第67話:種明かし
ああもう。
「やられた、あの山賊親父。なにが、取引次第では僕らから手を引かせてやる、だ」
居住区の路地裏で、思わず悪態が漏れる。手の中には、例の帳簿。
ここに来るまで、肝を冷やす場面はありながらも、僕らは帳簿の在処を教授から聞き出し、当直の目を盗んで図書館を出て、素知らぬ顔で街へと戻る。その足ですぐ、教授が住んでいた家へと向かった。
教授の自宅は、居住区の中でもそこそこ高級邸宅の並ぶ区画にあって、学院の教授にはちょっと不釣り合いな豪邸だった。そのお金の出所が記された帳簿を、僕らは取りに来たわけだ。
幸いまだ邸宅には灯りが灯っていた。事前に決めていた通り、僕は生前の教授にお世話になっていたとかなんとか適当なことを言って、顔の入れ墨に眉を顰められつつも、首尾よく教授の部屋に入り込んで、帳簿を回収した。
で、あとはもう、バルバラ商会にこいつを届けるだけなのだが。
ちょっと、好奇心が逸った。だって、自分たちがなにを回収して、届けようとしているのか。知らないまま終わらせるのは、気持ちが悪いもの。
マズルカは止めてくれていたが、僕は好奇心を優先した。帳簿の表紙を開き、中身を確かめたのだ。
「……なんの取引だったんだ」
聞いてくれるマズルカは、優しいというか、ちょっと僕に甘いのかもしれない。
「前に、話したよね。冒険者がダンジョンで手に入れた素材は、冒険者ギルドを通じて市場に出ることになってるって」
「ああ。でなければ、市場の価格が崩壊してしまうから、だったか」
「そう。だけど、僕ら魔術学院に所属する冒険者には、もうひとつ納入先がある。もちろん他でもない、魔術学院だ。モンスターから採取できる素材は、魔術師にとっても貴重な試料だからね」
研究での実験材料や、実習講義での教材。使い道はいくらでもある。学院はその入手を、フィールドワークとして冒険者をしている学生たちに任せているわけだ。
「そして、これは僕ら魔術師の学位評価の一部として数えられるから、報酬は出ない。つまり魔術学院は、タダでモンスターの素材を手に入れてるんだ」
「なるほど、読めてきたぞ。つまりあの教授は、それをゴルトログ商会に横流ししていたわけか」
まさしく、その通りだ。
「でも個人じゃ、素材を融通できる範囲は限られてる。たぶんお互いに知らないだけで、他にもやってる教授はいるんだろうな。こんな情報、下手したらガストニアが吹き飛びかねないよ。やなこと知っちゃったなあ」
「なぜだ? あの教授たちが不正を働いていただけの話だろう?」
「ううん。だって冒険者ギルドは、ダンジョン攻略のために魔術学院が誘致をかけて、ガストニアに出向してきたんだ。ダンジョン産素材の流通統制を任せるのを見返りにね」
ところが、その魔術学院が、冒険者ギルドを無視して商会と取引してた、などと知れようものなら……。
「なるほど。この街のダンジョン攻略の基盤が揺らぐわけか」
学院と冒険者ギルドの信頼関係は無に帰り、学院内部にも粛正の嵐が吹き荒れるだろう。老舗のゴルトログ商会の不祥事ともなれば、市場にも影響は大きい。市議会や各職人ギルドも黙っちゃいないだろう。
で、煽りを食らうのは、市民と、学生と、冒険者たちだ。市場が乱れ、売るも買うも見通しがつかなくなる。
本当に、だから嫌なんだ、生きた人間ってのは。
「だが、バルバラ商会は無関係だろう? なぜロドムに憤る? それだけのネタなら、十分ゴルトログ商会へのけん制になると思うが」
「ここ見て」
帳簿の最後のページを指さす。
教授は几帳面な性格だったのだろう。帳簿には、いつ素材を売り渡したか、その代金がいつ入ってきたかも、事細かに記載されている。
だが、最後の取引だけは、収入の欄が空のままだった。
「これがどうかしたのか」
「ほかの取引では、必ず定期的に素材の代金が支払われてるでしょ。でも最後の取引だけ、代金が支払われずに終わってる。これまで通りなら、教授が死ぬよりも前に払われてないとおかしいのに」
「……教授が死んだのは、支払いのトラブルが原因か?」
「それだけじゃないよ。支払われるはずだった日付」
「……ああ、この日は」
サーリャが父親のところから金を持ち出したという、ちょうどその日だった。金額も、ほぼ一致している。
「なんてことはない、サーリャがやらかしたおかげで、バルバラ商会はこのネタを手に入れるチャンスを掴んだんだ。よくもまあ、それを恩着せがましく」
おそらく教授が生きている間は、商会がこの帳簿を手にするのは難しかっただろう。教授も絶対に渡そうとしないだろうし、下手に動けばゴルトログ商会にも感づかれる。
ところが、ある日突然、教授とゴルトログ商会の間でトラブルが発生し、教授が命を落とした。そこに現れる、死霊術師。
なにもかも、糸はサーリャに繋がっている。
僕やゴルトログ商会はそれに振り回され、バルバラ商会は上手いこと流れを掴んで、この上ない懐刀を手に入れるってわけだ。ちょうどよく使われているのはわかっていたけれど、無性に腹立たしい。
「困りますね、あまり余計な詮索をされては」
不意に声をかけられ、僕もマズルカも慌てて身構えた。なんだか、今日はこんなことばっかりだ。
バグ・ナウを構えたマズルカの向こう、路地の奥の暗がりから、こつこつと石畳を慣らしながら、女が姿を現す。知った顔だ。バルバラ商会で見た。
「ニノン、だったっけ」
「ええ。一介の秘書風情を覚えていてくださり光栄です、マイロ様」
いくらなんでも、今日紹介された人のことくらいは覚えてる。
ニノンの手に、昼間持っていた羊皮紙の束はない。手ぶらだ。でも、さすがにわかる。絶対どこかに武器を隠している。マズルカが気付けなかったほどの気配の消しっぷりだ。たぶん、相当強い。
「中身、見るなとは言われてないと思うけど、見ちゃまずかった?」
「いいえ。あまりお行儀はよろしくありませんが、知ったところでどうすることも出来ませんでしょうから」
そりゃそうだ。
ニノンの言い分ではないが、あんな厄介な情報、一介の魔術師風情が持っていたところでなんの役にも立たない。誰に話したところで利益もないし、下手すれば自分の身を危うくするだけだ。
「……もしかして、僕が中身見るの待ってた?」
「まさか。私は帳簿を受け取りに来たにすぎません」
ニノンは無造作に歩み寄ってくると、こちらに向けて手を差し出す。
僕は大人しく帳簿を渡す……渡そうとしたところで、マズルカに止められた。マズルカが僕の手から帳簿を取り、ニノンに渡す。
「確かに、お願いしていた品ですね。確認いたしました。これでマイロ様たちの問題も、滞りなく解決されることでしょう。ゴルトログ商会との話が纏まりましたら、ご連絡差し上げますので」
「え、連絡って、普段は学院にいないけど」
「存じております。ご安心ください」
なにをどこまで知っているのか、聞きたいけれど聞きたくなかったので、聞かないでおいた。
帳簿を受け取るだけ受け取ると、ニノンはあっさりと踵を返し、僕らの前から立ち去ろうとする。
だが、その姿が世闇の中に消えようとする直前、彼女は僕らを振り返った。
「今後もどうぞ末永く、当商会とご愛顧いただきたく存じます」
そして、それだけ言って、今度こそ歩き去っていった。
冗談じゃない。金輪際もう絶対に関わりたくない。けれど、ああ、クソ。やっぱり生きた人間になんか関わるべきじゃない。僕はこれで、ロドムに大きな弱みを作ってしまったんだ。
別に、僕があの帳簿の中身を、読んでようがいまいが関係ない。帳簿の回収に関わったという、その事実だけで、僕をゴルトログ商会に売り渡す口実になるのだから。
最悪の伝手が出来てしまった。きっとまた、ロドムは僕を利用しようとするだろう。バルバラ商会なんか頼ろうとしたのは、軽率だったかもしれない。
「あまり気を落とすな。どの道、サーリャに巻き込まれた時点で、他に手はなかった。いまは帰ろう、マイロ」
「……うん」
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