第52話:逃避行

 学院の前。僕を押し倒した白魔術師の女。たぶん彼女を追いかけてきている、物々しい雰囲気の男たち。


 で、女はなぜか僕をなじってくる。


 本当になにひとつ理解ができない。


「どうするマイロ、迎え撃つか?」


「ダ、ダメ! あいつらゴルトログ商会の人間なの!」


 身構えたマズルカを、女は血相を変えて止める。


 ゴルトログ商会。参ったな。ガストニアではバルバラ商会と勢力を二分する、一大組織だ。こんな白昼堂々連中と交戦しようものなら、今後下手に街に出入りできなくなるかもしれない。


 まだ、それはちょっと困る。


「逃げよ逃げよ。関わるだけ損だよ」


 女を押しのけて立ち上がろうとしたのだが、


「待ってよ、私も連れて行ってよお!」


 なんでか知らないけど、女に裾を掴まれて動けない。


「いや、ちょっと離して、巻き込まないでよ」


「はあ!? 誰のせいでこんなことになったと思ってんのさあ!」


「知らないよ! ああもう、ウリエラ、目くらましして!」


「は、はい!」


「うわ、目が!」「いてえ!」「くそ、黒魔術師だ!」ウリエラが杖を振って術式を走らせると、風が舞いあがり、砂ぼこりが男たちの視界を奪う。


 とりあえず、時間は稼げた。


「なんだかさっぱりだけど、逃げるならさっさと逃げようよ。はい、立って」


「ん、んんぅ」


「じゃあ君はあっち、僕らはこっちね」


「だから、助けてって言ってるでしょお!」


 せっかく立たせてあげたのに、白魔術師の女はどうしても僕から離れようとしない。なんでどこの誰かも知らない相手を、ゴルトログ商会なんて面倒な相手から助けないといけないのか。


「あ、あの、もしかして、サーリャさん、ですか?」


「え? あー」


 言われて、思い出した。まだケインたちとパーティを組んでいたとき、最後に入ってきて僕らが追い出されるきっかけになった、あの白魔術師か。


「なにその反応! まさか忘れてたわけえ!?」


「いやだって、君ほとんどケインにべったりで、全然絡みなかったじゃん」


「マイロ、なんでもいいからここを離れるぞ」


「おにいちゃん、はやくはやくっ」


 そうだった。相手がサーリャであれ誰であれ、いつまでも構っていられない。


「とりあえず久しぶり、サーリャ。じゃ、頑張ってね」


「で、では失礼します」


「あ、ちょっとお!」


 今度は捕まらないように、さっさとその場を離れるように走り出す。もうとにかく早くダンジョンの我が家に帰りたい。


「あんたたちだけ逃げようなんて、絶対、許さないし……!」


 だって言うのに、なぜかサーリャまで全力で走って追いかけてくる。その後ろからは、ゴルトログ商会の男たち。


「いやこっち来ないでよ! 僕らなにも関係ないでしょ!」


「あるから! なにもかも全部あんたのせいなんだから! 責任とってってばあ!」


 本当に、心の底から、なにひとつとして心当たりがない。


 とにかく走って振り切りたいけど、残念ながら魔術師の僕にそんな体力はないし、足の速さはサーリャと僕でどっこいどっこいだった。


 ひたすら逃げ切ることだけ考えていたから、足が向かう先は、自然とウリエラの転移門がある雑木林に向かっている。当然、サーリャも男たちも後ろからついてくる。


「マ、マイロ様、どうしますか……っ!?」


「もうしょうがないから門を開いて!」


「はひぃ……!」


 走りながらウリエラが、どうにか術式を起動する。彼女が呼吸を必要としないゾンビで、本当に良かった。普通の魔術師は走りながら魔術を行使したりできない。


 行く先に転移門が開き、先に到着したマズルカとポラッカが振り向いて手招きをしている。先に入って、と手で合図すると、二人は門の向こうに飛び込んだ。


「さすがに、もっと運動しないと、ダメかな……っ!」


「マイロ様、あと少しです!」


 どうにか、逃げ切、った……!


 息を切らせながら門に飛び込めば、もう目の前には、僕らのトレントログハウスが佇んでいる。


 待ちかねていたトオボエが駆け寄ってきて、べろべろと顔を舐めてくれる。


「あは、ひい……待ってトオボエ、いまもうくたくただから……」


 ここなら最悪、ゴルトログ商会の連中まで飛び込んできても、誰にも見られずに処分できる。


「どうにか、逃げ切れましたね……」


 とか思っていたのだが、幸いウリエラが駆け込んできて門は閉じた。これで転移門は、ウリエラにしか開けられない。


 なにがなんだかさっぱりだったけれど、どうにか厄介ごとから逃れられたようだ。


「ふへぇぇ……助かったあ」


 と思ったのだけれど。


 僕の隣では、地面に身を投げ出したサーリャが、深く安堵の息を吐いている。


「なんでいるの!?」


「そんなん、逃げる先に転移門があったら、一緒に入るに決まってんじゃん……」


「す、すみませんマイロ様、最後に追い抜かされてしまって……」


 最後尾にいたはずのサーリャは、すんでのところでウリエラを追い抜き、転移門が閉まる前にこちらに飛び込んできていたらしい。


 うそでしょ。


「え、帰って」


「やだよ! 誰のせいでこんなことになったと思ってるの!」


「だから、君がゴルトログ商会に追われてるのが、なんで僕のせいになるのさ!」


 一切合切徹頭徹尾なにも身に覚えがない。


 だいたい、パーティを離れてから彼女たちがどうしていたかも、なにひとつ知らないのだ。


 するとサーリャは、大きな瞳にめいっぱい涙を浮かべ、僕を睨み上げてくる。無駄だぞ、僕に泣き落としをかけようったって。僕のせいだって言うなら、理由を説明しろ、理由を。


「あんたが、ケインの腕を壊したから、こんなことになったんだ」


「……はあ?」


 理由を説明されても、やっぱり意味が分からないままだった。

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