第40話:待ち伏せ

 トオボエの毛皮は、もふもふだ。巨大な狼に似た身体は、丸まって寝ていれば僕を包むのに十分な大きさで、しっぽも乗っけてくれれば、もう寝具に入って寝ているような安心感がある。


「ああああのあのそのマ、マイロ様……」


「んー……どうしたのウリエラ? ちゃんと休めてる?」


「いえそのあの、ち、ちか、くて……!」


 隣で寝ているウリエラが、なんだかもぞもぞしている。トオボエの身体に一緒に寄りかかっているんだから、すぐそばにいるけど、なにか問題あるのだろうか。


 ぐるる、と唸り声がした。もうちょっと我慢してね、トオボエ。


「トオボエも気にしてるから、ゆっくり休もう、ウリエラ」


「は、はひぃ……」


 第13階層。ウリエラたちがフレイナの死体を見つけたその広場の真ん中に、僕らは陣取っている。道の行き止まりの広場で、そこそこ幅もあり、待ち伏せにはピッタリの場所だ。


 そう、これは待ち伏せだ。先の戦いで明確になった。ゲオルギウスは明らかにフレイナを狙っている。一度殺したはずの相手を、もう一度殺そうとしている。だったら今度は、向こうが僕らを探す番だ。僕らは堂々と襲撃を待てばいい。


 しかし、ただ待っている時間というのは暇なので、僕はトオボエを寝床にして、一休みさせてもらっているわけだ。準備でだいぶ魔力を使ったので、そこそこ疲れた。


 で、魔術師というのは、戦闘前は安静にしているに限る。


 なのでウリエラも、戦いが始まるまで魔力を落ち着けられるように、隣にくっついて一緒に寝てもらっている。ウリエラもトオボエも、揃って抵抗を見せたのだが、今回は言うことを聞いてもらった。


 魔力を回復させるのには、気持ちを落ち着けるのが一番だ。その点、トオボエの毛皮はあったかくて、ウリエラはひんやりとしていて、一緒にいると心地いい。


 二人とも、もっと仲良くしてくれればいいのに。二人とも? ひとりと一匹とも?


 そんなことを考えていると、不意にトオボエが顔を上げる。


「マイロ」


 周囲の警戒に当たっていたマズルカが僕を呼び、傍らでフレイナが剣を抜いた。


 どうやらお出ましのようだ。休憩は終わりか。


 名残惜しさを振り払いながら、僕とウリエラは立ち上がる。ウリエラはトレントの杖を構え、僕は懐に仕舞ってある手袋の感触を確かめる。できれば使いたくはない、だがいざとなれば、躊躇してはいけない。


 さて、どこから来る。僕らは背を合わせ、全方位を警戒する。


 緊張が静寂に溶けだしていく。しんと静まり返った樹海の中で、僕の息遣いだけが聞こえてくる。


 がさり。異音が響く。かと思えば、トオボエがウリエラの真横に飛び出した。


 べきっ。ひとつ音がして、トオボエに咥えられていたグールの首が砕ける。


「後ろだッ!」


 おっと、こっちから来たか!


 背後の木々の間から、続々とグールたちが湧き出てくる。


 ゲオルギウスもどうやら学んだらしい。森林部からの襲撃を隠そうともせず、僕ら、というよりもウリエラを優先的に狙ってきた。


「させんッ!」


「来なさいよ、あんたたちなんか、いくらでも切り捨ててやるから!」


 マズルカとフレイナが飛び出し、森林から飛びかかってくるグールたちを、片っ端から切り裂き、殴りつける。一匹に固執はしない。飛びかかってきたのを叩き落したら、身を翻して次の一匹を切りつける。


 さすがは二人とも、恐れを知らない戦士だ。二人で背中を合わせ、回転するように次々とグールたちを相手にしていく。


 僕らの背後を守るのはトオボエだ。後ろを取って厄介な魔術師を潰そうとするグールたちを、踏みつぶし、噛み砕き、咥えて放り投げて森に戻してくれる。


 頼れる前衛のおかげで、後衛に余裕ができる。これが僕らの戦い方だ。僕らのパーティの攻撃の主体は、ウリエラなのだ。


「燃えて、ください……ッ!」


 ウリエラが杖を掲げる。マズルカたちに躍りかかっていたグールの一匹が、身体から炎を噴き上げた。途端に炎は全身を包み込み、悶える間もなくグールを焼き尽くす。さらには、燃え上がったグールから火の粉が飛び散り、それに触れた周囲のグールまで次々と焼き殺していく。


 いままで使っていたのと同じ術式のはずだ。だがやはり、炎の魔術も格段に威力が上がっている。


「まだ来るぞ!」


「いい加減、本命を出しなさいよ……!」


 隙間を埋めるように、グールたちは全方位から湧き出してくる。まったく、どこからこれだけ用意してきたんだか。


 だが、そろそろか。


 マズルカたちが立ち位置を変え、僕らが向きを変えるごとに、グールたちは的確にウリエラを狙おうとしてくる。ゲオルギウスは、確実にいる。この木々の間のどこかから、戦況を窺っている。


 高みの見物なんて、決めさせてたまるか。


「よし、いいぞ。やれ」


 僕は指示を出す。森の木々の中にいる、”仲間たち”に。


 森林が、ざわついた。


 ばつんっ。


 ばつんぶつんっ。


 肉を叩きつぶす音が、あちこちから聞こえる。鞭のしなるような音。硬いものがへし折れ砕ける音。木々のざわめきと共に、無数の異音が森林の中から響き渡る。


 そしてかすかな、グールたちの断末魔の声。


 上手くいったみたいだ。僕らは足を踏み入れられない、ダンジョンの森に息を潜めていたグールたちが、次々に襲われている。僕が潜ませておいた、トレントのゾンビたちによって。


 そう。クルトたちには、このために使うトレントたちを狩らせていたのだ。広場を取り囲むだけのトレントが必要だったから、そりゃもう重労働だった。自分たちでやっていたらと思うと、彼らにも多少は感謝の気持ちが湧いてくる。


 けどどっちかというと、樹海ゾーンに入ってからなにかと世話になっている、トレントへの感謝が勝ってしまう。ありがとうトレントたち。終わったらちゃんと建材にするからね。


 難しい指示は出せない傀儡ゾンビのトレントたちだが、木に擬態し続け、合図で動くものを襲わせるくらいは可能だ。グールたちにとって格好の隠れ場所だったはずの森林は、いまや阿鼻叫喚の地獄絵図に陥っている。


 広場に駆け出してきて襲ってくるグールは、格段に減った。這う這うの体で転がり出てくるか、身体の一部だけが飛んでくるものもいる。


 そして。


 森林から飛び出し、憎々しげに顔を歪め、他には見られない、知性の灯った眼で立ち上がるグールがいた。


「ゲオルギウス……ッ!」


 フレイナが吠え、ゲオルギウスを睨みつけた。

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