第48話:お出掛け

 僕らの家がある広場からは、橋のかかった小川を渡り、道を塞ぎ行き止まりのように偽装しているトレントゾンビたちを越えれば、ダンジョンの中の小道に出る。


 が、街へ行くのであれば、もうそこを通る必要はない。


「じゃあみんな、準備はいい?」


 僕は家の前で視線を巡らせ、身支度を整えた仲間たちの顔を見渡す。


 マズルカとポラッカは、二人でお揃いの外套を羽織り、念のためにフードを目深に被って顔を隠している。ウリエラもやはりローブのフードで頭を隠している。月の銀の髪はどうしても目立つからとのこと。


 僕はローブを着こんでいる以外は、街に持って行って売りさばきたいものを詰めたかばんを提げているだけだ。


 なんだか僕以外は、みんな巡礼者みたいな装いになってしまった。気にすることないと思うんだけどな。


 さておき。


「ウリエラ、お願いね」


「はい……見えざる道よ、我が前に門を開け」


 ウリエラが杖を振い、刻んであった術式を走らせる。


 不可視の魔力が術式を駆け巡り、生身の僕らには成しえぬ現象が引き起こされていく。布がたわむような奇妙な音とともに、空間が光を発し、歪み、ねじれていく。


 気付けば目の前に、光輪によって縁どられた、穴のようなものが口を開けている。


 穴の向こう側に見えるのは、やはり森だ。だが植生も明るさも、僕らの周囲に広がっている樹海とは、どう見ても繋がっていない。


 当然だ。穴の向こうに見えているのは、ダンジョンの外。ガストニアの学院に裏手にある、雑木林の中なのだから。よかった。どうやら向こうは昼間のようだ。


「すごいすごいっ、ほんとにお外のにおいがするね」


「何度見ても、奇妙なものだな」


 転移の魔術。


 事前に術式を刻まれた二点の空間を繋げ、人や物を自由に行き来させられるという、黒魔術師なら誰もが憧れる高位の術式だ。


 ミスリル級と冒険者ともなれば、使っている人間もそこそこ多い術式だが、カッパー級の頃に命を落とし、肉体とその保有魔力がその頃から成長しなかったウリエラは、術式こそ覚えているものの使うことが出来ずにいた。


 しかし、月の銀の髪という高密度魔力構造体を手に入れたことで、ついに転移を使えるだけの魔力を操れるようになったのだ。


 前回生活用品を買い揃えに行ったときも、行きこそ徒歩でダンジョンを逆戻りしなければならなかったものの、帰りは刻んであった術式を展開して、一瞬で家まで戻ってこられた。だから寝具だの調理器具だの買い揃えられたのだ。


 術式は直接行って刻まなければいけない、術者自身が通ると門は閉じてしまう、などの制限はあるが、あるとないとではダンジョン探索の効率も段違いの技だ。


「で、できました。どうぞ」


「ありがとね。それじゃあ出発しようか」


「わーいっ。トオボエ、お留守番よろしくね」


 わふ、と気の抜けた返事をするトオボエに見送られながら、僕らは光輪を潜る。そして一歩またいだ次の瞬間には、もうダンジョンの外に辿り着いているのだった。



 ガストニアの街は、いつでもとにかく賑わっている。


 もともとこの街に根を下ろしていた魔術師たち。ダンジョン目当ての冒険者たち。その両方を狙った商人や職人たち。近隣に畑を持つ農夫や牧場主まで含めれば、ここの人口は王都にも匹敵するとさえ言われている。


 そうなれば当然、集まってくる人間には、後ろ暗いところのある者も多い。不慣れな人間が迂闊に歩き回って迷子にでもなろうものなら、姑息な商人か危険な暴漢に目を付けられ、どちらにせよ有り金は失くなっているだろう。


「だから、はぐれないように気を付けてね」


「はーい」


「そこらの暴漢程度ならいくらでも返り討ちに出来るがな」


「出来るだろうけど、騒ぎになったら衛兵が来て面倒くさいから」


 みんなで固まって行動するのが大事である。通りすがりの犯行を企む人間は、相手の人数が多ければ、それだけで手を出すのを躊躇うのだ。


「まずは市街地で買い出しをして、それから学院の図書館によって帰る……そんな段取りで大丈夫かな? あ、あとお金も用意しないとだけれど」


「わ、私は全然、大丈夫です」


「ねえねえ、お洋服とかも見てもいい?」


「ふふ。じゃあ市場をぐるっと回ってみようか。ところで、マズルカたちの持ち主だったのって、どこの商会?」


「ん? ああ、バルバラ商会だが」


「バルバラか……なら、東側の市場には近づかないようにしようか。そっちはバルバラ商会が店を構えているから、下手に絡まれたくないしね」


 そうやって僕たちは街へと繰り出したわけだが、なんだか不思議な感じだ。


 僕は死霊術師だ。顔には黒陽の紋が刻まれ、それを見れば誰もが顔を顰め、距離を取ろうとする。学院の中でだって、死霊術科は肩身が狭いものだ。


 冒険者になってパーティを組んだって、それは変わらなかった。ダンジョンに潜るとき以外は基本的にひとり。あのパーティメンバーじゃ、僕のほうから関わり合いになりたくなかったし。


 家を出たそのときから、僕と一緒に歩く人は、誰もいなかった。


 それが今は、こうして一緒に食事をとって、並んで街へ出かける家族がいるんだ。


「奇妙なものだな」


 街の大通りに入り、人波の中を市場へ向かって歩きながら、フードの下でマズルカが呟いた。


「どうかした?」


「アタシたちはみな、それぞれの理由で顔を隠して歩いている。だが、人々はみなお前を見ている。唯一顔を隠していない、お前の死霊術師の紋を」


 言われてみれば、みんなの中で顔を出しているのは僕だけだ。じろじろと黒陽の紋を見られることには慣れ切っていたので、特に疑問にも思っていなかった。


「視線が気になるなら、僕も顔を隠そうか?」


「いや。むしろ、お前は誰の視線も気にしないのだな、と思っただけだ」


 不意に、マズルカと僕の間に、ウリエラが身体を滑り込ませて来る。


「マ、マイロ様は、顔を隠す必要なんてありません。誰かの目を憚るようなことは、なにもしていませんから」


 ウリエラはそう言って、僕を見上げる。


「ありがと、ウリエラ。そうだね、顔は隠さないよ。見られるのには慣れっこだし、死霊術師って生業を恥じてもいないから。みんなも外したかったら、フード外していいからね。ウリエラの言う通り、人目を憚るような罪を犯しているわけじゃないんだから」


 最初にフードを下ろしたのはポラッカだった。


「ならわたし、取るね。耳が引っかかってずっと気になってたんだ」


「はあ……面倒は避けたいんだがな」


 マズルカも、それに続いた。顔を知る人間に見られたら、面倒になるかもしれない。けれど、成り行きを知れば、僕たちを縛れる人間は誰もいない。


「わ、私は……」


「無理はしないでいいよ。人目を集めるのが嫌なら、被ったままで大丈夫だから」


 幾分悩んだ末、ウリエラは躊躇いがちに、ゆっくりとフードを下ろす。


「マイロ様が、きれいだとおっしゃってくださったので……平気です」


 それから、僕を見上げて微笑んでくれた。

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