。


「や、ケイン。久しぶり。なにしに来たの?」


「ふざ、けるな。離せ、殺してやる」


「そんなに恨まれるようなこと、した覚えないんだけどな」


 いけしゃあしゃあと、とにかくはた迷惑そうに顔を顰めるマイロに、目の前が赤くなる。掴みかかろうとした。殴りつけてやりたかった。腕も足も拘束され、それは叶わなかった。


「お前のせいで俺は、腕も金も、すべて失ったんだ! お前が俺の腕を奪ったから! すべてお前のせいだ!」


「違うって、モンスターだよ、君の腕を奪ったのは。僕にもう仲間じゃないって言ったのも、君の方が先だよ」


「黙れェ!」


 ケインの口からまき散らされた唾を、マイロは心底迷惑そうに見つめた。


「まあ、なんでもいいんだけれど、僕よりも君に用があるって仲間がいるからさ、挨拶してあげてよ」


 なにを言ってる。ふざけるな。俺が用があるのは。


 引き留めようとするよりも早く、なにかが動いた。ログハウスを構築する木材が蠢き、枝を伸ばし、根を絡め、なにかを形作っていく。


 なにか、人の形のような。


 絡み合った木々は色を変え、姿を変える。豊満な胸、長い金の髪、惜しげもなく晒された素肌。何度も抱いた身体だ。


「サー……リャ?」


「ケイン。さっき私、すごく痛かったんだよ」


 なんだいまのは。木々が絡まり、サーリャになった。意味が分からない。どうなってる。まだ生きていたのか。いまのが人間のはずがない。


「でも見て、ケイン。マイロくんがね、新しい身体をくれたの。すごいでしょ。この家ってね、全部がトレントのゾンビなんだよ。私は、そのトレントと混ぜ合わせてもらったの」


 意味が、わからない。なんでサーリャは笑っている。


「マイロくん、なんて言ってたっけな。そうそう、アルラウネのゾンビ、なんだって。もうケインに嘗め回された、汚い身体じゃないよ。ケインはいま、私の胎の中にいるのよ」


 意味が、わからない。なんでさも素晴らしいことかのように、そんな気持ちの悪い話ができるんだ。人間とモンスターの死体を混ぜ合わせるだなんて。


「ひっ」


 サーリャに手を差し伸べられ、ケインは慄いた。サーリャの手は、優しくケインの頬を撫でる。それが余計に、おぞましかった。


「ケインのおかげだよ。ケインのおかげで私、マイロくんに、ここに居ていいって、言ってもらえたんだ」


「は、離せ、寄るな化け物! イカれてる、お前もマイロも、狂ってる!」


「あー……あんまり、そういうこと言わない方がいいよ。あの子、マイロくんのことバカにされると、すごく怒るから」


 あの子?


 いつの間にか、マイロの隣に、もうひとりいる。


 黒いローブ。小柄な体躯。長い杖。朱い目。知っている顔だ。何度も呼び出して玩具にした、貧相な身体。ただ、その銀髪だけは、見たことがなかった。


「ウ、ウリエラ、なのか、お前」


「あなたは」


 その口からは、聞いたことのない声音だった。


「ずっと私を、弄んでいましたよね。好きなときに呼んで使える、はけ口にしていました。ほかの二人と一緒に、何度も何度も。申し訳ないと思っていたんです。私はずっとあなたたちの言いなりで、マイロ様に頂いたものに、気付けていなかった」


 なんだ、なにを言っている。なんの話をしているんだ。


「あなたたちは、何度も穢しました。マイロ様がきれいだと仰ってくれた、私の身体を。それにマイロ様のことも、ずっとバカにしていました。私は沈黙していることしかできなかった。なのにマイロ様は、私を仲間だと言ってくれたんです」


 なにもわからない。ひとつだけ確かなのは、こいつもやっぱり、狂っている。


「その清算をさせてください。よろしいですか、マイロ様?」


 ケインはようやく気が付いた。


 ウリエラは、自分に話しかけていたわけではない。ずっと、マイロに話しかけていたのだ。自分の生殺与奪権を、マイロから受け取るために。


「や、やめろ、ふざけるな。マイロ、なんとか言え! こいつらを止めろ!」


「え、なんで?」


「なんで、って……お前の仲間なんだろ! やめさせてくれ、頼む! お、俺たちだって仲間だっただろ? 五年も一緒に戦ってきたじゃないか! み、見てくれほら、腕も治ったんだ、だからお前のことも許してやるから。だから」


 マイロは、首を傾げた。ケインの言葉が、理解できないかのように。


「それ、助けてって意味?」


「あ、ふざけ、きま、決まってるだろ! 助けろよ! こいつら頭がいかれてる! お前なら止められるんだろ! 早くしろ! ぶっ殺すぞ!」


「んっとさ、君の言う通りなんだよ」


 マイロは、まるで優しく言い聞かせるような口ぶりで、宙を見ながら話す。


「ウリエラたちは僕の仲間で、君は仲間だった……つまりもう仲間じゃない。どっちかのお願い聞いてくれって言われたら、僕は仲間の方を優先するよ。当たり前でしょ? 僕は君のこと、どうでもいいし」


 好意と憎悪は、相反する感情ではないのだという。突然入れ替わることもあれば、両立することもある。同時に存在しうる感情だ。


 マイロはケインに対し、その対極にあった。無だ。彼はケインを、炉端の石ころほどにも興味を抱いていない。


 怒り、絶望、恐怖。ぱくぱくと開け閉めすることしかできない口から、ないまぜになった感情が喘ぎとなって漏れ出してくる。


「それにね」


 不意に、本当に唐突に、マイロは笑った。心底嬉しそうに。


「ウリエラが自分からなにかやりたいって言ってくれるの、本当に珍しいんだ。だから、好きにさせてあげたくなるに決まってるじゃない」


「ぁ……あの、あ、ありがとうございます、マイロ様」


「よかったね、ウリエラちゃん。でも、炎は使わないでね?」


「はい、マイロ様のお家を燃やすようなことは、しませんから」


 もうなにもわからなかった。


 彼女たちがなにを、そんなに嬉しそうに話しているのか。今日の夕食の準備を任せられたみたいに、なにを話しあっているのか。わかっても、わからなかった。


「やめろ、いやだ、近づくな! 離して、助けてくれよ! 頼むお願いだ! 俺が悪かった、謝るからやめてくれどうかやめ、い、ぎ、やあ、いやだああああああああ」


 こうして、ケインは死んだ。


 だが、死ぬまでには、ひどく長い時間がかかったのだった。

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