第35話:包囲網

「ウリエラッ!」


 僕は崩れ落ちようとするウリエラの身体を抱き留め、転がるように広場に退避する。屈んだ頭のすぐ上を、別のグールの爪が過ぎ去っていく。


 一匹や二匹じゃない、グールの群れが、木々の間から湧き出すように、ぞろぞろと姿を現している。


「ウリエラ、走れるっ?」


「は、い……!」


 ゾンビであるウリエラは、そう簡単には壊れないし、痛みだって大して感じないようになっている。けれど僕は違う、あんな爪、一発でも喰らったら終わりだ。


 やられた。


 獣道を塞いでいくグールたちの手から逃れようと、僕とウリエラはもつれるように走り、広場の中へ駈け込んでいく。


「マイロ、どうなってる!」


「囲まれて、退路を塞がれた」


 マズルカとトオボエが、戦っていたグールたちを振り払って駆けつけ、僕らの前に立ってくれる。


 やられた。


「なんなの、なんでこいつ、私ばっかり……! あっ!」


 執拗にフレイナに爪を振っていた変異グールは、不意に攻め手を止めると、後方に飛び下がり、嘲るように影の中に身を沈めていく。影の……いや、合流した僕たちを包囲する、無数のグールたちの中に。


 やられた、まんまとしてやられた。


 気付けば僕たちは、群れ成すグールたちによって、完全に広場の中に閉じ込められている。


「どういうことだマイロ、後方から見ていたんじゃないのか。こんな数、いったいどこから」


「やられたよ、僕はとんだ間抜けだ。どうしてこいつらが、僕らと同じルールで動いてると思ったりしたんだ……!」


 ここはダンジョンで、偉大なる賢者ロートレックによって構築された、魔術の迷宮だ。迷宮にはルールがある。迷宮を攻略しようとするものは、道以外を進むことは出来ないし、現れるモンスターは、自発的に階を移動することはない。


 この樹海ゾーンでもそれは同じだ。冒険者は森林を貫く獣道だけを進んで行く。道を外れて森の茂みを抜けようとすれば、高確率で行方知れずになる。だから僕らにとって森の木々は、洞窟の岩壁と同じような存在だった。


 けれど、こいつらは。


「こいつら、壁を、突き抜けてきたんだ! あはっ、とんでもないよ!」


 思わず笑ってしまう。


 グールの群れは、モンスターは階層ごとに定められた範囲に出現する、というダンジョンの法則を破って活動していた。ならば、森を抜けることは出来ない、なんてルールも無視してくることくらい、想像してしかるべきだった。


 死を恐れることもないアンデッドの群れに、迷宮の壁である森の中を突き抜けさせるなんて。いったい、どこのどいつが思いついたんだ。


「どうするマイロ、押し寄せてくるぞ!」


「いま考えてる! 時間稼いで!」


 そう言っている間にも、グールたちが一斉に飛びかかってくる。マズルカが腕を振るい、トオボエが駆け回り、フレイナが盾で押し返しているが、長くはもたない。


 あまりにも数が違い過ぎる。どう打開すればいい。呪霊は連発できない。一気に蹴散らせるだけの強力な一撃が必要だ。祝福は? ダメだ、唯一使えるフレイナがそれどころではない。


 なら、ウリエラの魔術は?


「ごめん、なさい……ごめんなさい、マイロさん、ごめんなさい、ごめんなさい」


 グールの爪で肩口から胸まで切り裂かれ、引き千切れそうになっている腕を押さえながら、ウリエラは泣いていた。


「ウリエラ、どうしたのウリエラ、しっかりして。君はこれくらいじゃ壊れないよ」


 ウリエラは僕の、一番のリビングデッドだ。このくらいで壊れたりしない。


 けれど。


 僕を見上げた彼女の赤い目は、瞳孔が開ききっていた。恐怖、焦燥、怯え。ないまぜになった感情が、瞳を濁らせ、昏く僕を見つめている。


 なんだよ、その目は。


「わた、私、傷つけられてしまいました。マイロさんが、一番きれいな死体だって言ってくれたのに、なのにその身体を、傷つけられてしまいました……」


 それに。俯いた彼女の手の中に、グールの爪で破壊された杖の残骸が握られている。


「こ、これじゃ、魔術も使えなくて、私、役立たずで……ごめんなさい、でも、でもお願いです、見捨てないでください。マイロさんに見捨てられたら、私は」


 そうだ、ウリエラは僕の一番のリビングデッドだ。なのに、そのウリエラに、こんな淀んだ眼をさせるなんて。


 これだから。


「お願いです、お願いですマイロさん、どうか」


「大丈夫だよウリエラ。ウリエラは役立たずなんかじゃない。僕らがこの窮地を脱するのに、ウリエラの力が必要なんだ」


「マイロ、さん……」


 大丈夫、できる。出来るはずだ。でも、まだ少し時間がかかる。


「わ、私が囮になって、グールたちに飛び込めば……?」


「違う違う! そんなんじゃないって! みんな、もう少しだけ粘ってね!」


 とんでもないことを言いだすウリエラを抱きしめてなだめ、みんなに檄を飛ばす。


 言わなくったって、みんな奮闘してくれている。けれど、あとほんのちょっと時間が必要なのだ。


 マズルカはまた腕をもがれているし、トオボエの身体にもグールたちが食らいついている。フレイナは腹を破られているが、幸い髪はきれいなままだ。


 前衛はみな、限界が近い。誰かひとりが食い破られた途端、僕らなんてひとたまりもなく呑み込まれてしまうだろう。


 そうはさせない。


 ほら、来た。グールたちの方位の向こう側。表土を盛り上げながら地中を疾駆し、高速でこちらに近づいてくる。


「ウリエラ。君はきっとこれから、もっと美しくなる。だからそんなに、昏い顔をしないで」


 ウリエラの肩に手を置き、エンバーミングで千切れかけた傷を縫い合わせながら、顔を寄せて目を覗き込む。裂けたローブから見える胸元には、大きな傷が残ってしまったが、僕の目には少しだけ、赤い瞳が輝いて見えた。


「まずはここを乗り切ろう」


 僕らのすぐ横で、地面がはじけ飛んだ。


 飛び出してくるのは、一本の木の枝。暗褐色の木肌を削り、霊薬に浸して表面処理を施した、トレントの死体から作り上げたリビングデッド。憑依しているのは雑霊だが、簡単な命令なら聞かせられる。トレントが土中を突き進むくらい、鳥に飛べと命じるくらい簡単なことだ。


 地面を突き破って表れた、身の丈ほどもある杖を手に取り、ウリエラにそっと握らせてあげる。


「さ、試し撃ちしてみて」


「は、はい!」


 ウリエラが杖を手に、魔力を練り上げる。術式を引用した杖に魔力を通していけば、根や枝で苛烈な打撃を放つトレントの高密度の魔力構造が、術式を走るウリエラの魔力を増幅していく。


 いままで使っていたグレートオークの杖なんて、目じゃない。膨れ上がった魔力が目に見えんばかりだ。


「雷よ!」


 ウリエラが杖を掲げた途端、視界が白く染まった。


 目がくらむ閃光の中で、雷鳴が弾け、稲光が飛び散り、グールを貫いていくのが、かろうじて見えた。また閃光。雷鳴。繰り返し、何度も何度も。杖から迸る雷撃が、グールたちを片っ端から狙い撃ちにしている。


 この間まで雷の魔術は、貫くような一筋の雷撃だった。それがまるで、雨のように降り注ぎ、的確にグールの身体を貫き、風船のように弾け飛ばしているのだ。


 杖が変わると、これほど威力が変わるなんて。


 やがて雷鳴が過ぎ去ったとき、僕ら以外に動くものはなかった。ただ、黒い影が一匹だけ、森の奥に姿をくらますのが見えていた。

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