第34話:邂逅

 結局、僕らがグールと遭遇したのは、クルトたちと別れてからゆうに半日は過ぎた後だった。いくら時間が経過しても、樹海の空らしきものは白くぼやけて明るいままなので、正確に今が何時なのかはわからないが。


 第12階層。階段を下りて、第13階層への階段とは反対側へと向かった先。獣道が途中で膨らんだような形の広場。


 先頭のフレイナとマズルカから合図を受け、木の陰に身を隠した僕らの視線の先で、数匹のグールがなにかを囲んでいる。ぴちゃぴちゃと響く水音、ぶちぶちと何かを引きちぎる音。


「また、こんな光景を見るとはな」


 心底嫌そうにマズルカが顔を顰める。仕方がない。僕らがゴブリンを追いかけてからもう何日も経つが、人が食べられている風景に慣れることはない。


 それにゴブリンは、たまたま捕まえた獲物が、たまたま子供だったから食べたに過ぎない。グールは違う。明確に人間を選んで食い散らかす。しかも、腹を満たすためではなく、まるで嫌がらせのように乱雑に。そういう生き物なのだ。


 だが、そのグールの中に一匹。屍肉には手を付けず、他のグールたちを睥睨しているものがいる。


「あいつだわ、間違いない。あの奥のやつが変異グールよ」


 だろうね。見るからに他のグールと風格が違う。あいつだけは、明らかにこちらの存在を察知している。まるで気のないふりをしながら、獲物が飛び込んでくるのを、いまかいまかと待ち構えている。律儀なものだ。


「な、なんだか、数が少ないですね」


「そうだね……ここに来るまで他には一匹も出会わなかったし、もっと大勢で迎え撃ってくるかと思ってたけど」


 広場には変異グールのほかは、屍肉を貪っている数匹がいるだけだ。周囲の木陰にも気配はない。


「お前が殺されたときは、もっと数が多かったのだろう?」


「そうね、きっとどこかに増援を隠しているはずよ」


「とはいえ、僕らが来た側は、隠れ場所のない一本道だ。駆けつけてくるとしても、広場の反対側の道からだと思う。手に負えないってなったら、離脱は可能かな」


 ここはダンジョンの中、不条理の迷宮の中だ。道を外れて樹海の木々の中に逃げ込むわけにもいかないので、いざとなったらトオボエに乗せてもらって、みんなで獣道を逃げ帰るしかない。


 先が読み切れない戦いだ。だが僕らの平穏なダンジョン生活のため、ここで変異グールは討ち取ってしまいたい。


「さて、どうやって戦うかだけれど」


「あいつらは死者を冒涜するのに夢中よ。一気に攻めるべきだわ」


 乱暴で血の気の多い意見だが、今回ばかりはフレイナに賛成だ。というよりも、ああも堂々と広場の真ん中に陣取られては、こちらから攻め込むほかない。


「でも、ここは僕らの戦法で動いてもらうから、そこはよろしくね」


「ロクでもない作戦だったら従わないわよ」


 フレイナは腰の鞘から長剣を抜き、左手の盾を確かめ、臨戦態勢になりながら、僕の言葉に嫌そうに顔を顰める。


 まあまあそう邪険にされる作戦でもない、はず。


 簡単に段取りを決めると、僕らは木陰で息を潜めて身構える。


「行くよ、トオボエ!」


 どうせこっちの存在には気付かれているんだ、バレるのも気にせず、僕は声を出してトオボエに指示を出す。


 聞き分けのいい大柄なダイアウルフが、いの一番に飛び込んでいく。広場に躍り込んで大きく飛び掛かり、屍肉に齧りついていたグールの頭を噛み砕く。そのまま咥えたグールを振り回し、周囲のグールたちもまとめて薙ぎ払った。


 変異グールだけは、やはり素早い。後ろに飛んで、トオボエの攻撃を回避した。跳ね返るように振りかぶってきた爪を避け、トオボエはその場を離脱する。


 瞬間、グールの身体から火の手が上がる。ウリエラの魔術だ。変異グールはわずかに怯むが、即座に身体を振って炎をかき消した。やっぱり、一発じゃダメか。


 でもそれも織り込み済みだ。


「はぁッ!」


「こいつッ!」


 トオボエが周りのグールたちを蹴散らしている間、タイミングをずらして駆け出していたマズルカとフレイナが、鋼鉄の爪と、刃を、変異グールへと矢継ぎ早に振う。


 熟練の戦士二人に切りかかられれば、さしもの変異グールも回避に徹している。それも長くはない。マズルカの爪が胸を切り裂き、フレイナの剣が右手を切り落とす。


 いける。やはり変異体であってもグールには変わりない。個体の戦闘能力自体はそこまででもない。あとは首を切り落とせれば。


「よし、このまま……!」


 攻め込もうとした、その瞬間だった。


-キイアアァアアアァァアァァァアァアァァァァ!


「うわっ!」


「なんだ!?」


「ひぃっ」


「く、なによこれ……!」


 変異グールの口から、鼓膜を破らんばかりの奇声が発せられた。空気を引き裂き、木々を揺らし、思わず耳を塞いでしまうほどの怒号だった。


 途端に変異グールが攻勢に転じた。


「ぐあッ!」


「ちょっと、なによ、こいつ……!」


 用はないとばかりにマズルカを体当たりで吹き飛ばすと、一心不乱にフレイナに向かって爪を振って襲い掛かる。いつのまにか拾い上げた腕をくっつけ、まるで傷などないかのように、両手を振り回している。


 グールに限らず、アンデッドって連中は、とにかく死ににくい。頭を切り落としても、頭だけで食らいついてくる、なんて言われるほどだ。


 おまけにほかのグールたちまでもが、隙をついて立ち上がり、マズルカやトオボエに襲い掛かっている。


 最初の攻勢から一転、奇声に頭を揺さぶられたフレイナは防御に徹さざるを得ず、マズルカとトオボエも、他のアンデッドたちの相手で手いっぱいだ。


 やっぱり祝福がなければ決め手に欠けるか? ここは一度逃げるか? それとも呪霊を使う?


 一瞬、迷った。それが失敗だった。いや、そもそも、あの咆哮にどんな意味があったのか、考えもしなかった。 


「も、もう一度燃やします……!」


 ウリエラの魔術は、どうしても威力不足だ。それでも、重ねて撃てば。


「うん、とびっきりのを、」


 お見舞いしてやれって、そう、言うつもりだった。けれど、振り向いて視界に入ったウリエラの、その向こう側。黒い影。鋭くとがった、グールの爪が。


「ウリエラッ!」


 手を伸ばしても、間に合うはずがなかった。僕にそんな身体能力があるはずがなかった。


「え、きゃあッ!?」


 木材の砕ける音。肉の裂ける音。ウリエラの悲鳴。


 反射的に掲げられた杖をへし折り。


 禍々しい喰屍鬼の爪が。ウリエラの身体を。


 深々と切り裂いていた。

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