第43話:聖騎士フレイナ(3)

 フレイナたちはゲオルギウスと戦った広場をあとにし、真っ直ぐに拠点に戻る。と、マイロはそのつもりでいたようだったが、そこに待ったをかけたのがマズルカであった。


 経緯はどうあれ、クルトたちの手を借りて大幅に行程を短縮できたのだから、無事を報告するくらいの義理は果たすべきだ、というのである。


 渋い顔をするマイロであったが、その結果作り出したトレントゾンビたちに二度も助けられた手前、提案を無碍に突っぱねることも出来ない。


 致し方なく、一度第10階層の階段広場を目指すことになったが、到着してみれば階段広場にクルトたちはおらず、冒険者を護衛に露店を開いていた商会の奴隷を捕まえ、言伝を頼むに留まるのだった。


 そして、今度こそ拠点を目指そうと第12階層まで下りたものの、結局一行は道中の広場で足を止め、そこでキャンプを開くことになる。


 トレントゾンビ作りや、戦闘で負傷したマズルカたちの修復で魔力を消費し、階段広場との行き来で歩き続けていたマイロの体力が、いよいよ限界を迎えていたのだ。


「トオボエに乗って行けばいいと言っているのに」


「やだよ、ほんとに寝ちゃって、落ちたら悲惨だもん」


 うつらうつらとしながら、マイロはテントの中に寝床を作っている。かばんを開き、ごそごそと毛布を取り出していく。ウリエラはその隣で、魔術で生み出した水で布を濡らしている。


「マ、マイロ様、よければ身体を拭かせていただきますが……」


「ありがとー、お願いしようかな。あ、そうだごめんごめん、いい加減にポラッカも出してあげないと」


「ここでか? いやまあ、もう平気か……」


 マズルカはなぜか、フレイナにちらりと視線を向けながらかばんを漁った。その視線を怪訝に思いながら様子を見ていると、かばんをまさぐっていたマズルカの両手がなにかを取り出す。


 なにか、


 丸い、


 一抱えほどの、


 犬のような耳の生えた。


「……ッ!?」


「紹介が遅れたな。この子はアタシの妹のポラッカだ。ほら、ポラッカ、フレイナに挨拶を……どうしたんだポラッカ? ずっとかばんに入れられて、拗ねてるのか?」


 応えようとしない腕の中のそれに、マズルカはしきりに話しかけている。


 親しげに、愛おしげに。


 テントの中の誰ひとりとして、その姿に疑問を呈しようとしない。


 フレイナは思わず立ち上がった。


「わ、私は、外に出てるわ」


「あれ、どうしたの。見張りならトオボエがいるけど」


「少しひとりで考えたいの……こ、これからのこととか!」


「うん……気を付けてね……」


 眠たげなマイロの声を聞きながら、フレイナはテントを飛び出す。丸まって目を閉じているトオボエの脇を通り過ぎ、広場の反対側へ。


「……げ、ぇ!」


 木立に手をついて、フレイナはえずいた。


 なんだあれは。


 いったいなんだ、あれは。


 首だった。マズルカと同じ、幼い獣人の少女の生首。目を瞑って、口を閉じて、動くはずもない生首に、マズルカは愛おしげに話しかけていた。


「あれが、妹ですって? 一緒に暮らせるようになったって、生首を持ち歩いてるってことなの……!?」


 あまりにもおぞましい光景に、吐き気を催す。だが、出てくるものはなにもない。もうずっと、なにも口にしていない。


 やはり、ゾンビなのだ。生きているかのようなふりをして動き回る、死体なのだ。マズルカも、ウリエラも、そしてフレイナ自身も。


 正しく生けるものなどでは、決してあり得ない。


「異常よ、なにもかも……」


-あれは言葉巧みに人の心に入り込み、魂を操る悪しき魔術師です。お前も、なぜその魂が罪を背負わされたのか、忘れたわけではないでしょう。教会に仇成すものを滅ぼし、哀れな囚われの魂を救うのです。あるいはそれが、お前が罪と穢れを雪ぐ、最後のチャンスになるでしょう。


 別れ際、広場で告げられたマリーアン高司祭の言葉が過る。


 やはり教会の教えが正しかった。自分の魂は穢れていないなどという甘言を、危うく信じかけた。でもそうだ、私がこんなことになったのは、すべて魔術師のせいじゃないか。


 チャンスをもらったという少女たちの目は、輝いて見えた。彼女たちも、被害者なのだ。自分は、毒されかけていたのだ。


 穢れに落ちかけていた目を、高司祭が覚まさせてくれた。


「マリーアン高司祭様の言う通りだった。あいつは、邪悪な死霊術師。魂を穢して死者を冒涜する、忌まわしき大罪人よ」


 為すべきことを、為さなければ。『言葉』の教えを受けたものとして。この世界の摂理を守るものとして。


 腰の長剣を確かめる。大丈夫だ、切れ味は落ちていない。


 気持ちを落ち着けるのに、たっぷりと時間を空けた。マイロの使役するゾンビには、マズルカとトオボエという選り抜きの戦闘者がいる。気取られてはならない。


 中の気配が寝静まったのを確かめ、テントに戻っていく。下手に足音を隠したり気配を殺してはならない。自分はこのパーティの仲間だ。当たり前の顔をして戻らなければ。


 ちらりと目線を寄越すトオボエの前を素通りし、幕をめくってテントの中に入る。


 皆、それぞれの寝床に横たわっている。マイロと、すぐ隣にウリエラ。テントの反対側で、マズルカは妹の首を抱きかかえて眠っている。


 なるべくその光景を視界に入れないように顔を背け、そろりと剣を引き抜いた。


 マイロを仕留めれば、おそらく自分も死ぬ。けれどそれでいい。それで、魂は罪を贖って浄化され、摂理の輪の中で『言葉』の祝福を授かるのだ。


 切っ先を下に向け、剣を振り上げる。


「んぅ……だれ……?」


 息を呑む。誰だ。聞き覚えのない声に、振り返る。


 人影はない。どこだ、どこに。


「おねえちゃん、だれ? なに、してるの……?」


 マズルカの腕の中で、少女の生首が、目を開いてフレイナを見上げていた。


 しまった……こいつもゾンビ……!


「マイロおにいちゃん!!!」


 慌ててマイロに剣を突き立てようと、腕を振り下ろす。だが。


「マイロ様! ぁぐっ!」


 その切っ先は、叫び声に反応し、咄嗟に覆いかぶさったウリエラの背中に刺さった。


「フレイナ貴様、なにをしている!」


 失敗した。失敗した失敗した。


 このまま戦う? 無理だ、マズルカとトオボエ相手にひとりでは勝てない。逃げようにも、獣の足からも、魔術からも逃れられない。


 だったら、せめて彼女たちの魂だけでも。


 外からトオボエが飛び込んで来るよりも早く、フレイナは素早く聖典を開き、聖句を引用する。


「『言葉』のもとに、汝らの御魂を正しき摂理の輪に返したまえ!」


 聖典から、光があふれた。


 その光を浴びた途端、フレイナの身体に力が入らなくなる。指の間から聖典がこぼれ、膝が折れ、顔から地面に倒れこんだ。


 痛みはない。感覚がなにもない。目も見えない。


 祝福によって、穢れた魂が浄化されたのだ。


 これで、摂理の輪の中に戻れる。死霊術師を討ち取ることは失敗したが、哀れなゾンビたちを解放することはできた。


 やっと、正しき死を迎えられる。


「いまの、祝福の光だよね。どうして聖句を唱えたの?」


 マイロの声が聞こえてきた。まだ耳は聞こえるらしい。


「あなたに囚われたマズルカたちを解放するため。死霊術師本人は討てなかったけれど、これで……」


 意外にも、声もまだ出た。


「どうしてマズルカたちを?」


「死霊術によって穢され歪められた魂を救うためよ! 人としての在り方を失い、ゾンビにされて狂わされた魂を! 忌まわしき死霊術師、私の魂は穢れていないだなんて、よくもそんな嘘を。でもこれで終わりよ、これで私たちは摂理の輪に還り、『言葉』の祝福を得るのよ」


「それが、あのおばさんの言ってた最期の慈悲?」


「高司祭様を愚弄しないで。あの方の教えはやはり正しかった。あなたみたいな悪しきものの言葉を、少しでも聞いてしまった私が愚かだったんだわ」


 もう、こいつの声を聞いているのも苦痛だ。早くすべての感覚が閉ざされればいいのに。


「……もしかしたら、死体なら聖騎士でも仲間になれるかも。少しだけだけど、僕はそう期待してたんだけどな」


「あなたに仲間なんかいないわ。あなたは死体を動かして弄んでいるだけ。この先も、永遠にひとりのままよ」


「そっか。マズルカ、上を向かせてあげて」


「え……?」


 視界が動いた。真っ暗な闇がひっくり返り、テントの天井が見えた。それから、自分を取り囲む人影たち。


「……嘘よ、どうして」


 マイロが、冷たい眼で見下ろしている。


 ウリエラも、マズルカも。そしてマズルカの手に抱えられた、生首の少女までが、丸い目を瞬かせて見下ろしている。


 あり得ない。


「どうして、まだ動けるの! 祝福の光を浴びたはずよ、あなたたちの穢れは浄化されたはずなのに!」


「僕さ、何度も言ったよね。君たちの魂は穢れてなんかいないって」


「そんなはずない! だったら、どうして私は光を浴びて……」


「君が動けないのは、僕が肉体の感覚を切ってるからだよ」


 言葉の意味が、理解できなかった。


「死霊術師が作るリビングデッドは、『空白』によって穢れを纏ったアンデッドとは起源が異なる。死霊術は単なる魔術だからね。だから祝福による影響も受けない」


「あり得ないわ。死者の魂を死体に結び付ける術が、穢れを生まないはずが」


「生まないよ。聖典は死霊術師を悪しきものだとしてないでしょ? 当たり前だ、魔術の術式は、『言葉』を読み解き、理解し、組みなおして使っているものなんだから。僕たちの使う魔術と、君たちの使う聖典は、起源が同じなんだよ」


 こいつは、なにを言っているの。


「教会は頑なにそのことを認めようとしないけどね。だって魔術師のほうが『言葉』に詳しいなんてなったら、自分たちの権威が揺らいでしまうから。でも考えてみてよ。ウリエラたちが祝福で清められるなら、どうしてあのおばさん、トレントゾンビに囲まれて聖句を唱えなかったの?」


 まさか。あり得ない。だって教会でずっと教わってきた。魔術師は『言葉』の摂理を乱す邪悪な存在だって。


「嘘、嘘嘘嘘嘘、そんなの嘘よ! あり得ない! 『言葉』はこの世界の正しき在り方を教え、導いてくれる! 魔術師はそれを狂わせ、穢しているのよ!」


 マイロは、心底困った顔で頬を掻く。まるで聞き分けのない生徒を、どう教育するか悩んでいるかのように。


「君たちは、『言葉』の教えってよく口にするけど、聖典は『言葉』という力によって世界がどう成り立っているのか、『空白』という力とどう相反しているのかを、ただ解説しているだけだ。それを”教え”や”善と悪”って解釈しているのは、権威を守りたい教会に都合がいいからなんだよ」


 忌まわしき魔術師の口から、滔々と虚言が漏れ出ている。もう、そんなものを聞く気は一切ない。


「わかった、あなたのせいね。あなたが私を穢したから、祝福を賜れなかったんだわ。そうに決まってる! 卑劣な魔術師、どこまで私を愚弄したら気が済むの!」


 マイロは、残念そうに眉尻を下げ、深くため息をついた。


「やっぱり教会の教えは、魂まで縛ってしまうんだね。なら残念だけど、君はもう」


「待ってマイロおにいちゃん。その人、死体に戻るの?」


 また不意に、幼い声が割り込んできた。あの生首の少女だ。


「そうだけど、どうしたの?」


「それならねえ、わたし、そのおねえちゃんの身体がほしいなあ」


 いま、なんて言った?


 あの少女の生首は、なにを言っている?


「こら、ポラッカ」


「だっておねえちゃん。マイロおにいちゃん、約束してくれたもの。わたしに、強くてきれいな女の子の身体をくれるって。その人ならぴったりだと思うの」


「あはは、気が早いよポラッカ。そうするつもりだったけどさ」


 もうないはずの背筋の感覚が、一斉に泡立ったような気がした。


「ま、待って、待ってちょうだい……いったい、今度はなんの話をしてるの」


「え? ああごめんね、聞かせるつもりはなかったんだけど。君の死体を、どうしようかって話でさ。見ての通り、ポラッカは身体がないんだ。ゴブリンに食べられちゃって。だから代わりの身体が見つかったら、くっつけてあげる約束をしてたんだ」


 意味が、わからない。


「それにね、君のその、月の銀の髪。たぐいまれな高密度魔力構造体。その髪は、ウリエラにあげたいなって考えてた」


「わ、私に、ですか……?」


「うん。この髪があれば、ウリエラ自身の魔力量が格段に上がって、高位の黒魔術も使えるようになるはずだよ。どうかな?」


 なぜ、それを、ウリエラに訊ねるのか。


「い、いいんですか、私なんかが、そんな……!」


「もちろん。もらって欲しいな」


「あ、ありがとうございます、マイロ様! 私、これでもっと、マイロ様のお役に立てます……!」


 フレイナの喉がひょうひょうと音を立てる。自分の頭の上で、自分を置き去りに、自分の身体を他人に渡す、なにか酷くおぞましい取り決めがなされていく。


 悪夢を見ているようだった。悪夢であってほしかった。


「やめて、やめてちょうだい。ふざけないで。この身体は、この髪は私のものよ。私が鍛えて、私が磨いてきたのよ。それを、まるで、物みたいに……!」


「でも、君はもう死んでいるし、僕の仲間にもなれない。ならもう、ただの死体に戻るんだよ? あ、安心して、粗末にするような使い方をしたりしないからさ」


 ああ、この男は。


 本当に自分を、ただの死体だとしか思っていない。


「いやよ、いや、助けて! お願い、私の身体に触らないで! あなた狂ってる、どうしてそんなことが出来るの!」


 叫んでも、助けなど来るはずがなかった。周りにはこの男の仲間しかおらず、外はダンジョンの地下深くだ。


「マズルカ、止めてちょうだい! こいつは、あなたの妹を利用して言うことを聞かせているだけよ! 人質を取られているだけ! 気付いてるでしょう!?」


 暴れようにも、指のひとつも動かない。ただ、目と口がかろうじて動かせるだけ。


 どうにか逃れる術はないかと辺りを見回しても、ただマズルカの、本当に心からの憐れみを含んだ視線と目が合うだけだった。


「フレイナ。お前は選んでしまったんだ。アタシたちを裏切る道を。アタシにはお前を助ける術はないし、あっても選ぶつもりはない。お前はアタシから妹を、妹からアタシを奪おうとしたから」


 ダメだ、ダメだ、この女はやっぱり愚かな蛮人だ。どうして理解できないんだ。


「ウリエラ、あなたのそれは忠誠心でも愛情でもなんでもない! 命の手綱を握られて、脅されているだけなのよ! もう一度だけチャンスをやるって甘言を囁いて、あなたの心を操って……あ」


 不意に、理解した。してしまった。


-あるいはそれが、お前が罪と穢れを雪ぐ、最後のチャンスになるでしょう。


 同じだ。


 同じだった。


 教会は、ずっとずっと、そうやってフレイナを操っていたのだ。罪を背負わせ、これが最後のチャンスだと囁き、聖騎士にして、暗殺者にして、フレイナを使い捨てていたのだ。


 ずっと裏切られていたんだ。家族だと、そう思っていたものに。


 頭上に、影が落ちる。


「マイロ様は、誰にも必要とされていなかった私を、ただひとり仲間だって迎えてくださったんです。私がいて嬉しいって言ってくださった。マイロ様は、とても優しい方なんです。酷いことを言ったあなたのことも、仲間にしようとしてくださるくらい。なのにあなたは、マイロ様を傷つけようとしました。マイロ様が一番きれいだって言ってくださった、私の身体を傷つけました。その償いを、してくれますよね?」


 赤く、深く、底のない昏い瞳が、フレイナを覗き込んでいた。


 ああ、どうか、お願いです。お守りください。でも。


「なにに祈ればいいの」


 そうして、フレイナは死んでいた。

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