第68話:帰宅

 バルバラ商会に行って、魔術学院に行って、教授の家に行って。


 本当に面倒くさいことこの上なく、しかもゴルトログ商会との因縁を断ち切るためという、マイナスをゼロに戻すだけで、なにも得るもののない街での冒険シティ・アドベンチャーを終え、ようやく僕とマズルカは、住まいにしているダンジョンへと帰ってきた。


 本当に、疲れた。もう三日くらいなにもしたくない。


 あとはうちに帰って事の顛末を伝えて、ほとぼりが冷めた頃にサーリャに出て行ってもらうだけだ。


 ダンジョンの第13階層。樹海ゾーンの獣道を進むと、行き止まりにぶつかる。家はこの奥の広場だ。つまりこれは、行き止まりではない。


 僕が指示を出せば、行き止まりを偽装していたトレントゾンビたちが、一斉に左右に退いて、道が開ける。先へ進み、広場の入り口を流れる小川にかかった橋を渡ったら、愛しの我が家、トレントゾンビ・ログハウスはすぐそこだ。


「ただいまー……」


「戻ったぞ」


「おかえり、おにいちゃん、おねえちゃんっ」


 声をかけるとすぐに、庭で遊んでいたらしいポラッカとトオボエが、勢いよく駆け寄ってくる。そのままポラッカは僕に抱き着いて、トオボエはマズルカに撫でられに行く。


 マズルカが少しだけ、恨めしそうな顔で僕を見るけど、選んだのはポラッカなので、睨まれても困る。


「やあ、ポラッカ。留守の間はなにもなかった?」


「うん、みんなでお洗濯したりしてたよ。あとね、花壇を作ろうとしてたら、トオボエが掘りすぎちゃって大変だったの」


 なるほど、確かに言われてみれば、ポラッカもトオボエも、泥だらけだ。


「そっか。二人とも、あとできれいにしないとね」


「おにいちゃんが洗ってくれる? それとね、おなかも撫でてほしいなあ」


 う。


 その言葉の意味を聞いてしまったあとだと、おいそれと頷きにくい。マズルカも、じっと僕を見つめている。どうしろっていうのさ、もう。


「おにいちゃん?」


「う、うん。あとでね。ところで……」


 玄関の開く音がする。見ると、ウリエラが戸口から顔を出している。ちょっとごめんね、と断ってポラッカの腕を解き、玄関口へと向かう。


「お、おかえりなさいませ、マイロ様」


「ただいま、ウリエラ。留守番、ありがとね」


「い、いえ」


 ウリエラは、いつもと変わらないように見える。少し俯きがちに、銀の髪の間から上目遣いで、赤い目で僕の顔を窺うように見上げてくる。


 彼女は不安を覚えているのだろうか。それとも、ずっと不安だったのだろうか。


「ひゃっ……マ、マイロ様?」


 知らず、僕の手はウリエラの、小さな頬に触れていた。冷たく、やわらかな頬。いつも俯きがちで、おどおどとしたウリエラ。不安の表れだったのだろうか。


 あるいは……怯え?


「ううん。いつもありがとうって、言いたくて」


「そ、そんな、私なんか、なにも……あ、でもその、お留守の間に、星天儀の術式を書いてみました。う、上手くいけば、これで夜が作れるかもしれません」


「本当に? さすがウリエラ。僕の一番のリビングデッド」


 さらさらとした髪と頬を手で撫でると、くすぐったそうに顔を寄せてくれる。


 やっぱり彼女は、僕の一番だ。不安にはさせたくない。けれど、どうするのが正解なのだろう。


 マズルカの言う通り、一回ちゃんとみんなの気持ちを聞く必要があるかもしれない。けれどいまは、その前に。


「ところで、サーリャはどうしてる?」


「え、と……それが……」


 目下の悩みの種のことを聞くと、なぜかウリエラは、言いづらそうに口ごもり、部屋の奥をちらりと見る。


 どうしたのだろうか。首を傾げながら家の中へ入ると、そこにはなんとも、奇妙な物体が転がっていた。


「うぅ……私、なんにもできないだめだめだ……」


 なんだろう、これは。


 リビングの片隅に、頭に毛布をかぶり、隙間から金の髪を覗かせ、膝を抱えて丸くなっている、たぶんサーリャらしきものがいる。


「どうしたんだ、これは」


 後から入ってきたマズルカも、思いがけない光景に目を丸くしている。


「あのね、サーリャちゃん、お洗濯とかお庭つくりとか、いろいろ手伝ってくれようとしたんだけど、全然うまくいかなかったの」


 え、もしかしてこれ、落ち込んでるの? 


 説明してくれたポラッカの言葉に、サーリャらしきものは、ますます肩を縮めて小さくなる。あ、転がった。


「だって……だって……なんかひとつくらい、出来ると思ったんだもん。なのに、なにやっても上手くいかなくて……だから私は、みんなに出て行けって言われるんだ」


 うわー。


 あのケインにすり寄って媚を売って、僕やウリエラを見下していたサーリャが、自分の至らなさにいじけて、べそをかいているなんて。


 正直、彼女は落ち込むようなタイプだとは思っていなかった。次々に男を乗り換えて、たまたまケインに目を付けて、次が僕の番だった。それだけだろうに。


「いやまあ、別にやってくれともお願い……最初はしたけど、もう別に気にしなくていいよ。バルバラ商会とも話はついたし」


「え?」


 サーリャは僕の言葉に跳ね起きようとして、毛布が絡まって失敗して、しばらくじたばたと手足をばたつかせてから、ようやく起き上がった。


 髪も服もぐしゃぐしゃだが、それよりもなによりも、顔が酷い有様だ。泣きはらして腫れぼったい目元に、赤くなった鼻。ギリギリよだれは垂らしていない。


 一番身なりを気にしそうなサーリャだったが、いまはなににも構うことなく、呆然と僕を見つめている。


「あ、は、話が、まとまったんですか?」


「うん。バルバラ商会で直接匿うのは断られたけど、ゴルトログ商会に、僕らやサーリャから手を引くように掛け合ってくれるって」


「やったっ。じゃあまた、お買い物行けるようになる?」


「うん。すぐにとはいかないだろうけど、問題が解決したら連絡くれるらしいから。そうしたら、サーリャももうここを出て行って大丈夫だよ」


 吉報を伝えた、つもりだったんだけど。


「なに、それ……」


 サーリャの顔は、ますます青ざめていった。


「なに、って、聞いた通りだよ。もう僕らも君も、追手を気にしなくていいって話。バルバラ商会が手を打ってくれるから、これで」


「そんなわけない!」


 返ってきたのは、絶望の声だ。


「パパがそんなことされて、許すはずがない! パパは歯向かわれるのが大嫌いなの。少しでも反抗しようものなら、絶対にけじめを付けさせなきゃ気が済まないんだから! マイロくんたちは直接パパを知らないから、いいかもしれないよ。でも、でも私は……」


「いや、そんなこと言われたって。僕にはこれ以上どうしようもないよ」


「ここに置いてよ。ここってダンジョンの中なんでしょ? それだったらパパだって簡単には手出しできないし、そんなところにいるとも思ってないかもしれない。お願いマイロくん。なんでもするから、だから」


 縋りついてくるサーリャの手を、剥がす。いい加減にしてほしい。


「サーリャ、僕には君が分からないんだ」


 君は、厄介ごとばかり持ってくる。もう頼むから、僕に面倒を押し付けないでよ。


「僕は生きた人間が信じられない。いまだって、君が裏でなにを考えてるのか、僕を貶めることを考えてるんじゃないかって、疑っちゃうんだ。だから、ここにいてほしくない。誰か別の人のところに行ってよ」


「でも、だって、もう、他には誰も」


「本当に? 君はこれまで、みんなの間で上手くやってきたんだろう? 愛想を振りまいて、媚を売って、身体を差し出して。これからもそうすればいいじゃないか。なのにどうして、今回に限って僕のところにこだわるのさ」


 もう、これで諦めてくれればいい。そう、思ってたはずなのに。


 サーリャは脱力し、唇を震わせながら僕を見ている。


 ああもう、なんで。


「だって」


 なんでそんな、悲しそうな目をするのさ。


「だって、そうしなきゃ、どこにもいられないんだもの!」


 悲鳴が、上がった。


「他になにもできないんだもん。バカだし、すぐ人を怒らせちゃうし、魔術も少ししか使えない。ほかに私になにがあるの! 私には、なんにもないんだもん!」


 子供の癇癪のような、叫び声だった。


「私は……私は、ただ、”ここ”にいてもいいよって、言ってほしかっただけなのに」


 僕の脇を駆け抜け、サーリャが外に飛び出していく。彼女がくるまっていた毛布だけが、リビングに残されていた。


 怒って、出て行った。


 サーリャは、ここを飛び出していった。もしかしたら、広場も飛び出して、ダンジョンの中へ向かったかもしれない。


 だったら、それでいい。最初から望んでいたことだ。それでいい。


 はずなのに。


「……ああもう、クソッ!」


 なんでこんなに、いらいらするんだ。


「マイロ様……」


「マイロおにいちゃん……」


 わかってる。全部わかってる。


「わかってるよ、いまのは全部……僕が悪い」


 彼女の事情なんて知ったことじゃない。腹の底だって、言われなきゃわからない。生きてる人間は、平気で嘘を吐く。だから、言わせた。


 でもたぶん、最初からわかってはいたんだ。サーリャが本当に、逃げたがっていただけなことくらい。ただ単に、生者か死者かで、線を引いていただけで。死んだ人間だって嘘を吐くって、今日知ったばかりなのに。


 わかってる。彼女の言う”ここ”が、僕の家を言ってるんじゃないってことも。


 それだけじゃない。


「みんなも、ごめん」


 あれは、サーリャだけの叫びじゃない。


「サーリャをああやって拒絶したら、みんなのことまで拒絶することになっちゃうのに。マズルカも、ポラッカも、おなかを撫でてなんて言わせて、ごめん。ウリエラも、不安にさせてたんだよね。本当に、ごめん」


 サーリャは、ほかに手段を知らなかっただけかもしれない。


 マズルカやポラッカは、戦う術も、生きる術も持っていた。なのに、僕に身体を差し出そうとしていた。それだけ不安にさせていたことにも、ちっとも気付かずにいた。きっと、ウリエラも。


 僕は、本当に、人の気持ちがわからない。


「マ、マイロ様、私は、平気ですから、その」


「わたしも、大丈夫だよ。ほんとにおなか、撫でてほしかったもの」


 ダメだ、やっぱりわからない。本当に気にしていないのか、気を遣われているだけなのか。そんなこともわからないくらい、僕は人の心に踏み込んだことがない。


 肩に、優しく手が置かれた。


「マイロ、アタシたちは、いまはその言葉だけでいい。それよりも、サーリャを追いかけてやろう」


 そうだ。いまはなにより、彼女を連れ戻さなくちゃ。


 まさか僕が、生きている女の子を追いかけることになるなんて、いままで思ってもみない展開だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る