第41話:喰屍の王の死

 剣が舞い、爪が走る。フレイナとゲオルギウスは、互いを見止めると、次の瞬間には激突していた。


 首筋を狙って鋭くいびつな爪が振るわれる。フレイナは盾でそれをいなし、身体を反転させながら剣を振う。切っ先は素早く飛び退いたゲオルギウスにわずかに届かず、追いすがった追撃は獣めいた動きで回避される。


 速い。ゲオルギウスは、フレイナと互角に渡り合えるだけの、すさまじい身体能力を持ち合わせている。


 マズルカやトオボエが加勢出来れば違うだろうが、どちらも森のトレントから逃れてきたグールの残党を相手にしている。それに。


「手を出さないでよ、こいつは、私が仕留めるッ!」


 フレイナがそれを望んでいない。僕らはただ、彼女がゲオルギウスとの因縁にケリをつけられるよう、舞台を整えるだけだ。


「マイロ様……?」


「うん、ゲオルギウスはフレイナに任せよう。ウリエラはマズルカたちの補助をしてあげて」


「はいっ」


 僕たちが状況を見守っている間にも、フレイナとゲオルギウスの戦いは、ますます激しさを増していく。


 長い手足に鋭い爪を備えたグールが飛び掛かれば、鎧で身を固めたゾンビが剣を振う。次第に、互いの得物が振るわれるたびに、どちらともなく血しぶきが散るようになった。


 致命的な攻撃以外、防いだり躱すのをやめたのだ。どちらも真っ当な生から外れた存在同士、痛みを感じることもなく、互いの身体を削りあっている。


「覚えてるわ……! 最初の討伐でも、剣ではほとほと手を焼かされたッ! 皆で包囲して、祝福の光でやっと仕留めたわね……ッ!」


 爪を盾で弾かれたゲオルギウスが、大口を開く。おっと。僕は慌てて耳を塞ぐ。


 絶叫が、迸る。木々が揺れ、音圧が僕たちにまで襲い掛かる。


「効く、かぁッ!」


 鼓膜が破れ、耳から血を流し、脳を揺さぶられても、フレイナは切りかかる。彼女はゾンビだ。もう音波には怯まない。耐えられるよう、僕が調整した。


「マイロ、こっちはもう終わったぞ」


 あらかたグールを仕留めたマズルカたちが戻ってくる。満足げに顔を寄せてきたトオボエの鼻筋を、ぐりぐりと撫でてあげる。広場の周囲の森も、ざわめきが収まってきている。もうトレントゾンビたちが、グールを見つけられずにいるのだろう。


 残っているのは、ゲオルギウスだけだ。


「向こうは任せる、でいいんだな?」


「その方が満足できるでしょ、フレイナも」


 僕らはこの一帯の脅威が排除できればいいだけで、どっちかというと、これは彼女の戦いだったし。


 あとはもう、決着を見守るだけだ。


「ふッ……がッ!?」


 ぼぎり。嫌な音が響いた。ゲオルギウスが、フレイナが殴りつけた盾を両手でつかみ、外側に捻った。


「しまっ」


 痛みはなくとも、骨を折られた腕をそのまま使うことは出来ない。力の入らなくなった腕に、フレイナが動揺した。瞬間、ゲオルギウスの爪が奔り、フレイナの手から剣を弾き飛ばす。


 金属の歪む音と、生ぬるい、肉を貫く音がした。


「ぁ、が……ッ!」


 マズいかな、と思う暇もなかった。


 フレイナの背中から、腕が這えている。胸を穿ち、心臓を貫いた、黒い腕が。鎧の胸当ては一瞬で引き千切られ、地面に転がっている。


「ご、ぼ……こ、いつ……!」


 血を吐くフレイナに、ゲオルギウスはその胸を貫いたまま、顔を寄せる。


 ぬたぬたと動く長い舌が、フレイナの口元の血を舐める。一度は殺され、一度は殺した相手を、もう一度殺す喜びを味わうように。


「……気持ち悪い真似、するんじゃないわよ」


 いびつな牙の並んだ口が、いよいよ頭を食いちぎろうと、限界まで開かれる。


 そして。


「バカなやつ」フレイナは、笑った。


 ゲオルギウスの顎を、手が掴む。背後から回された、フレイナの右手が。


 ごぎん。骨の砕ける音。


 フレイナの背中に、黒い腕が引っ込んでいく。ゲオルギウスは背中から倒れ、真後ろを向いていた顔面を地面に打ち付けた。


「真っ先に両手を潰しておくんだったわね。心臓を潰したくらいで、ゾンビを仕留めたつもりになるなんて」


 ゲオルギウスは地面に顔を押し付けたまま、バタバタともがいている。やっぱりそう簡単には死なないらしい。


 フレイナはその傍らに立ち、


「終わりよ」


 頭を、踏みつぶした。



「はい、これで終わり」


 フレイナの傷を修復し終え、僕は両手を払って息をつく。


 マズルカやトオボエもいくらか傷を負っていたが、やはり一番ひどいのはフレイナだった。腕は折れて、胸には穴が開いていたのだ。普通死んでいる。けど彼女はもう死んでいるので、なにも問題ない。


「やっぱり、異常だわ。治癒魔術でもなく、ただ繋いで元に戻すだけだなんて」


「それで折れた腕も修復できるんだから、便利なものでしょ」


 釈然としない顔で腕を回すフレイナ。


「ただ、胸は穴を塞いだだけになっちゃったけど」


 破裂した心臓をもとに戻すのは、さすがに難しかったのだ。それに傷も大きかったので、どうしても痕が残ってしまったし。


 きれいな胸なのに、申し訳ない。鎧を剥がれ、衣服も破けて露わになった胸元に、慈しみを込めてそっと手を添える。


「ちょッ!?」


 フレイナは途端に目を瞠り、僕の手は思いっきり打ち払われた。痛い。


「なにするのよ!?」


「え、ごめん……? 女の子だから、やっぱり傷痕とか気になるよね」


「そういうこと言ってるんじゃないわよ! あ、あなたいま、私の胸……!」


 フレイナはどうしてか背中を丸め、腕で胸元を隠している。ほら、気になるんじゃないの?


「そうだ。同じ色の肌を手に入れれば、きれいに傷痕をなくすことも出来るよ」


「違うって言ってるでしょ! 気安く人の身体に触るなって言ってるの! そ、それも、女の身体に!」


「え、なんで? うちでは子供のころから女性の死体も洗ってたよ?」


「そういう問題じゃ……!」


「諦めろ、こいつにその辺の機微は理解できない」


 なぜかマズルカが、呆れた顔でフレイナに布をかけている。なんなんだ。


「あの、マイロ様? こ、こちらも終わりました」


「あ、うん。ありがとうウリエラ。トオボエもお疲れ様」


 無傷で終わったウリエラと、先に修復を済ませたトオボエには、グールたちの亡骸を一か所に集め、魔術で炭になるまで焼いてもらっていたのだ。


 広場の真ん中には、まだ熱を孕んで朱く燻る、グールたちの黒い亡骸が積まれている。さすがにちょっと匂いが鼻をつき、鼻のいいマズルカやトオボエは顕著に顔を顰めている。


「しかし、ここまでする必要があるのか」


「念には念を入れてね。アンデッドの復活阻止には焼くのが一番だからね」


 ともかくこれで、もうこのグールたちが復活することはないだろう。いや、まだ可能性がないわけではないが、それはここで言及しても仕方がない。


「で、ゲオルギウスは倒したわけだけれど」


 フレイナを見ると、彼女は肩に被った布で胸元を隠し、険しい顔で死体の山を見ていた。その顔に達成感はない。僕の視線に気づくと、怪訝な表情を返してきた。


「なによ」


「君はこの後どうするのか、決めた?」


 変異グールを倒すまで。当初はそういう約束だった。いまその目的は達成されたわけだが、フレイナはこれからどうするのだろうか。


「もしも、まだその身体に留まっていたいなら、僕は構わないけれど」


 月の銀の髪を持つ聖騎士は、俯き、唇を噛みしめる。


「冗談じゃない。私はあなたの言いなりになんてならない。穢れたゾンビでい続けるつもりもない。私は教会の聖騎士として、為すべきことを為す……けど……」


「けど?」


「あなたたちに牙を剥くほど、不義理じゃないわ。いまここで討ち滅ぼす、とまでは言わない。ただせめて、最期は『言葉』の祝福の中で、穢れを落として逝きたい」


「君は死んでも、教会の教えの中にいるんだね。でも、穢れを落とすのは無理だよ、だって」


 フレイナの目が、僕を見る。けれど、教えてあげ損ねた。


「おや、まあ、ずいぶんと酷い有様ねえ」


 聞き覚えのない声が、広場に響き渡ったから。

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