第39話:戦う理由
フレイナは右手に剣を握り、左手に盾を構え、ただひたすらに虚空に向かって斬撃を繰り出している。がむしゃらに。一心不乱に。なにかに憑りつかれたように。
「……ッ……!」
ぶつぶつと呟く声は、剣が空を切る音に紛れて聞き取れない。
これ、僕が相手しなきゃダメ? ダメかなあ。
「君も休んだら? そりゃゾンビの身体は疲れ知らずだけど、精神は疲弊するよ」
剣を振う手が止まった。
「疲れ知らずですって? だからなに? 感謝でもしろって言うつもり? 人の魂を穢しておいて、よくも! 私は、こんな身体になることなんて望んでない!」
えぇ……今度はなに……。
「別にそんなこと言ってないけど」
「だったら、ゾンビは大人しく自分の言うことを聞いてろって? ふざけないで。私は教会の聖騎士よ。高司祭様の手ほどきを受けて、『言葉』の教えに殉じ、この世に聖なる摂理をもたらす人間なのよ! なのに!」
フレイナはなにが気に食わないのか、ぎゃんぎゃんと喚きながらまた剣を振う。君の事情なんて知らないんだけどさ。あんまり騒ぐとさすがにモンスターを呼び寄せるから、出来ればやめて欲しい。
「わかったから、落ち着きなよ」
「あなたになにが分かるの。人の魂を玩んで意のままに操る、穢れた死霊術師に!」
ああもうほら、ウリエラがすごい顔してるから。
「私は司祭になるはずだった! こんなところで、あなたみたいな邪悪な人間の手先になんてならない! なのにどうして、私じゃなくて、あんな信仰心も持ち合わせていないような女が、我が物顔で聖典を振りかざしているの!」
まるでかんしゃくを起こした子供のように、フレイナは無茶苦茶に剣を振い、地面に、木に叩きつける。それでも昇華できない鬱憤を、する必要もない呼吸にして、肩で息をしている。
「それもこれも、教えに背いたあの売女と、魔術師のせいよ」
「フレイナ様……」
聞こえてきた声に振り返ると、騒ぎを聞きつけたクルトたちが、遠巻きに様子を見ていた。足を踏み出そうとしたセルマを、ヘレッタが制している。
助かる。これ以上刺激してほしくない。
「なら、もうここで止める?」
なるべく逆撫でしないように。なんでもないことのように、気負ったりせず、当たり前のこととして口にする。
「僕の手先でいる必要はないし、ここでゾンビでいるのをやめたって、別に誰も止めやしないよ。だってもう君は死んでるわけだし、君の言う『言葉』の摂理の輪に戻るのは、自然なことなんでしょ? そうしたいなら、僕はそれに従うけれど」
前衛がひとりいなくなるのは痛いし、ゲオルギウスをどう釣り出すかを考え直す必要があるが、まあどうしても困るわけじゃない。フレイナがこれ以上ゾンビでいることを望まないというなら、僕に止める理由はない。
「たださ、いま言った通り、君はもう死んでる。どんな境遇に生まれて、教会でどんな立場だったかとか、そんなしがらみからは解放されてるんだ」
「しがらみから……解放……? 邪悪な術で魂を縛っておいて、」
「邪悪じゃない。再三言ってるけど、君の魂は穢れても歪んでもいない。ウリエラやマズルカが、そんな邪な存在に見える? 君は、そんな邪悪な存在になったの? 悪しきグールを滅ぼそうとしてるのに?」
フレイナは黙って俯いている。
「君たちの言う魔術師の穢れは、ただの感情論だ。僕らは論理に則って魔術を行使しているに過ぎない。君はゾンビになったけど、本質はなにも変容していないだろう? だって、僕を穢れてるって言いきれるんだから」
僕の性格は悪いかもしれないけれど、少なくとも聖典に記された邪悪ではない。穢れも抱えていない。簡単に納得するとは思えないが、これだけははっきり言っておかないと、さすがにアンフェアだしね。
「僕たちはただ、しがらみを捨てて、やりたいようにやっているだけだ」
「許されないわ、そんなこと。人は教えに従ってこそ、正しく生きられるのよ。しがらみも教えも捨てて生きようなんて、獣と同じじゃない」
今度はそうきたか。
「なら獣は邪悪なの?」
「それは……」
教えも規範も、人が人の社会を律するために作ったに過ぎない。死んでまでそれに縛られている理由が、いったいどこにあるのだろう。
その点では、セルマの考え方はとても僕好みだ。教えは自分を律し、満足させるために使う。それ以上でもそれ以下でもない。人に押し付けるものじゃない。
「『言葉』は、魂の在り方も定めているわ」
「もう一度言うよ。君の魂は、『言葉』の定める摂理の中にいる」
「嘘よ」
「本当だって。まあ、死者としてその身体を離れることが君の望みなら、そうするべきだ。でも、この世界でやりたいことを考えたっていいんだよ」
「そうやって甘言で人を操ろうとするのはやめて」
「違うって、僕は関係ない。君が、どうしたいのか。それだけ」
だいぶ重症だなあ。彼女はもう、彼女を支配していたくびきを外されている。フレイナが自分でそれに気付いて、もっと自由に振舞ってくれればいいのだけど。
「私は……人々に仇成す邪悪を滅ぼす。ゲオルギウスを倒す」
「うん。それから?」
「……あなたの言いなりにはならない」
「ならそれでいいよ。とにかく、ゲオルギウスを倒すまでは頑張ろう」
フレイナの肩から力が抜ける。もう暴れそうにはないとみてみんなのところに戻ると、クルトに「やっぱり、あんた実は悪魔かなんかだろ」と言われた。失敬な。
◆
一通りの準備が整う頃には、さしものクルトたちも、すっかり疲れ果て、膝に手をついて肩を上下させている。
いやあ、便利に使わせてもらった。おかげで僕らは、ちっとも体力を使わずに準備が進められた。時間もだいぶ省略できているし。
「うん、お疲れ様。僕らも十分休めたし、準備万端でゲオルギウスに挑めそうだよ」
「……この、クソ外道死霊術師め……次から次へと戦わせやがって……」
うーん、罵られているのに、なぜだかまったく悪い気がしない。ついでだったので、トレントログハウスの材料も少し調達させたことは黙っておこう。
「言ったでしょ、徹底的にこき使うよって。君たちがそうしたいって言ったんじゃないか。僕はそれを承諾しただけだよ」
あとはどうゲオルギウスを誘い出すか、だけれど……これはあまり心配していない。だって向こうが最も欲しがっているものが、こちらにいるのだ。
場所を見定め、どっしりと待ち構えていればそれでいい。
「……俺はさ、あんたのこと悪いやつじゃないと思ってるからいいけど、いつか後ろから刺されないように気を付けろよ」
「余計なお世話だよ」
だいたい、僕はお人好しの善人なんかじゃ、断じてない。そんな生き辛いものになんか、絶対なりたくないね。
「それで? 僕らに手を貸してくれたわけだけど、自己満足は得られたの?」
そう聞いてやると、クルトはすっと背筋を伸ばし、身を起こす。
「まだだな」
「はあ? これ以上はなにも、やらせることなんかないよ」
「いや、満足できるのは、マイロたちが変異グールを仕留めた、って報告を聞いてからだって話だよ。ちゃんと顛末を教えてくれよな」
えぇ……面倒くさ。
「そっちが聞きに来てよ。僕ら、基本的にはダンジョンの中にいるから」
「ダンジョンの中にいるって、いったいどこに……あ、おい、マイロ!」
もちろん拠点の場所なんて教えるつもりはないので、ウリエラたちを連れて、さっさとその場をあとにする。後ろでクルトが騒いでいるが、無視だ無視。
さあ、こっちは準備万端だ。いつでもこい、喰屍の王とやら。お前を倒して、僕らは平穏な生活を手に入れるんだ。
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