第70話:ここに居ていいんだよ
サーリャの足で、そう遠くまで行くことは出来ないはず。
そうは思っても、ここはダンジョンの中。右へ左へと複雑に入り組んだ迷宮の中では、一度見失ってしまうと追いかけるのは至難の業だ。モンスターもいつ姿を現すかわからない。
僕ひとりの力では、追いかけられない。でも、幸い僕には、仲間がいる。
「トオボエ! サーリャを追いかけて!」
バウッ、と返事が返ってくる。大柄なダイアウルフの身体は、僕を乗せていても、サーリャの匂いを追って全力で走ることが出来る。
マズルカとポラッカも、トオボエに並走してついてきてくれる。
ウリエラは。
「ト、トオボエ、もう少し、揺れないように……ひゃっ」
ぐるる、と唸り声がして、トオボエがわざと後ろ脚を跳ね上げる。
ごめんよ。トオボエは相変わらず、ウリエラを苦手としている。でももう少しだけ我慢しておくれ。あとでおやつあげるから。
分かれ道に差し掛かると、トオボエが鼻を鳴らし、今度は右へ曲がる。
僕も鼻で息を吸い込み、眉を顰めた。嗅ぎ覚えのある、知っている匂い。
「マイロ、あれを!」
マズルカが前方を指さす。獣道の脇に、誰かが倒れている。まさか。
「サーリャ!」
トオボエから飛び降り、駆け寄って見た姿は、やはりというべきか、僕たちが探していたサーリャその人だった。
うつ伏せに倒れた彼女の背中は、一直線に深々と切り裂かれ、破けたローブは鮮血に染まっている。大きな血管まで傷つけられている。その傷でどれほど進んできたのか、獣道にまで、血の跡が延々と続いていた。
「これは、剣の傷だ」
マズルカが険しい声で断じる。わかっている。でもこの階層に、剣を使うようなモンスターはいないはずだ。
「サーリャ」
力の抜けた身体を抱え起こす。冷たい。まだ、生きてはいるけれど。
「ぅ……」
瞼が、ピクリと動いた。
「サーリャ、話せる? なにがあったの、サーリャ」
「ぁ……マイロ、くん……? なんで……私、たどり着けなかったのに……」
「探しに来たの。僕は君に、酷いことを言ってしまったから。ごめんなさい。謝ったところで言葉は取り消せないけれど、せめてもう少し、君と向き合わないといけないって思ったんだ」
血の気の失せた唇が、開いて、閉じる。サーリャの目が、堰を切って潤んでいく。また口を開きかけ、なにかをぐっと飲み込んで、サーリャは僕を見た。
「マイロ……くん。ケインが、来てる」
サーリャの口から思いがけず出た名前に、僕はウリエラと顔を見合わせる。
「ケインが?」
なんでここで、ケインが出てくるんだろう。
そりゃまあ、ケインも曲がりなりにも冒険者だ。ダンジョンにいること自体は、おかしなことではない。けれどあいつは、とにかく成果を求めて、下に潜るのを優先するようなやつだ。
こんな踏破済みのエリアで、いったいなにを?
「あ、あい、あいつは、マイロくんを憎んでる。マイロくんを、探し、てる。わた、し、マイロくん、に、教えなきゃ……って」
え、なんで。別に僕、あいつになにもしてないけど。
いや、いまはそんなことよりも。
「その傷は、ケインが?」
サーリャは頷いた。呼吸が浅く、早くなる。
わざわざそれを知らせに、僕のところに戻って来ようとしてたのか。心無い言葉で傷つけたのに。ただここに居たい、といっていた彼女を跳ね除けてた僕に、警告するために、わざわざ。
痛かったろうに。いや、いまも痛くないはずがない。彼女は死者じゃない。生きた人間だった。傷は痛むし、血を失えば、身体に力は入らない。
地面の跡は、倒れたサーリャが、なおも這って前に進もうとしていたことを、如実に物語っている。
魔術師としても冒険者としても、お世辞にも強い子じゃなかったのに。
「そっか」
ケインの逆恨みは、迷惑極まりないが、この際どうでもいい。
それよりも僕は、この子に報いたかった。生きている人間を信じられない僕だけれど、痛みを押し殺して、這ってでも危険を知らせようとしてくれたサーリャを、いまは信じてあげたかった。
だけど、僕にできることなんて、ひとつしかない。
「サーリャ、よく聞いてね。君は血を失い過ぎている。それに、いまの僕たちには、君を治癒する手段がない」
僕もウリエラも、魔術師ではあるが、人を癒す術は学んでいない。マズルカたちだって、応急手当はできたとしても、いまのサーリャの傷には手の施しようがない。
「君は、死ぬ」
サーリャは、ただ黙って僕を見ていた。いや、見ていないかもしれない。もう目に光が映っていない。もう、見えていないかもしれない。
「それでも、サーリャ。もし君がまだ、ここに居たいなら……僕のところに来る?」
サーリャの目が見開かれ、口がぽっかりと開く。よかった、まだ耳は聞こえているようだ。
「いい、の……?」
「君はゾンビになるし、僕は人の気持ちがよく分からない。ただ、もう君に出て行けとは言わないよ。みんなもそれでいい?」
一緒にサーリャを囲んでいた、みなの顔を見回す。
「アタシは構わないが、前に言ったことだけは、忘れるなよ」
「うん。もちろん覚えてる。気を付けるよ」
マズルカは頷いてくれた。
「そしたらサーリャちゃん、わたしの妹になるの?」
「まあ、そうかな?」
薄々思っていたけど、ポラッカは完全にサーリャを妹分だと思っているようだ。まあ、それでもいいか。
そして、ウリエラは。
「……マイロ様が、そう仰るのであれば」
同意はしてくれた。でも、納得しているかは、わからなかった。
「ありがとう、ウリエラ。けどもし、なにか気になることがあるなら、遠慮せずに言ってね。僕はウリエラとも、もっとお話ししたいから」
「は、はい……ありがとう、ございます」
あとは、サーリャの気持ちだけだ。
「どうかな、サーリャ。君さえよければ、だけど」
正直なところ僕は、彼女になにひとつとして、好印象を抱かれるようなことはしていない気がする。
それでも、サーリャがそうしたいというのであれば。
「いて……いいの? わたし、なにもできない。あたまもわるいし、けがれたからだ、なのに」
「うん、いいよ。別になにかしろとは言わない。でも、ここに居ていいんだよ」
ああそうだ、それに。
「よければ、新しい身体をあげるよ。さっき君を傷つけたことの、お詫びにはならないかもしれないけれど」
サーリャは微笑んだ。
「うれしい」
そうして、サーリャは死んだ。
力と熱を失った死体を抱え、立ち上がる。僕は非力だから、うっかり落としてしまったりしないように、慎重にトオボエの背に乗せる。
それから振り返って、みんなの方を向いた。
「帰ろうか。どうも僕に、お客さんが来るみたいだから」
マズルカとポラッカが頷く。トオボエが鼻を鳴らす。
「はい……私も、ご挨拶したいと思っていたので」
ウリエラが杖を固く握りしめ、昏い瞳で呟いた。
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