第63話:魔術学院へ
夜の帳が下りたガストニアの街でも、街を貫くように走る大通りに限っては、いまだに人々が賑わいを見せている。通りを挟んで並ぶ酒場に明かりが灯り、戸口からは、店仕舞いをした商店主や農夫たちのざわめきが漏れ聞こえてくる。
中でも一番の賑わいを見せているのは、やはりアナグマ亭だ。時間の感覚を失いながらダンジョンを出た冒険者たちが、無愛想なボートマン親父に戦利品を売りつけ、その日の探索の労をねぎらっているのだろう。
バルバラ商会を出た僕とマズルカは、そんな喧騒に背を向け、街の外れへと向かって歩を進める。街の背後を守るようにそびえる、山のふもとへ。
行先は、街で一番大きく、流麗で、周囲にその威厳を知らしめるように聳え立つ、いまは月明かりに影を落とし、ひどく暗い威圧感を醸し出している、古城。
ガストニアの始まり。あらゆる知と術の集積地。王国最大の教育機関にして研究機関。魔術学院だ。
「また面倒な仕事を引き受けたものだな」
「仕方ないよ、これも今後の僕らの安息のためだから」
ぼやくマズルカに、僕もぼやき返す。
ゴルトログ商会の追跡の手を止める。僕らはそのために、バルバラ商会会長のロドムから、ある仕事を引き受けることになった。
「しかし、死んだ人間から帳簿の在処を聞き出せとは、考えてみれば、確かにお前向きの仕事ではあるな」
「言っておくけど、全然嬉しくないからね」
ロドムから言い渡された仕事は、早い話が探しものだ。
つい先日、魔術学院のある教授が、事故で命を落としたのだという。本当に事故か怪しいものだが、それはさておき。
ロドムによれば、その教授は、ロドムが欲しがっているある帳簿を持っていた。だがロドムたちがその在処を知る前に、教授は命を落としてしまう。
そこで、折よく泣きついてきた僕を使って、死んだ教授からその帳簿の在処を聞き出そうとしているわけである。
「ほんと、気が滅入るよ」
死者から情報を聞き出すのは、官職に就く死霊術師の、主な仕事のひとつだ。
死霊術師が使うエンバーミングの術式は、実に応用が利く。リビングデッドにした死者の感覚を操作し、苦痛や不快感などの感覚を増幅することも可能だ。あるいはまったくの無感覚でも、自分の肉体をでたらめにつなぎ合わせ、その様子を見せられるだけで、人間は相当な狂気に曝される。
だからこそ死霊術師は、最高の拷問吏として重宝され、
でも僕は、別に死者を苦しめたくて死霊術師になったわけではない。死体には、敬意をもって接したい。こんな風に、誰かの都合で使われるのは、気が進まない。
「マイロ、顔色が悪いが、大丈夫か」
「……うん、大丈夫。なんでもない」
とはいえ文句は言ってられない。サーリャとゴルトログ商会の一件から縁を切るのが、いまの僕たちの最優先課題なのだから。
それにぶっちゃけ、今回の仕事だったら、死霊術師ではなくても遂行可能だ。
「そうか。だがマイロ、なぜ墓地ではなく、魔術学院に向かう? なにか必要なものがあるのか?」
「え? ああ、そっか。ごめん、また説明できてなかったね」
考えてみれば、魔術学院のことを知らなければ、いまから魔術学園に向かう理由はわからないか。
「死んだのは魔術学院の教授って言ってたでしょう」
「ああ」
「学院の教授は、死後その死体を、学院で保存することになってるんだ」
「……なんのために」
マズルカがすごい顔で僕を見返してくるけれど、僕が決めたことじゃない。そんな目で見られても困る。
「知識の保存と、研究のため、かな」
この決まりは死霊術科の教授に限った話ではなく、学院の教授全員に適用される。
「死んだ教授が研究成果を本に残したり、人に伝えていれば、その知識は後世へ継がれていく。けれど、まだ研究の途中だったり、その人が資料に纏めていなかったりしたら。その知識はそこで途絶えてしまう。それを避けるため、死霊術師がいつでも呼び出せるように、教授の死体を学院で保存しておくんだ」
「……ロドムがお前を使うのも、それが理由か」
察しのいいマズルカに頷いて返す。
おそらく、問題の帳簿とやらを持っているのが学院の教授でなければ、ロドムは僕なんか使わず、さっさと別の死霊術師を雇って墓を掘り返させていただろう。
だが死体は墓地ではなく、学院に仕舞いこまれてしまった。
これは想像に過ぎないが、彼には学院内部に顔の利く人間がいないのだろう。古くからこの地を統べてきた魔術学院とは、老舗のゴルトログ商会のほうが関係が深いという。ダンジョンの変異による冒険者特需で街にやってきたロドムは、冒険者ギルドには顔が利くが、学院では自由に動けないのだ。
「ちなみに研究って言うのは、ある人の魂が死後、いつまで同じ個人としての情報を保ち続けているのかっていう研究観察でね。記録では三百五十年前の死体でも、まだその人としての記憶を持っているらしいんだけど」
「わかった、わかった。死霊術のうんちくは、家に帰ってから聞くから」
すげなく遮られてしまった。ちぇっ。魂はいずれ個人としての記憶が漂白され、別の人物の魂となってまた生まれてくるという、聖典に記された摂理にも関わる面白い話だったのだが。
「しかし、それは死者を隷属させていることにはならないのか……?」
「本人の意志に反してなければ問題ないよ。教授たちは、学院の教授になった時点で、同意してるし。というか、じゃないと僕がマズルカたちを仲間にしてるのも、違法になっちゃう」
「言われてみれば、そうだな」
そういえば。そのことでひとつ、気になっていたことがあるんだった。
「マズルカ、僕もひとつ聞いていい?」
「なんだ?」
「さっきマズルカ、いい主人に巡り合えた、って言ってたじゃない。あれって、僕のこと?」
またすごい顔で睨まれた。
「他に誰がいるんだ」
「いや、うん、もちろんそうなんだけど。僕としてはあくまで仲間のつもりで、主人って感覚とかあんまりなかったから」
ため息を吐かれた。それもすっごい深く。
「確かにお前は、アタシたちを対等な仲間として扱ってくれているし、アタシたちのためになにかと手を尽くして、頭を動かしてくれている。変人ではあるが、よき仲間で、よき友だと思っている」
「それは、嬉しいよ、すごく」
「だが同時に、お前はアタシたちに対して、絶対的な命令権がある。アタシたちは、死霊術師と、使役されるゾンビだ。どうしたって、その関係は覆らない。お前は、アタシたちの主人なんだ」
言葉に詰まる。それは、事実だ。たとえ僕にそのつもりがなかったとしても。
「それに、アタシたちはお前に縋るしかないが、お前はいつでも、気持ちひとつでアタシたちを切り捨てることが出来る。ましてや今のお前は、多数のメスを従えるオスだ。アタシたちは、お前のハーレムの一員だぞ」
「ハーレムって、僕はそんなつもり!」
軽く頭を叩かれた。痛くはないけれど、マズルカのますます呆れた目が刺さる。
「そうやってしらばっくれられると、信じたくても不安になる。アタシやポラッカが腹を撫でさせる意味、考えたことがあるか? 本当に腹だけ撫でやがって」
その可能性を考えたことも、ないわけでは、ない。けれど、そんなわけはないと思っていた。ただ、甘えられているだけだと。
「だって、子供を作れるわけでもないのに、そんなことしたがるはずないと思って」
また頭を叩かれた。さっきより少し強く。
「求愛行動を理屈で捉えるな、まったく」
そんなことを言われても、難し過ぎる。
「アタシたちは、つながりが欲しいんだ。別に身体のつながりでなくてもいい。お前が気持ちを変えずに、責任を負ってくれるという確証があれば。きっと、ウリエラも同じだ」
「ウリエラも? まさか」
「一番不安に思っているのは彼女だ。マイロ、ウリエラの気持ちをきちんと聞いたことがあるか?」
押し黙るしかない。ウリエラは、いつも僕の役に立とうとしてくれている。でも、それ以上に彼女のことを聞いたことは、ない。
「お前は、そうやって線を引いて、アタシたちに踏み込もうとしない。そのままではいつまでも、お前が死体で人形遊びをしているだけなんじゃないかって、不安を拭い切れない」
マズルカが立ち止まり、真っ直ぐに僕を見つめてくる。僕は射すくめられたように、目を逸らすことが出来なかった。
「マイロ。オスとしてでも、主人としてでも、なんでもいい。アタシたちを安心させてくれ。これは対等な仲間としての、アタシからの要求だ。それを面倒だと思うなら、もう仲間は増やさない方がいい」
「……うん」
頷きはしたものの、不安になるのは僕のほうだ。彼女たちを安心させられなかったら? そのときは、僕の方が見限られるのだろうか。
つながりとか、気持ちとか、そういうしがらみが怖くて、死体ばかりを相手にしていた僕には、難し過ぎる要求だった。
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