第53話:騎士ケイン(1)

「いまなんて言った……商会の金を持ち出したのがバレた? まさか、治療に使った金、あれがゴルトログ商会の金だったって言うのか!? ふざけるな!」


 アナグマ亭の客室。


 寝耳に水の報告を受け、ケインは激昂し、やっとの思いで取り戻した手に握った杯を、サーリャに向けて投げつけた。


「ひっ! だ、だって、ケインが急いで用意しろって言うから」


「誰が盗んで来いなんて言った! バカ女、お前の身体でも何でも使って、稼げばよかっただろうが!」


「そ、そんな、無理ですよお」


 ゴルトログ商会は街の一大勢力だ。その金に手を付けたなんてことが知れたら、ガストニアで生きていくことなどできない。


 ふざけるな、どうしてこうなった。なにもかも上手くいかない。俺は完璧だ。完璧だったのに。すべてが崩れ去った。なにもかも、あの死霊術師のせいだ。


「お願いケイン、助けてください。仲間でしょ……?」


「……出ていけ」


 サーリャの顔が絶望に染まるが、知ったことではない。


「出ていけ! お前みたいな股も頭も緩い間抜け、俺の仲間なんかじゃない!」


 ぐずるサーリャを、剣を振って追い出すと、ケインは乱暴に椅子に座り込んだ。


 脚甲に包まれたつま先が、繰り返し床を踏み鳴らす。


 ケインはミスリル級冒険者だ。その名声があれば、なにもかもが上手くいくはずだったのに。やっとの思いで手にした称号なのに。


 思い返せば、ここに来るまでいろいろなことがあった。


 故郷たるカルヴィニヨン子爵領は、ケインにとってただただ退屈な世界だった。


 領主の次男坊として生まれたケインは、食うにも着るにも寝るにも学ぶにも不自由することはなかったが、厳格な父と兄によって統治されている領地は、決してケインのものになることはない。幼少のころからケインは、それが面白くなかった。


 父と兄の手ほどきを受けていたケインは、成長するにつれ腕っぷしも強く、近隣の悪童たちとつるんで横柄な態度をとることも目立ち、次第に親族からも疎まれるようになる。だが薄汚れた農民たちを鼻で笑い、愚図な使用人たちを後ろから蹴飛ばしても、彼の退屈が晴れることはない。


 転機が訪れたのは、十五歳になった年。近く嫁入りが決まっていた粉ひきの娘を、悪童たちと共に手籠めにしたことで、ついに家を追い出されることになったのだ。


 これはケインにとって、大きなチャンスだった。身一つで領地を追われ、彼はなにひとつ迷うことなく、ガストニアへと足を向ける。以前から噂で聞いていたのだ。ガストニアの冒険者になれば、腕ひとつで成り上がることが出来ると。


 噂は、なにひとつ間違っていなかった。


 ガストニアのダンジョンでモンスターたちを殺せば、それがそのまま金になる。金があれば、酒も女も思うがままだ。


 もちろん当初は、上手くいってばかりではなかった。日銭を稼ぐのがやっとだし、仲間に加えてやると言っても、集まるのはむさ苦しい前衛ばかりで、やむなく陰気な死霊術師なんて気色の悪い相手を仲間に加える羽目にもなった。


 だが、一度軌道に乗れば、あとは早かった。


 ダンジョンに潜り、モンスターに剣を振い、その戦利品を金に換えたら、娼館にしけこむ。途中から加わった黒魔術師は、いつまでも貧相な身体の陰鬱な小娘だったが、気に食わないことがあったとき、部屋に呼び出して鬱憤を晴らすにはちょうど良かった。


 気付けばケインたちは、ミスリル級の位を得て、名実ともにトップクラスの冒険者に上り詰めていた。これからますます大きな名声と金を手にする。はずだった。


「マイロ……あの忌々しい死霊術師め……!」


 ついさっき追い出したサーリャが加わった頃、目の上のたんこぶだった死霊術師、マイロをパーティから追放しようとした。


 するとマイロは、なにを逆恨みしたのか、ケインたちの負傷を治したはずの魔術を取り消し、黒魔術師のウリエラを連れて姿を消したのだ。


 キースはその場で死に、下半身を失くしたドラムも、数日後に息を引き取った。


 残ったのは、両腕を失くしたケインと、恐る恐る戻ってきたサーリャだけだ。


 それから待っていたのは、屈辱の日々だった。


 食事や下の世話から、宿の払いまで、赤子のようにサーリャに世話を焼かれながら、腕を再生する方法を探した。欠損した身体を再生できる白魔術師など、王都でさえ何人もいない。


 そしてようやく見つけた白魔術師は、莫大な金額を要求してきた。連日夜遊びにかまけていたケインには、とても払える額ではない。実家に頼ることも考えたが、プライドがそれを妨げた。いまさら、家に頭を下げるなどできはずがない。


 足元を見やがって。怒り狂いながら、ケインはサーリャに金を要求した。サーリャはそれに応え、治療に必要なだけの金を用意した。とうとう、ケインの腕は戻った。


 やっと元の力を取り戻した。そう思っていたのに。


 まさかサーリャが、ゴルトログ商会から金を盗んでいただなんて。


 ケインは、はっと顔を上げる。


「……マズい」


 衝動的に追い出してしまったが、もしもサーリャが商会に捕まり、ケインの名前を漏らしたりでもしたら。


「クソッ! バカ女が、厄介ごとを引き起こしやがって」


 剣を引っ掴み、宿を飛び出す。


 どうする。どうすればいい。すぐに追いかけなければ。見つけ出して、捕まえて。


「殺してやる」


 ケインは通りを走りながら考える。あいつはどこへ逃げる。サーリャは魔術学院に所属する白魔術師だ。最近はケインにつきっきりだったが、普段は学院の寮で暮らしている。


 だったら、学院に向かう可能性が高い。


 果たして、その読みは当たっていた。だがゴルトログ商会の追手も、すでにサーリャを発見している。


 どうすればいい。


 咄嗟に身を隠して様子を窺っていたケインは、思いがけない光景を目の当たりにする。


「マイロ……ッ!」


 ケインからすべてを奪った死霊術師が、サーリャと共にいた。


 やっと運が向いてきたのかもしれない。ケインはほくそ笑む。


 どんな成り行きか、サーリャと共に逃げ出したマイロたちは、転移門へと消えていった。ゴルトログ商会の追手たちは、まんまと標的に逃げられ悪態をついている。


 だがケインは知っている。彼らがどこへ逃げたのか。細部はわからないが、人手さえあれば探す場所は限られている。


「なあ、あんたら。いまの連中がどこに逃げたか知りたくないか?」


 吊り上がった唇の上から、人当たりのいい笑顔を張り付け、ケインは追手たちに近づいた。同じ獲物を狙うなら、手を組んだ方がいい。

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