第65話:先生質問です

「ん、ぐ……? なんだ、いまはいつだ……?」


「王国歴一七六五年の九月ですよ、先生」


 僕が答えると、教授は水晶球の中で、露骨に顔を顰めた。


「なんだ、それじゃあ私が死んでから、ほとんど経ってないじゃないか。まったく、せめて百年は経ってから呼び出してほしかったものだ」


「なぜ早いと不満なのだ?」


「決まっている。私が生きているうちには見られなかった、より発展した魔術の世界の話が聞けるかもしれないだろう。解明されていなかった様々な謎が、解き明かされているかもしれない。そう期待していたのだがな」


 なるほど。僕は死霊術を使う側としてしか考えたことがなかったが、使われて呼び出される側にも、そんなメリットがあるのか。これは盲点だったかもしれない。マズルカは隣で、よくわかっていなさそうな顔をしているが。


「それで、なにが聞きたいのだ。身体強化術式の応用についてか?」


「残念ながら、魔術の研究についてじゃないんです。僕、白魔術師じゃないですし」


 水晶球の中で、教授の表情が怪訝なものに変わる。


「なに? じゃあなんの用だ。いや、それよりもお前は誰だ? そっちの獣人は、学院の生徒でもない……ゾンビだな。死霊術師か?」


「お察しの通り、僕は死霊術科のマイロです。彼女は僕の作ったリビングデッドのマズルカ。お聞きしたいのは、先生が持っていた、帳簿についてでして」


 教授の顔が、険しいものになった。


「……お前、ゴルトログ商会の差し金か?」


 どうやらなにか勘違いされているようだが、否定する理由も特にない。半分くらいは間違ってもいないし。


「まあ、そんなようなものです。教えてくれません? 帳簿、どこにあるんですか」


「……知らんな。なんの話だか、さっぱり分からん」


 あれ?


 ロドムから聞いた話だけではない。いまの反応からしても、教授が問題の帳簿を持っていることは間違いない。でも、教授は知らないという。


 死体に嘘を吐かれたのは、初めてだった。


「いや、知ってるでしょ絶対。なんで誤魔化すんですか?」


「知らないと言っているだろう」


 参った。なんで教えてくれないんだろう。どんな内容の帳簿なのかわからないが、いまさら彼が隠し立てする必要はないはずだ。だって、教授はもう死んでいるわけだし。


「もしかして、死後の名誉とか気にしてます? でも商会はそのことを知ってるわけですし、死んでいる以上、名誉なんか守っても無意味だと思うんですが」


「しつこいぞ! 同じことを何度も言わせるな!」


 教授が嘘を吐く理由が分からず、マズルカを見る。マズルカは、なにか考えていたようで、そっと僕の肩に手を置いた。


「代わってくれるか」


 ということなので、降霊台の正面をマズルカに譲る。正面に来たマズルカは腰を屈め、水晶球の中の教授と目線を合わせた。


「なぜ言わない? ゴルトログ商会は帳簿が見つかったところで、その内容を詳らかにはしまい。闇に葬り、お前の名誉も守られる」


「だから、そんな帳簿など知らん。何度聞かれても」


「ならばお前の家族か?」


 教授が口をつぐむ。


「妻……それに子供か?」


 あ、教授の目が泳いだ。


「隠し場所を知られると、家族に危険が及ぶからか? 帳簿は、自宅か?」


「ち、違う! 家じゃない! 家族はなにも知らない!」


 ははーん、僕にもわかってきたぞ。


 彼が持っているという、帳簿。


 内容はわからないが、帳簿というからには、なんらかの取引の記録を残したものだろう。しかも、ゴルトログ商会が関わる取引。そんな必死に隠したがる、そしてバルバラ商会が欲しがっているということは、十中八九、不正な取引の記録だ。


「どうする。いまならまだ、アタシたちだけで穏当に回収することも出来る。だが、もしも本当にこのことを、ゴルトログ商会が知ったとしたら」


 絶対に、血が流れる。


「……~~~ッ! わかった、わかったから! 自宅の、私の部屋の衣装箱だ。底が二重底になっていて、その中に隠してある。だから、家族には手を出さないでくれ!」


 鮮やかな尋問だ。マズルカにこんな才能があったなんて。


 あっさりと帳簿の在処を聞き出したマズルカが、ちらりと僕を見る。ここから先は、僕の役目か。


「約束します。というか、もともと誰も傷つけるつもりないですし。そうですね、僕が教授に本を貸していたってことにして、部屋を探させてもらいます。それでいいですか?」


「……わかった。なら、家族に伝えてくれ。すまなかったと」


「わかりました。では」


 術式を切ると、教授は目を瞑り、それきり沈黙する。また、ただの死体に戻ったのだ。


 僕は水晶球を取り上げて、元の棚に戻しに行く。それにしても。


「死んでても、生きた家族を守るために、嘘を吐くなんて。考えもしなかったなあ」


 マズルカが深くため息を吐いた。なんだか、彼女には呆れられてばかりだ。


「マイロ、お前はもう少し、人の心というものを考えた方がいい」


「僕はそういうのが苦手で、死霊術師になったのに」


「さっきも言ったが、アタシたちだって、肉体は死んでても感情は生きてるんだ。なのにこれじゃあ、まるでお前の方が……」


 不意に、マズルカの言葉が途切れ、彼女の獣耳がぴくぴくと動いた。


「マズルカ?」


「しっ……誰か来る。上の階からだ」


 嘘でしょ。なんでこんなタイミングで。


「マズい、ここ他に出口なんてないよ」


「どこか隠れられる場所はっ」


「そんなこと言っても、棚の裏くらいしか……」


 階段を降りてくる足音が、僕の耳にも聞こえるようになった。辺りを見回しても、逃げ込めるような場所はない。


 どうする。捕まって説教を受ける? でも、出来ればさっさと帳簿を回収して、みんなのところに帰りたい。小言で済めばいいが、『智識の安置所』まで入り込んでしまったのだ。最悪外出禁止なんて喰らったりしたら。


 救いの手は、思わぬところから差し伸べられた。


「マイロ先輩、こっちです」


 知らない誰かの声が、僕らを呼ぶ。よく見ると暗がりの中で、床の一部が持ち上がって、中から誰かが手招きしている。


 誰? いつから? どうしてここに?


 疑問がいくつも浮かぶが、迷っている暇はなかった。


「行こう、マズルカ」


「あ、ああ」


 招く手に従って、僕たちは床下に転がり込んだ。

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