第66話:見知らぬ後輩

 飛び込んだ先は、いっそう暗く、手狭な、どうやら未使用の水晶球が置かれている倉庫のようだ。僕とマズルカ、そして、僕らを招きこんだ誰かが入ると、もういっぱいいっぱいになってしまう。


「先輩、灯り消してください」


「あ、うん」


 扉が閉ざされ、言われるがまま、ろうそくの灯りを吹き消せば、もう本当になにも見えない。


 自然と、物音に意識が集中する。思い鉄扉の開く音。こつこつと響く足音。押し殺した僕の吐息と、やかましい心音。


-んー、誰もいないわよねえ。やっぱり気のせいだったのかしら。


 そうだった。


 噂話として、夜中の話し声が囁かれているということは、ここでの会話はどこを通じてか、外に聞こえていたのだ。


 当直の女性教員が、こつこつと『智識の安置所』を歩き回る音が聞こえる。棚をひとつひとつ覗き込んで、人がいないか探しているのだろう。あの人、こんなにきっちり見て回る人だったのか。


 やがて足音が、僕らが隠れる倉庫の上で止まる。


 頼む、そのまま帰ってくれ。


-異常なし、みたいね。ふぁ、ねむ……。


 やがて足音が遠ざかり、鉄扉がもう一度開いて、閉じる音がする。


 そうして僕は、やっと自分がいつの間にか、息を止めていたことに気付いた。


「ふうううう……助かった」


「きゃっ、ふふっ。くすぐったいですよ、先輩」


「え、あ、ごめん」


 まったく見えないのだが、どうやら目の前に、僕らを匿ってくれた誰かがいて、吐息がかかってしまったらしい。いまさらだが、聞こえた声からすると、少女ようだ。


「よいしょ」


 ごそごそと音が聞こえ、頭上の扉が開く。


「出られますか、先輩?」


「うん、大丈夫だけど……」


 まったく光の差さない地下では、目を凝らしてもちっとも見えやしないが、どうやら少女が扉を開いて、手を差し伸べてくれている。少し悩んだ末、その手を取って物置を出る。


「マズルカは、大丈夫?」


「ああ、問題ない」


 後ろにいたマズルカは、手を貸すまでもなく、ひとりでひょいと上がってくる。


 それから、もう一度ろうそくに火を灯し、窮地を救ってくれた誰かの顔を、やっと拝見することが出来た。


「え、と。君は……?」


 ふわふわと柔らかそうな、紫の髪。闇の中でなお昏い、漆黒のローブ。ぱっちりとした目に灯りを照らし返す顔の左側に、入れ墨が刻まれている。僕の顔にあるそれと同じ、黒陽の紋。死霊術師の証だ。


 でも、その容姿に見覚えはない……?


「いやですね、私のこと、忘れちゃったんですか? 同じ死霊術科の、アンナですよ。マイロ先輩」


 同じ死霊術科の、後輩の、アンナ? いただろうか、そんな子。


「ま、仕方ないですかね。マイロ先輩、最近あんまり学院に顔出してくれないから」


 確かに、ここのところダンジョンに籠りっぱなしで、学院に顔を出す頻度は減っていた。けれど、死霊術師科の学生の顔くらいは……?


「それにマイロ先輩、全然生きてる人間に興味なし、って感じでしたもんね。あーあ、ひどいな。私はマイロ先輩のこと、結構尊敬してたのに」


 いや、でも、言われてみれば、いた気がする。同じ死霊術師科の後輩の、アンナ。これだけ僕のことに詳しくて、話したこともないなんてことはないはず。


「マイロ、おい、マイロ。どうした、しっかりしろ」


「え?」


「ぼうっとして、大丈夫か。彼女は知り合いなのか?」


 マズルカが眉を顰め、僕の顔を覗き込んでいる。そんなにぼんやりしていただろうか。アンナのほうを見ると、不思議そうな顔で首を傾げている。


「あ、うん、大丈夫。この子はアンナ、同じ死霊術科の後輩だよ。助けてくれてありがとね、アンナ」


「いえいえ、これは貸しひとつにしておきますからね、マイロ先輩。ところで、そちらのゾンビさん、私にも紹介してくださいよ」


「ああ、ごめん。彼女はマズルカ。僕の仲間……家族のひとりだよ」


「マズルカだ」


 どこか緊張した声音で、マズルカが名乗る。


「よろしくお願いしますね、マズルカさん。ふーん、へえ」


 紹介すると、アンナは物珍し気にマズルカを見回す。どうしたんだろう。死霊術師がゾンビを珍しがるわけもないし。


 無遠慮に見られ、マズルカも少し狼狽えている。


「な、なんだ?」


「あ、失礼しました。ゾンビとはいえ、ルーパスがそんな従順に人間に懐いてるの、はじめて見たもので」


「懐いてるって、そんな言い方」


「ふふ、すみません。家族なんですもんね。やっぱり面白いですね、マイロ先輩」


 アンナはくすくすと笑いながら、僕とマズルカの周りをうろうろと回る。


 ううん、なんだかやりづらい子だなあ。向けられているのは、奇異の目とも、好奇の目とも違う。不快ではないが、落ち着かない。


「それよりも、アンナ、だったか。いつからここにいた? アタシたちの話を聞いていたのか?」


 マズルカが警戒心を剥き出しにして、アンナを問い詰める。


 そうだ。この子、いったいいつからこの地下室にいたんだ? 僕らは別に、話を聞かれても困らない。けれど、いたずらに帳簿のことを知っている人間を増やすべきではない。


「ごめんなさい、先輩たちが入ってきたときにはもう、いたんです。出るに出られなくて、話も少しだけ。先輩たち、なにか危ないことに関わってるんですか?」


「聞かないでよ。こっちだって好きでやってるわけじゃないんだ。言っておくけど、ここのことは……」


「他言無用、ですよね。じゃあ、貸し二つにしますね」


「……君、ここでなにしてたのさ」


 ジト目で睨みつけると、アンナは顎先に人差し指を当て、視線を宙に泳がせる。


「そうでした、私も忍び込んでるんでした。じゃあお互いに見なかったことにするってことで、先輩への貸しはひとつにしてあげます」


「いや、ちょっと」


 好き勝手なことを言うと、アンナは踵を返し、地下室の出入り口へ向かっていく。


「また見回りが来る前に、私は帰ります。先輩たちも、早く出た方がいいですよ」


「待ってよ」


「それじゃっ。今度、おうちにお邪魔させてくださいね、マイロ先輩」


 呆気に取られているうちに、アンナはさっさと、音も立てずに地下を出て行ってしまう。本当に、いったいなんだったんだ。


 っていうか、僕のうち? 一応、表向きは寮の部屋に住んでることになってるんだけども。


「マイロ、あいつ、いったいなんなんだ」


 僕とまったく同じ感想を、マズルカが、どこか絞り出すように零す。


「さあ。なんか、変な子だったね」


「そうじゃない」


「マズルカ?」


 見るとマズルカは、険しい顔でアンナが出て行った扉を睨みながら、かすかに手を震わせていた。


「すさまじい死臭を纏っていた。お前なんかとは、比べ物にならないほどの」


 僕以上に、死に触れてきているってこと? そりゃ、また。


 知らなかったけど彼女、ずいぶん研究熱心な後輩だったみたいだ。

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