第59話:バルバラ商会
バルバラ商会は、ガストニアにおいてゴルトログ商会と勢力を二分する、もうひとつの大商会だ。いくつもの商店を傘下に抱え、ガストニアの東市場を牛耳っている。
ガストニアがダンジョンの変異で人を集め始める直前、鼻を利かせて乗り込んできた新参でもあり、学院設立当時からこの街に根を張っていた老舗のゴルトログ商会とは、犬猿の仲だというのは街の誰もが知っている話だ。
ゴルトログ商会の娘であるサーリャに興味を示しそうで、かつゴルトログ商会も迂闊に手を出せない相手がいるとすれば、ここの他にはいないだろう。
そんでもってバルバラ商会は、僕ともほんの少しだけ縁がある。僕自身は、客として傘下の商店を使ったことがあるくらいだが。
「物々しいなあ」
顔を隠すフードの下から、そっと目の前の建物を見上げる。
バルバラ商会の本拠は、商会の会館というよりは、むしろ城塞のような見た目をしていた。角ばった武骨な石造りの建物に、周りを取り囲む高い壁。商会お抱えの衛兵たちが、斧槍を手に、金属鎧に身を包んで敷地を守っている。
中に入れるのは、商会の人間か、商会に属する商店主たちだけだ。
では、一介の死霊術師に過ぎない僕なんかが、どうやって取引を持ち掛けるのか。
そりゃあもちろん、伝手を頼るしかない。
「まさか、またここに顔を出すことになるとはな」
僕の隣で、同じく顔を隠したマズルカが、同じように目の前の建物を見上げ、深くため息を吐く。
そう。
バルバラ商会は、死ぬ前まで奴隷だったマズルカとポラッカの、元所有者だ。
「ごめんね、こんなお願いすることになって」
「いや、構わん。サーリャの件はなにか手を打たなければならないし、ついでにアタシたちが人目を気にせず街に出られるようにしたいしな。向こうがアタシの顔を覚えてなかったら、なにもかもご破算だが」
つまり、お宅で購入された奴隷が死んでしまって、いまは僕と一緒にいますよ。と挨拶する口実で入り込み、サーリャの身柄を引き受けてもらえないか持ち掛けよう、という算段である。
「果たして、死んだ奴隷が伝手になるかどうかは疑問だが」
「どうにか中に入れたらいいんだけどね。ここまで来て、無駄足にはしたくないし」
僕らの安寧のためとはいえ、ここに来るまでも、本当に面倒だった。
まず僕らの家に居座ろうとするサーリャを宥めるのが面倒だったし、下手に転移門を使うわけにもいかないので、マズルカと二人、徒歩でダンジョンを出なければならなかった。
外に出たら出たで、顔を隠し、人目を気にして歩かなくてはいけない。
サーリャや僕らが大々的に手配されている様子はなかったが、どこで誰の目が光っているかわからない。街を歩くのに、こんなに胃を痛くしたのは、初めてだ。こんな面倒なこと、本当にさっさと終わらせたい。
「でも、不思議だよね。正直、僕らがサーリャを攫ったことにして手配する、くらいはしててもおかしくないと思ってたのに」
「サーリャの話では、父親は自尊心が大きい男のようだった。自分の手で捕まえたいのかもしれないな」
それだけ、だろうか。なにか向こうにも、僕らの把握していない事情がある気もする。しかしまあ、いまに限って言えば、好都合だ。
僕の想像していた通りにならないうちに、ケリをつけてしまいたい。
「とにかくやってみよう」
マズルカと二人、堂々と商会の正門へ足を向ける。
門を守っている衛兵が、真っ直ぐに近づく僕らに、警戒の目を向ける。
「なんだ、お前たちは」
目の前でフードを脱ぎ、顔を晒すと、衛兵たちの顔に動揺が走った。死霊術師と、ルーパスの女だ。たぶん急に出てこられたら、誰だって驚く。
「アタシは、以前ここで世話になっていたものだ。商会長に挨拶したいのだが」
マズルカはそう言って胸元を開け、隷属の刻印を見せた。
◆
「案外あっさりと通してくれたね」
ふかふかのソファに、天板にクロスをかけられたテーブル。足元にはやわらかな毛並みの絨毯が敷かれている。手の中にあるのは、普段使っているカップとは比べ物にもならない、陶磁器のティーセットだ。
バルバラ商会の応接室は、外観からは想像もつかないほど、豪奢な内装で僕らを迎え入れてくれた。
僕らが素性を告げると、衛兵は伝令を出し、程なくして中へ招き入れられた。いまはこうして、用意された紅茶でのどを潤しながら、商会長が現れるのを待っている。
「あるいはもう、バルバラ商会までなんらかの情報が通っているのか」
「それもあり得るかもね」
サーリャの一件は、ライバル商会のスキャンダルだ。聞き耳を立てていたっておかしくはない。
「ところで、バルバラ商会の会長って、どんな人?」
僕が問いかけると、マズルカは少し考えてから答えた。
「ほとんど直接は話していないが……山賊のような男だった」
「なにそれ」
「見ればわかる」
バルバラ商会の会長が豪放磊落な男だという噂は、確かに聞いたことがある。けれども、仮にもいち商会の会長をして山賊のようとはどういうことだろう。
ちょっと不安になってきた。
「大丈夫かな、身ぐるみはがされたりしない?」
「おそらく心配はいらないと思うぞ。時折見かけた程度だが、あれからは昔のうちの族長と同じ匂いがした。目先の利に囚われず、地盤を固めてから踏み込むタイプだ。迂闊なことはするまい」
「それ、僕と取引する価値がある、って思われればでしょ」
「頑張れ」
ひどいや。
慣れない、そして苦手な対人交渉を前に緊張で手に汗をにじませていると、廊下からどすどすと重たく響く足音が響いてくる。帰りたくなってきた。
「おう! 死んだはずの奴隷が戻ってきたって聞いたぞ! どういうこった!」
怒号と共に、扉をぶち破らんばかりの勢いで部屋に入ってきたのは。
がっしりとした体格に、筋肉でぶ厚く盛り上がった胸板に二の腕。脚なんか僕の何倍あるだろうかって太さだ。ぱつんぱつんに膨らんだシャツや、洗いざらしのズボンなんて、とても高い地位にある男の身なりには見えない。
そして目を引くのは、山奥に住むドワーフもかくやと言わんばかりの、伸ばし放題に伸びたぼさぼさの髭。
バルバラ商会会長、ロドム。
なるほど、マズルカの言う通り、まるで山賊のような男だった。
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