第51話:線引き

 結局、剣を下げさせてから、事の成り行きを全部説明してやった。なんとかという司祭のおばさんが現れ、フレイナを破門にしていたこと。けれど最後の最後で、慈悲を与えるとか言ってなにか囁いていたこと。


 推測でしかないが、きっとあれが、フレイナの心を決めさせたのだろう。


 決定的な対立に至らず胸を撫でおろしていたヘレッタやダグバ、当事者でもあるマズルカは、僕の話に静かに聞き入っている。


 一方で、なぜか話を聞いたクルトとセルマは、ひどく沈痛な面持ちになっていた。


「……じゃあ本当に、先に裏切ったのはフレイナのほうなのか」


「裏切ったって言えるのかなあ。フレイナは聖騎士だったんだから、死霊術師を敵対視するのは、当たり前と言えば当たり前だし」


「けど、力を合わせてグールを倒したんだろ? なのに、寝ているところを襲うなんて。そんなやりかた、正しいとは思えない」


 ああもう、これだ。僕はこういうのが嫌いなんだ。だから話したくなかった。


「あのさ、なんでそこで意見を翻すのさ」


「え、いや、話を聞く限り、フレイナにも非があるだろ、それは」


「彼女に非があれば、髪を剥いだことは正当化されるの? 言っておくけど、僕はフレイナを恨んで死体に戻したんじゃないからね。グールの件がなければ、最初に見つけた時点で必要なところだけもらってたよ。聖騎士なんかゾンビにしても面倒だし」


 そこで顔を歪めるなら、事情があればいいみたいなことを言うんじゃない。っていうか、そんな簡単に僕らの話信じてていいのか。


「善悪を断ずるのに、相手の事情とやらで態度を変えないでよ。僕は僕の線引きで動いてる。フレイナは僕らの仲間にはならなかった、だから彼女の意見よりも、僕の仲間を優先した。それを否定されたから、どうしてって聞いたんだよ。君らには君らの線引きがあったんでしょ? それはそんな簡単にひっくり返るものなの?」


「それは……な、なんでそっちが怒ってるんだよ」


「別に怒ってない。でもね、優しいクルト。相手の事情とやらをいちいち慮って態度を変えるのは、どこにも線が引けてないのと一緒だ。ガストニアで人を殺した犯人の事情を追っていって、王都で風が吹いたことが原因だったら誰を責めるの?」


 自分の心情、相手の立場、社会の情勢。願望、欲望、渇望、羨望。血や、義や、信仰。生きた人間に付き纏って、絡まりあって、がんじがらめにする無数の”事情”。


 僕ら死霊術師が白い目で見られるのだって、そうする価値観を育んで来た事情が背景にある。腹も立つし、辟易もするけど、いちいちそんなものを相手になんかしていられない。


 善悪の線引きなんて、そうやって簡単に動いてしまう。


 そんなものに付き合っていたら、僕らはなにも決めることが出来ない。だから僕は、そんな面倒な生きた人間たちから距離を置こうと決めたのだ。


「自分の態度を決める線引きを、人の事情とやらに仮託しないでよ」


 クルトは俯いたまま、黙ってなにも答えない。


 俺が気に食わないから許せない、くらいのこと言ってみればいいのに。


「ねーねー、めっちゃ面白いんだけど、なんで今度はマイロが怒ってるの? 誤解が解けて、みんな仲直り、でいいんじゃないの?」


「……さあな」


「だいぶ面倒くさい人ですね」


「ああ、かなり面倒くさいぞあいつは」


 全部聞こえてるんだよなあ。面倒くさいのはこっちだよ。


 すると、そろそろとポラッカが僕に近づいてきて、上目遣いに見上げてきた。


「ね、ねえ、マイロおにいちゃん」


 いけない。この子はきっと、こんなギスギスした雰囲気は苦手だったろうに。


「どうしたの、ポラッカ」


「わたし、これが欲しいな。買って、くれる……?」


「へ?」


 目を丸くしてみると、ポラッカは屋台の売り物であろう、若草色のストールを手にしている。


 ポラッカのずっと後ろで、ダナが煽るように拳を上下させていた。


「はは……うん、いいよ。ほら、買っておいで」


「! ありがとう、マイロおにいちゃんっ」


 硬貨を渡すと、ぱっと顔を輝かせて、ポラッカはダナのところへ駆けていく。うーん、ポラッカを使うなんて、こ狡いなあ。


 でもおかげで、もうこれで話は終わりって雰囲気になった。


「僕らはもう行くよ。次の予定もあるからさ」


 まだ食料品の買い出しもしていないし、図書館にも寄ってから帰らないといけないのだ。いつまでもここで揉めていはいられない。


 僕は仲間たちを促して、市場を進む。クルトたちは、たぶんこの後アナグマ亭に戻るのだろう。セルマはなにか考えこみながら、僕に深々と頭を下げる。彼女にも嫌われたかもしれないな、これは。


「マイロ」


 別れ際、クルトに呼び止められて振り向く。まだなにかあるのだろうか。


「俺にはたぶん、あんたみたいに理屈で線を引くなんて、冷たいことは出来ない。あんたを納得させられるだけの、善悪の線引きもできてない。でも、やっていいことと悪いことは、絶対にある。絶対、納得させてやる」


「そ。頑張ってね」


 別に僕を納得させなくていいんだけど。それが彼の自己満足になるなら、まあ好きにやってくれればいい。


「ただ、ひとつ聞かせてくれ。あんたは死体は物で、道具だって言うけど、ウリエラたちへの態度には気遣いがある。だから俺は、あんたは悪いやつじゃないって思ったんだ」


「そりゃ、ウリエラたちは仲間だもの。仲間を気遣うのは当然じゃない?」


 それがどうしたんだろう。


「その仲間と、道具との線引きは、確かなのか?」


 どういう意味だろう。よくわからなかったけれど、それ以上問いただすのも面倒だったので、僕らはその場で別れ、それぞれの仲間たちのもとに戻っていった。



 買い物を終え、図書館で必要な本も借り、あとはもう帰るだけ、となった頃。


「あ、あ、ああの、その、も、申し訳ありませんでした、マイロ様」


 学院のそばで、急にウリエラが頭を下げてきた。


「な、なになに、どうしたのウリエラ?」


「いえ、その、だって、私が余計なことを言ったせいで、マイロ様に不快な思いをさせてしまったんじゃないかと、その」


 もしかして、クルトたちと言い争ってたときのことだろうか。


「そんなことないって! ウリエラは僕をかばってくれたんでしょ? 全然気にしてないから、ほら、顔を上げてよ」


「そうだぞウリエラ。それにあれは、わざと黙っていたマイロも悪い」


「え、なんで」


「フレイナに同情していたのもあるかもしれないが……お前、クルトと対等に言い争うのを期待してただろう」


 待って。


「どうしてそうなるの!? 僕はあいつが腑抜けた態度で突っかかってくるからイラ立ってただけで」


「よく言う。わざと真っ向から突っかかってこれるように、悪辣な態度を取っていたくせに。最後も発破をかけていたしな」


 なにそれ待ってやめてほんとに。まるでそれじゃ、僕がクルトに対して、ライバル関係を望んでるみたいじゃないか!


「勘弁してよほんとになに言ってるのマズルカ。僕が生きた人間相手になにか期待したりなんかするわけないでしょ。いままで僕のなにを見てきたらそんな結論になるんだよまったく。だいたいクルトなんて甘っちょろくててんで未熟で人望だけは無駄にあっていけ好かないの極みじゃないかあんなやつ」


 なんで笑うんだ、マズルカもポラッカも。ウリエラ、なんで目を逸らすのさ。


「ああもう! いいから帰るよもう! やっぱり街に出てもろくなことんがっ!?」


「マ、マイロ様!?」


「おにいちゃんっ?」


「大丈夫か?」


 僕は、突然後ろから激突され、思いっきり前に転んでしまった。なんだよ今度は。


「いてて……いったいなに……?」


「ご、ごめんなさい、私……あぁっ!」


 地面に倒れたまま、どうにか身体を捻ると、僕を押し倒して上に跨っていたのは、ふわふわとした金髪の少女だった。白魔術師だろうか、ローブと杖を帯びている。


 少女は僕の顔を見て、血相を変える。


「あんた、あんたのせいで私はあ……!」


 え、なに、誰だっけ。


「見つけたぞ!」「あそこだ、捕まえろ!」「そこを動くな!」


 少女の向こうから、どたばたと複数の足音と、男たちの声がする。


「助けてよお、あんたのせいなのよ、あんたのせいで私は……!」


 なに、なんなの、今度はいったい何事!?


 やっぱり、街になんて来るもんじゃない。僕は心底そう思った。

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