第42話:聖リングア言学会
いつからそこにいたのだろうか。広場の入り口には、老齢の女性と、彼女に引き連れられた数人の騎士がいた。
骨と皮しかなさそうな痩身に、白髪頭をひっつめた女性は、法衣を身に纏い、細い眼にたっぷりと侮蔑を込めて辺りを見回している。騎士たちの装いは、鎧を壊される前のフレイナとほぼ同じだ。
ということは、あれは。
「マリーアン高司祭様!」
フレイナが感極まった様子でその名前を呼ぶ。やっぱり、教会の司祭か。聖騎士まで伴って、仰々しいことだ。
飼い主を見つけた犬のように駆け寄ろうとしたフレイナは、しかし道半ばで足を止めざるを得なかった。マリーアンと呼ばれた司祭の後ろから歩み出た騎士たちが、剣を抜き払い、行く手を遮っている。
「こ、高司祭様……?」
「近寄らないでちょうだいな、腐臭のする汚らわしいゾンビが」
失礼な。僕のゾンビに腐臭なんてするわけないだろう。
「そんな……わ、私です、フレイナです! ずっと目にかけていただいていた……!」
「ええ、そうでしょうね。不浄の胎から魔術師の血を継いで生まれた挙句、死霊術師の傀儡に成り下がるような穢れた娘は、他におりませんよ」
フレイナの手から力が抜け、足が震える。
いままでも教会の人間は気に食わないって思ってはいたけど、いきなり出て来て全員ぶち抜いて行ったな、このおばさん。
「聖騎士団が討伐したはずのゲオルギウスが復活している、と聞いて様子を見に来てみたたら。まさか、あなたのこんな堕落した姿を見ることになるとは思ってもみなかったわフレイナ。アンデッドの討伐に失敗していたどころか、自分までゾンビに身を落とすなんて、つくづく見下げ果てた子ね」
「ち、ちが、違います、ゲオルギウスはあのとき、確かに討伐して……そ、それに! こうして今度こそ討ち取りました! 一度は殺されましたが、雪辱を果たし、生まれの罪を雪いで、私は」
「黙りなさい」
司祭が、フレイナを睨む。僕には目つきの悪いおばさんが、さらに目つきが悪くなったようにしか見えなかったが、フレイナは気おされ、膝から崩れ落ちた。
「教会の顔に何度泥を塗れば気が済むのかしら? よりにもよって、穢れた死霊術師を相手に、教会の失態をつまびらかにするだなんて」
わかっちゃいたけど。
こいつ、僕の敵だな。
「い、いい加減にしてください……!」
でも僕より先に我慢の限界が来た娘がいる。ウリエラが杖を構え、司祭を睨みつけていた。
「それ以上、マイロ様を侮辱しないでください!」
「落ち着け、ウリエラ」
マズルカがなだめるが、その彼女の手にもバグ・ナウが握られている。後ろではトオボエが唸り声を上げ、上半身を沈め身構えていた。
侮辱への怒りもあるだろうが、それよりも、さっきから後ろの騎士たちの殺気がすごいのだ。
「よくも私の話を遮ったわね、薄汚いゾンビ風情の分際で」
言っておくけど、僕だっていつまでも好き放題言われっぱなしで、そのまま黙っているつもりはないからね。
「おばさんたち、さっきから聞いてれば、結局ここになにしに来たの?」
「おや、いたのね死霊術師。けれど、口の利き方には気を付けたほうがいいわ。それとも、そのしつけのなってないゾンビともども、礼儀というものを教わりたい?」
気色ばんだ聖騎士たちが、僕らを取り囲もうと展開し始める。
教会と魔術師が表立って対立すれば、ガストニアでは教会の立場は絶対的に弱い。だがダンジョンの中なら、僕らを、というか僕を殺してしまえば、証人はいなくなる。
「事を荒立てるつもりはなかったけれど、教会の怨敵に貶されて黙っていられるほど、私は腑抜けではないわ」
ただしそれは、僕にとっても同じだ。
「おばさんたちこそ、態度に気を付けた方がいいんじゃないの」
やれ。
「うわぁッ!?」
「な、なんだ!?」
突如として騎士たちの足下が盛り上がり、地表を割って表れた木の根が、聖騎士を逆さづりに、あるいは大地に縛り付ける。
森に忍ばせたままだった、僕のトレントゾンビたちだ。んー、泡を食った聖騎士が二人残ったか。でも、十分相手に出来る。
「このまま身体をへし折るのは簡単だけど、どうする?」
司祭の顔が、見事なまでに憤怒に歪んでいる。権威を笠に着た振る舞いが、ダンジョンの中で通用すると思ったら大間違いだ。
「……ふん、死人遣いが。いいでしょう、教会の汚点を払拭しに来ただけです。ゲオルギウスが滅んだのであれば、長居は無用よ」
なるほど。
そう言うなら、放してやろう。トレントゾンビたちに指示を出し、捕まえていた聖騎士を広場の入り口まで放り投げる。残った騎士たちも、慌てて引き上げていく。
「ま、待ってください! 高司祭様、私は……!」
背を向けて去ろうとしている司祭を、顔を上げたフレイナが呼び止める。あれだけ言われて、まだなにか教会に期待しているのか彼女は。
「ああ、そうそう。聖騎士フレイナ。あなたは生まれながらの罪を雪ぐどころか、教会の教えを破り、摂理の輪を外れたゾンビになり果て、魂を穢した。とうに死んでいる相手に言うのもおかしいけれど、聖リングア言学会はあなたを破門とするわ」
「そん、な……」
「あなたの名は殉教者の碑に刻まれることはなく、その魂が『言葉』の祝福を受けることは、未来永劫ないと思いなさい」
「どうか、どうか私を見捨てないでください! 私にはあなたに教わったことがすべてなのです! せめて祝福を、私の魂にどうかご慈悲を……」
駆け寄って縋り付いたフレイナを、司祭は振り払うかと、僕は思っていた。
「……いいでしょう。かつての教え子と思えば、最期の慈悲を与えるとします」
けれど意外にも、司祭はフレイナの耳元に顔を寄せ、何事かを囁いた。いったいどんな慈悲だって言うのか、あんまり知りたくはないけれど。
立ち尽くしているフレイナを捨て置くように、司祭は踵を返し、騎士たちと共に去っていく。
やれやれ、最後にとんでもない余禄があったもんだ。
「マ、マイロ様、大丈夫ですか? ごめんなさい、あんなに好き勝手言わせてしまって、もっと早く黙らせるべきだったのに……」
「え? ああ、全然気にしてないよ。強烈だったけど、僕に直接はあんまり言ってきてないし。それよりも」
フレイナはまだ、広場の入り口に立ち尽くしたままだ。
「大丈夫か、フレイナ」
「っ!」
マズルカに肩を叩かれると、弾かれたように振り返る。瞳には動揺の色。
「おい、どうした?」
「あ、だ、大丈夫よ、なんでもないわ」
「ほんとに? フレイナ、いますごく顔色悪いよ。死んでるからずっと悪いけどさ」
「……ぜんっぜん笑えないから、やめて」
怒られてしまった。まあ、本人が大丈夫というなら、追及するのも野暮か。
「ならとりあえず、拠点に戻ろうか。だいぶ時間経っちゃったし、もしかしたらログハウスも完成してるかも。これからどうするかは、ゆっくり考えようよ」
拠点ではなく、家と呼べるようになっていたらいいなあ。
ささやかな期待を抱きながら、僕らは広場をあとにした。
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