第61話:白魔術師サーリャ(2)

「あ、ダメだよ、そんなに強くこすったら……!」


「えっ?」


 ポラッカの制止は、少し間に合わなかった。


 サーリャが引き上げた手には、ひどく痛んだマイロのシャツが握られている。洗濯板にこすりつけて、洗う。それだけの仕事だったはずなのに。言葉で聞けば、ひどく簡単に思えたものだったのに。


「サーリャちゃん、ほんとになにもできないんだねえ」


「う……」


 隣で布を絞っていたポラッカの一言が、無邪気なばかりに、余計にサーリャの心を抉る。そばで寝ていたトオボエが、慰めるでもなく、鼻をひとつ鳴らした。


 ダンジョンの中。マイロの家のそばを流れる川。


 マイロたちが出掛けている間、サーリャはポラッカと共に、家事を学び始めた。


 家のことを取り仕切っているのは、基本的にはウリエラだ。そのウリエラが、家の周囲に夜をもたらすための魔術具作成に取り組むため、家事は二人に任されている。


 ポラッカは、料理にしろ掃除にしろ選択にしろ、不慣れではあったが、やり方は知っていた。


「難しいよこんなのお……」


 サーリャは本当に、なにも知らなかった。


「いままではどうしてたの?」


「家には使用人がいたし、学院の寮にはゴーレムがいたもん」


 これまでサーリャは、自ら家事というものをしたことがなかった。洗い物も、掃除も、食事の用意だって、どれも使用人か、ゴーレムに任せきり。これまでは、それで生活できていた。


 冒険者になってからも、住まいは基本的に寮だし、ダンジョンに潜っている最中にはなにも気にすることがない。ただ一度だけ、白魔術もたいして使えないなら、休憩中の食事くらい用意したらどうだ、と言われたことはあった。そのパーティも、すぐに追い出されてしまったが。


「でも、私頑張って覚えるから。ここにいてもいいって、言ってもらいたいの」


 だからサーリャはいま、生まれてはじめて、努力して学ぼうとしていた。ここに置いてもらうために。戻ってきたマイロに、どうにか考え直してもらえるように。


「どうしてそんなにここがいいの? マイロおにいちゃん、サーリャちゃんが出ていけるようにいろいろ考えてくれてるのに」


「う、それは感謝してるけど……だって、なんか悔しいじゃん」


 サーリャはこれまで、父親以外の男に取り入るのに、苦労したことなど一度もなかった。身体を使って愛嬌を見せれば、みんなサーリャの言うことを聞いてくれる。


 魔術師としての実力がお粗末で追い出されることになっても、最初に自分を仲間に入れた男は、サーリャに同情的でいてくれた。それが原因で他の女の揉めている姿も見たが、それはさておき。


 ところがマイロは、最初から取り付く島もない。確かに、当初はマイロに冷たく当たっていた自覚はある。けれど、謝って、身体で迫っても、なしのつぶてなのだ。


 そんな態度を受けたのは初めてだ。サーリャには、屈辱だった。


「それに、もしバルバラ商会になんて行くことになったら、どんな扱いされるかわかんないし」


 その点、ここはいままで見てきたどこよりも穏やかだ。


 自分とマイロ以外はみんなゾンビだと言うが、言われなければほとんどわからない(触ったら確かに冷たかったし、ポラッカはよく見ると首と身体が別人のようだった)し、みんな思い思いに過ごして、勉強しろとベルトで打たれることもない。


 自分の身体に一切なびこうとしないマイロだが、逆にゾンビ少女たちも、彼になにかをお願いするのに、身体を触らせる必要はない。ただ時折、なにを対価にするわけでもなく、穏やかに触れ合っているときがある。やはりそれも、サーリャの知らない触れ合い方だった。


「うーん、それはわかるかも。わたしもあそこは、あんまりいい思い出ないなあ」


 ポラッカとマズルカは、もともとバルバラ商会の奴隷だったという話だ。そのポラッカがこう言うのだ。ますます、ここを出て行きたくない。


「ほら、やっぱり! お願い、ポラッカちゃん、もっといろいろ教えてぇ。私頑張って覚えるから! マイロくんに、私が役に立つって思わせなきゃ!」


「教えるのはいいんだけど……役に立つって思ってもらうなら、マイロおにいちゃんにじゃなくて、ウリエラおねえちゃんにかも」


「え?」


 サーリャは首を傾げる。


 どういう意味だろう。ここを仕切っているのは、マイロではないのだろうか。


「マイロおにいちゃんは結構てきとうなところあるけど、ウリエラおねえちゃんは、ちょっときびしいから。それに、マイロおにいちゃんの一番なのも、ウリエラおねえちゃんだし」


 サーリャは急速に不安に駆られる。


 自分は、確実にウリエラに嫌われているだろうから。



 地下に降りてみると、相変わらず暗い室内で、ウリエラは一心不乱に机に向かい、厚い革表紙の本を覗いては、手元の羊皮紙に羽根ペンでなにかを書きこんでいる。


 どうやら、魔術具に使うための術式を描いているようだ。落ちこぼれ白魔術師といえども、サーリャにもそれくらいはわかる。


 サーリャは慎重に慎重に、石畳を踏みしめてウリエラへと歩み寄る。別に忍び寄っているわけではない。トレイに乗せたポットやティーセットを、ひっくり返さないためにだ。


「ウ、ウリエラちゃん、少し、休憩にしない……?」


 サーリャたちが上で家事に勤しみ、一度食事を挟んでいる間も、ウリエラは地下室から出てきていない。そこで息抜きに誘ってみることにしたのだが。


 声をかけても、ウリエラは顔を上げようとしない。


「平気です。私はゾンビなので、疲れませんから」


 にべもない。その返事は自虐のようにも、あるいは拒絶のようにも聞こえた。お前はゾンビじゃないのだから、自分たちの仲間ではないとでも言うかのような。


「えと、じゃあ、紅茶淹れたんだけど、飲まない?」


「その辺に置いておいてください」


 サーリャは挫けそうになった。マイロ以上に、取り付く島がない。なによりサーリャは、同性に媚を売る方法を知らない。男に取り入るたびに、女からは敵意を向けられるのが常だったから。


「えっと、わ、それ黒魔術の術式? すごいなあ、ウリエラちゃん頭いいんだね。私にはさっぱりわかんないや。どうしてそんなに頑張れるの?」


 そっと後ろから覗き込んで、精いっぱいにおだててみる。実際、黒魔術と白魔術の違いを別にしても、サーリャにはなにが書かれているのか、ちっとも読み取ることが出来ない。


 実際、ウリエラは頭がいい。ケインの言いなりになっていたときには、見えなかった姿だ。いまの彼女は、サーリャが知っていた頃より、ずっと生き生きして見えた。


 ほら。


「決まってます、マイロ様のお役に立つためです。さっきから、いったいなんのご用ですか?」


 彼女は死んでいるのに、マイロのことを想って、目を輝かせている。


「その……ウリエラちゃんがマイロくんの一番の子だって聞いたから。だからその、もっと仲良くなれないかな、って。わ、私の態度のことはほんとに謝るし、もっとなにか私にもできることがないか、教えてくれないかなーとか」


「確かに私は、マイロ様の一番最初のリビングデッドですが、私なんかに媚を売る必要はありません。マイロ様のお役に立てるかどうか。重要なのはそれだけですから」


 おや。サーリャは首を傾げる。


「あれ、一番ってそういう意味? てっきり、マイロくんの一番のお気に入りがウリエラちゃんなんだと思ってたんだけど」


 ウリエラは、振り返った。目を丸くして、慌てた様子で。


「た、確かに一番きれいだとは言っていただきましたけれど、でも、その身体も傷つけてしまって……だから私は、もっとマイロ様のお役に立たなければいけなくて」


 またしてもサーリャは首を傾げた。


 どうして彼女は、こんなに焦っているのだろう。サーリャの目から見たって、マイロが一番気にかけているのはウリエラだった。なのに、まるで少しでも気を抜けば、すぐにマイロに見捨てられるとでも言うかのような。


「それに私は、マズルカさんやポラッカさんみたいに、身体も強くないですし、それに……」


 小柄なウリエラは、豊かに育ったサーリャの身体を見上げる。


 その視線で、直感した。


「もしかしてウリエラちゃん、マイロくんに抱かれてないの?」


 サーリャの無神経さはいまに始まったことではなく、結局このときも、打ち解けたいと思ったはずのウリエラを怒らせ、追い出されて終わったのだった。

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