第二章

第46話:新生活

 薄暗い室内。


「んあ……」


 ごきっ、と固まり切った首の骨が立てる異音で、僕は目を覚ます。恐る恐る身体を起こすと、肩も背中も腰も、ばきばきに凝り固まっている。


 いけない、昨日はトレントゾンビに関するレポートをまとめながら、そのまま机で寝落ちしてしまっていたらしい。


 椅子から立ち上がって肩や腰を回すと、あっちからこっちから酷い音がする。


 もうみんな起きてるかな。というか、どれくらい寝てたのだろう。


 地下室だと明かりがなくて外の様子が分からない……一瞬そう考えかけたが、そもそもここはダンジョンの中だ。樹海ゾーンは逆に、常に昼間のような明るさだから、どちらにしても時間なんてわからない。


 そう、地下室。ダンジョンの中、という意味ではない。ここは僕らの家である、トレントログハウスの地下室だ。


 ダンジョンの構造物は基本的に破壊できないが、地面は別だ。ある程度の深さまでは掘り返すことが出来る。そうでなければ、トレントが根を張ることも出来ない。


 そこでウリエラにお願いし、ボーン・サーバントで地面を掘り返し、トレント木材と石を組んで地下室を作ってもらったのだ。


 室内には作業用の机と椅子のほか、棚にダンジョンで集めた各種モンスターのパーツも、保存用の霊薬に浸けて並べてある。ゴブリンやダイアウルフの身体の一部、ワイルドボアの牙や、イエロージャケットの毒針。まだ使い道は考えていないが。


 なんにせよ、おかげさまで死霊術の研究もはかどっている。


 階段を上がってダイニングに向かうと、キッチンから香ばしい香りが漂ってくる。


「あ、お、おはようございます、マイロ様。ちょうど呼びに行こうかと」


 キッチンを覗けば、銀の輝きが出迎えてくれる。


「おはようウリエラ。今日のメニューはなに?」


「はい、焼いたベーコンとウィンナーに、蒸したジャガイモです。卵もまだ残っていますけれど、焼きますか?」


「お願いしてもいい? スクランブルエッグがいいな」


「はいっ、お任せください」


 ウリエラはこうして、この家での家事を積極的に引き受けてくれている。食器や調理器具も取り揃えたいまとなっては、キッチンはウリエラの城だ。食材の管理や掃除や洗濯も、ボーン・サーバントも併用して、一手に引き受けてくれている。


 なにからなにまで、彼女は僕の助けになってくれている。


「いつもありがとうね、ウリエラ。この家のこと、いろいろやってくれて」


「いえっ、このくらいはなんでも……じ、実はもうひとつ、この家のことで考えていることがあるんですが」


「なになに?」


 と、ウリエラの話を聞こうとしていたところで、背後からぱたぱたと足音が聞こえてくる。それから背中に軽い衝撃。


「マイロおにいちゃん、ウリエラおねえちゃんっ。ねえねえ聞いて、わたしね、今日すっごく上手に的を射抜けたんだよ」


「こ、こら、ポラッカさんっ。マイロ様に、う、後ろから抱き着くなんて、そんな」


「あはは、僕は大丈夫だよウリエラ」


 駆け込んできた勢いのまま飛びついてきたポラッカに振り向き、前から抱きしめてあげると、嬉しそうに胸元に顔をこすりつけてくる。しっぽがぶんぶん横に振れているし、顔に当たる獣耳がくすぐったい。やっぱり犬っぽい。


「すごいじゃないかポラッカ、あとで見せてもらおうかな」


「うんっ、見に来てね、絶対だよ」


 ポラッカが身体に纏っているのは、姉と同じように胸元と腰回りを守る、セパレートの革鎧。背中には弓と矢筒を背負っている。


「大したものだぞ。もともと鍛えられていた身体というのもあるだろうが、ポラッカには狩人の資質があったらしい。アタシも知らなかったよ」


 後ろから続いて入ってきたその姉のマズルカも、妹の腕前にご満悦だ。


 身体を手に入れてからというもの、ポラッカは、かねてから望んでいた一緒に戦う術を学ぶのに余念がなかった。当初は身体が覚えていたように、剣と盾で戦ってみればどうかと考えていたが、ポラッカの気質はあまり接近戦には向いていなかった。


 そこで、試しに弓矢を与えてみたところ、めきめきと頭角を現したのだ。


 パーティとしても、この選択には一部の理がある。これまで前衛がひとりと一匹(一時はもうひとりいたが、いまはいない)、後衛が二人だったところに、絶え間なく戦場を駆け回り、遠隔攻撃を仕掛ける中衛が加入してくれたのだ。


 これで僕らの戦いは、より盤石なものになるだろう。


「今日はどんな練習をしたの?」


「トオボエにね、的を付けて走り回ってもらったんだ。わたし、トオボエに当てずに、的だけ射抜いたんだよっ」


「動き回るトオボエの的を狙ったの? すごいなあ」


 自分が呼ばれたのを聞きつけたのか、外から「ばうっ」と鳴き声が聞こえる。トオボエも元気なようで、なによりだ。


 新しい家、新しい家族、ダンジョンでの新しい生活。なにもかもが、順調に回りだしているように感じる。


 なにもかも……。


「ね、ね、マイロおにいちゃん」


 ポラッカがそっと耳に顔を寄せてくる。


「あとで”おなか撫でて”ね」


「え、あー。僕はいいけど」


 どうもルーパスというのは、おなかを撫でられるのが好きらしい。


 身体を手に入れたからというもの、ポラッカはよくこうやっておねだりをしてくる。薄々わかってはいたことなのだが、この子は結構甘えん坊だ。


 ちらりとマズルカを見ると、むっつりと腕を組んでいた。


「あまりポラッカを甘やかすなよ、マイロ」


 マズルカお姉ちゃんの目が怖いのである。


「いいでしょ、おねえちゃん。群れのおさは、家族の働きにむくいるものだ、っておねえちゃんも言ってたもん。そうだ、おねえちゃんも一緒に撫でてもらおうよ」


「だってさ。どうする、マズルカ?」


「……アタシは、別の機会でいい。むしろアタシよりも」


 ふい、と僕から逸らされた視線の先には、後ろからじっと僕らを見つめている赤い目があった。


「ウリエラもおなか撫でる?」


「い、いいいいいいえっ! わ、私は大丈夫ですから、あの、しょ、食事の用意ができましたのでっ!」


 口早に捲し立て、ウリエラはキッチンに引っ込んでいく。


 順調、でいいんだよね?

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