第58話:報いたくて

「うわー、暗いなあ。こんなところにいたら、性格まで暗くなっちゃうよ?」


 僕とウリエラの領域にずかずかと入ってきたサーリャに、ウリエラは思いっきり眉を顰めている。たぶん僕も、同じような表情をしていたと思う。


 サーリャは、自分の気持ちに素直過ぎる。いや、素直なのは一向に構わないのだけど。好意を抱くかどうかは別だ。


 だいたい、彼女も魔術師の端くれなら、このいかにも研究室な空間に少しくらい惹かれるものがあってもいいんじゃないの?


 サーリャは室内を見回し、試料の棚を「ひえ、気持ち悪……」とか零しながら迂回し、僕たちが話し込んでいた机までやってくる。余計なことを言うから、ほら、またウリエラの目が険しくなってる。


「……なんか用?」


「えー、だって二人ともいなかったから、どうしたのかなって。マズルカちゃんに聞いたら地下に行ったって言われたから、来てみたんだよ」


 つまりなんだろうか、用はないのに来たとでも言うのだろうか。


 僕やウリエラの視線に気が付いたのだろう。サーリャは立ち止まると、気まずそうに髪をいじり、目線を逸らす。


「あはは……やっぱり二人とも、私のこと、嫌いだよね」


 突然どうしたのだろう。好きか嫌いかと言われると、正直どうでもいい。


「自分が大事にしているものを気持ち悪いと言われて、好きになるのは難しいと思いますが」


 ウリエラの言う通り、愉快な気分にはなれないが。


「え、でも、それはマイロくん、怒ってないって」


「怒っていないのと嫌な気持ちになるのは別のことです。それに私は、マイロ様の気分を害されるのは、許せません」


「う、その、ごめんなさい……っていうか、ウリエラちゃんってそんなマイロくんにべったりだったっけ? だって前は、ケインに」


「サーリャさんッ!」


 いままでにない剣幕のウリエラに、サーリャは肩を跳ね上げ、たじろぐ。僕も少しびっくりした。ウリエラ、あんな声出るんだ。


 ケインたちはウリエラを玩具のように扱っていた。きっと彼女にとって、思い出したくない記憶だったのだろう。


「あ、あの、私……」


 さすがのサーリャも、逆鱗に触れたことに気付き、顔を青くしている。


「落ち着いて、二人とも。サーリャは少し黙って。ウリエラ、大丈夫?」


「は、はい。あの、マイロ様」


「なあに?」


「私は、私の全部は、マイロ様のものですから。身体も、魂も、全部です。だから」


「うん、ありがとう。大丈夫、わかってる。ウリエラは、僕の家族だもんね」


 そっと手を握り、ひんやりとした彼女の頬に触れると、ウリエラはくすぐったそうにしながら、その手に顔を摺り寄せてくる。


 別に、過去に誰が彼女に触れていようと、僕には関係がない。けれど、ウリエラが嫌な気持ちになるなら、もう思い出してほしくはない。


 どうすれば忘れさせてあげられるだろう。


 少なくとも、サーリャがここにいるのは、きっと良くない。


「サーリャ。用がないなら出ていってもらえる?」


「ち、違うの、私、そんなつもりじゃなくて。ただ、お礼したくて」


「お礼?」


「私バカだし、なにもできないし、いまみたいにすぐ人を怒らせちゃうし。なのに、私のこと助けてくれて、まだちゃんとお礼してなかったから」


 なにを思ったかサーリャは、その場に膝をつくと、ローブを脱ぎ、服の襟元を緩め始める。待って待って。なんでいまこのタイミングでそういうことするの!


「やめてって! ほんとにそういうのはいいから!」


「でも私、これくらいしかできることないし」


 できるからって、やらなくていいことだってある。


 言っても聞かないサーリャに参っていると、袖を引っ張られる。ウリエラが、僕を見つめていた。ああもうほら、やっぱり彼女が嫌な思いを。


「あの、マイロ様が求められるのでしたら、私も、その、大丈夫ですから、マイロ様にでしたら」


「ウリエラまでなに言ってるの!?」


「で、でも、ポラッカさんたちのおなかは撫でていらっしゃるので、や、やっぱりマイロ様もそういうのが」


「え、そうなの? なんだ、マイロくんもすることしてるんじゃん、だったら」


「だったらじゃない!」


 突然暴走し始めてしまった二人をどうにか宥め、椅子に座り込んで肩で息をする。


「そうですよね……私なんかには触れたくありませんよね……」


 もとい、まだちょっと暴走している。いつも身体の拭きあいっこしてるのに。


「違うから、本当にそうじゃないから。僕はウリエラのこと……いや、いまはそういう話じゃなくて」


 話を元に戻さなければ。


「あのねサーリャ。ありがたく思ってくれるのはいいんだけど、正直僕は、いつまでもここに君を置いておくつもりはないよ」


「え」


「もちろん、いまさらすぐに出ていけなんて言わない。このままだと僕らもちょっと面倒なことになるしね。ゴルトログ商会が、どうにか君を追わないように持っていけないか、考えてるところ」


「で、でも、私は別にこのままでも」


「よくない。だって君は、生きてるから」


 僕は、どうしても生きている人間を、信用しきれないから。


 サーリャが言葉に詰まり、目を瞠るけれど、こればっかりは信条の問題だ。


「そ、か……」


「そう。だからどうにか、サーリャが逃げ込める先が他にないか考えてたんだけど、なかなかね。学院や市議会がそんなことに手を貸してくれるとは思えないし、他にゴルトログ商会が手を出せないような組織なんて……」


 ん?


 ゴルトログ商会が手を出せない、つまり、ゴルトログ商会に匹敵するような組織?


 そうだ、さっきそれで、なにか思いつきかけたんだ。あったはずだ、ゴルトログ商会と覇を競い合って、かつ本当にわずかながら、僕たちとも縁がある組織。


 ライバル商会の娘なんていう、格好の商材に飛びつきそうな、大組織。


「あ、そっか、バルバラ商会だ」

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