第64話:学院の怪談
退屈そうな見張り番が詰める門をくぐり、学院の敷地内に足を踏み入れる。
ここまでは問題ない。僕はここの学生だし、マズルカは僕のゾンビだ。身分証代わりの魔導書を見せれば、ほとんどノーチェックで通してくれる。
慎重にならなければいけないのは、ここからだ。夜間、基本的には寮棟以外は閉鎖され、出入りは禁止されている。まあ、研究室なんかは、夜通し研究で籠っていたり、あるいは寝落ちしている人間もよくいるが。
敷地を通り抜け、寮棟への道を進まず、反対側へ。目指すのは、図書館だ。
魔術学院の図書館は、知の宝庫だ。とにかく大きく、図書館だけで別館が建てられている。当然閉館しており、そのまま近づくことは出来ない。
僕とマズルカは、本館と別館を繋ぐ通路の陰に、そっと身を潜める。
「例の教授の死体がどこにあるのかは、わかるのか?」
「教授たちの死体は、みんなあそこ、図書館の地下、『智識の安置所』って部屋に保管されてる。学院関係者なら、申請すれば誰でも入れるんだけど……」
死んだ教授に質問したい学生のためにも、智識の安置所は開かれているのだ。
「死体も書物と同じ扱いか……しかし、それならばなぜ夜間に?」
「書けないでしょ、理由。適当にでっち上げようにも、向こうは白魔術科の教授で、僕とは全然接点がないし」
外部の人間の依頼で、学業にも研究にも、まったく関わらない情報を聞き出そうとしているのだ。正攻法で攻めるのは難しい。
「それもそうか。だが、どうやって入る」
「あいにく、僕ら魔術師には、昼も夜もないからね。夜中でも明け方でも、理論を思い立ったら即実践。学院で最初に学ぶのは、図書館に忍び込むためのルートだって言われてるくらいだよ」
当直教員の巡回ルートだって把握済みだ。マズルカと二人、そっと図書館のほうを覗いて様子を窺う。
幸い今日の当直は、大らかで知られる女性教授だ。巡回も、図書館の中まで細かくは見ないし、見つかっても小言で済むだろう。
「いまだ、こっち」
当直の目が離れたのを見計らって、図書館の裏手へ回り込む。こちらには裏口があり、昼も夜も、常に施錠されたままだ。
「っていうのも、ここの鍵が大昔に無くなったっきり、いまだに見つかってないから、なんて言われてるんだけど」
僕は裏口の脇に屈みこみ、建物の壁をいじくる。ひとつだけ、はめ込まれているだけで、すぐに外れるレンガがある。
それをどかせば、出てくるのはもちろん。
「はい、鍵。僕ら学生はみんな知ってる秘密だ」
「まさか魔術学院が、こんな不良学生の巣窟だったとはな」
「むしろ勤勉さの表れだと思うんだけどな」
「本当か? 学業や研究のため以外で利用しているものも、いるのではないか?」
意地悪く笑うマズルカに、肩を竦めて返す。残念ながら、少なくとも僕は、調べもの以外の目的で侵入したことはまだない。
でもそういえば、夜な夜なこの辺りで話し声や、女の呻き声が聞こえる、なんて噂話もある。てっきり、いまの僕らと同じように、夜中にこっそり教授の死体と話している誰かじゃないかと思っていた。けれど、男女の睦言だった可能性もあるのか。
さておき、僕らはこうして、首尾よく図書館へと侵入したわけだ。
「これは、すごいな」
マズルカは館内を見回し、感嘆のため息を漏らす。
無数に並び、壁を天井まで埋め尽くし、吹き抜けの二階にも三階にも続く、無数の本棚。僕も初めて見たときは、圧倒されたものだ。
ここは大陸でも一番の知識を所蔵する、ガストニア魔術学院の図書館だ。世界のありとあらゆる書物が集まり、あるいは学院に所属する魔術師たちの研究成果が、日々更新されていっている。蔵書数だけならば、王宮の書庫にすら勝ると言われ、すべての書物を読むのには、一生かかっても時間が足りないほどだ。
けれど、今日の僕たちの目当ては、地表にはない。
「こっちだよ。館内に見張りはいないけど、物音には気を付けてね」
閲覧席の間を抜け、開架の脇を通り、禁書の棚を通り過ぎると、地下へと降りる階段が見えてくる。階段を下りると、重厚な金属扉が聳え立つ。ここまでくれば灯りが漏れる心配もないので、扉の脇に置かれた燭台のろうそくに火を点ける。か細い灯りを頼りに、扉を慎重に開けば、その向こうが『智識の安置所』だ。
「これは……すごいな……」
マズルカの声は、先ほどと少し色が違った。呆れたような、慄いたような。
弱々しいろうそくの灯りの中、薄暗がりに見える室内は、一見すれば上の図書館と様相はあまり変わらない。壁にも、通路にも、無数の棚が並んでいる。
だがそこに陳列されているのは、決して書物ではない。
頭だ。棚には、台座の付いた水晶球に収められた、無数の人の頭部が並べられている。中には、腕や心臓だけというものもあるが、基本的にはどれも、目を瞑って眠ったような頭たちだ。
水晶球の中は霊薬で満たされており、教授たちの死体は腐敗することもなく、恒久的に保存され続ける。
「すまん、正直に言ってもいいか」
目的の教授を探しながら棚の間を歩いていると、気まずそうなマズルカに、そっと服の裾を引っ張られた。
「いいよ?」
「さすがにこれはちょっと、気持ち悪い」
「うーん、こここそ、僕ら死霊術師の本領発揮、って感じなんだけどなあ」
死霊術師としては、ここは上の階と同じ、知識の貯蔵庫だ。ここに眠る無数の魔術師たちは、いずれもこの学院で教授の位を冠していた、研究者たちなのだ。彼らの知識が、死によって喪失するのを防ぐ。僕ら死霊術師が学術に貢献している、その実績ともいえる。
でもまあ、周囲から見たら、これは異様な光景なのだろう。それも仕方のない話だ。なかなか理解してもらえないのだ、死霊術師というのは。
「さっさと用件を済ませて出るとしようか。あ、いたいた、この人だ」
燭台をマズルカに渡し、棚に収められた比較的新しい水晶球を手に取る。僕はそれを手に取り、部屋の奥の降霊台へと向かう。
降霊台は、これ自体に死霊術の術式が刻まれた魔術具となっており、水晶球を置き、魔力を通すことで、死者と会話することが可能だ。僕は、教授の死体を収めた水晶球を降霊台に置き、魔力を走らせる。降霊台と水晶球が、青白い光を放つ。
やがて、水晶球の中の頭が、目を瞬かせた。
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