第33話:聖騎士フレイナ(2)

 グールは聖職者を狙って現れる。


 そう踏んだマイロ達一行は、フレイナを先頭に置き、第11階層から順にグールを捜索していくことを決めた。


 ざくざくとわざとらしく下草を踏みしめ、フレイナたちは緑深き樹海の中を進んで行く。決まった目的地はない。しらみつぶしに散策していき、グールを釣り出すのだ。


 フレイナ自身、半ば囮にされているようなものだが、グール討伐に必要ならその選択に否やはなかった。隊形も、フレイナと共にマズルカが先頭に立ち、間を開けてマイロとウリエラ、殿をトオボエが努める、お手本通りの順番だ。一度は敗北した相手だが、数と祝福に耐える力をはじめから織り込んで行けば、二度目はないはずだ。


 人々に仇成す忌まわしきアンデッドを仕留めれば、己の魂の罪も贖われるはず。生まれの罪も、死後の罪も。グールの振りまく災禍のほうがずっと大きい。


 だというのに、フレイナの心中は、ひどく暗澹たるものだった。


 原因はわかっている。先ほど出会った、クルトたちのパーティ。その一員たる、セルマという修道士。


 彼女はフレイナよりも、ずっと修練の少ない半人前だ。きっと聖騎士となる前の、まだ教えを受けていた頃のフレイナにすらも。まだ及ばない。


 だというのに、自分と彼女のこの差はなんだ。


 セルマのパーティのリーダーを務めるクルトは、誠実な人柄も、確かな実力も、仲間にも恵まれた、立派な戦士だ。セルマが彼を勇者呼ばわりしていた理由はわからないが、なにか秘めたる力や宿命を抱えているのかもしれない。


 一目見て確信した。きっと彼らは、この先なにか大きなことを成し遂げるパーティだ。魔術師がいるのは気に入らないが、あるいは、このダンジョンの謎に挑む者たちかもしれない。


 なぜ自分がそこにいないんだ。


 王都に教会に、月の銀の髪を持って生まれ、高司祭の教えのもとで修練を重ねた自分が、なぜ聖騎士なんかにされた挙句、グールに殺され、魂を歪められたゾンビとして、死霊術師と共にいなければならないのか。


 こちらの顔ぶれはと言えば、おぞましき死霊術師に、陰鬱な黒魔術師のゾンビ。隣を歩くのは獣人のゾンビで、最後尾はけだものだ。


 あんな半人前の修道士なんかより、自分があちらのパーティにいるべきはずだった。聖騎士としてあのパーティに入れていれば、王都復帰への道はずっと短かったかもしれないのに。


 なぜ私じゃないんだ。


「なあ」


 不意に話しかけられ、フレイナは思考を止める。ともに先頭を歩くマズルカが、顎に手を当てながら横目でこちらを窺っている。


「なによ」


「さっきときどき口にしていた、『空白』というのはなんだ?」


 フレイナは冷ややかにマズルカを見て、ため息をつく。これだから未開の蛮族は。『言葉』の教えを欠片も知らないらしい。


「アタシも人間の街で暮らしていれば、『言葉』については聞くことがある。始めにあって、世界を紡ぎ、理をもたらすもの。だろう? だが『空白』については聞いたことがなかった」


 思わず顔ごとマズルカを見返した。多少の知識はあるらしい。


「ふうん、まったく無知ってわけでもないのね……いいわ、教えてあげる。『空白』は『言葉』によって世界が紡がれたときにできた、隙間よ」


「隙間?」


「理の外側、混沌、強大な力であり、虚無である……そう教えられているわ。『空白』は『言葉』の摂理に侵食して、すべてを無に帰そうとしている。理の裡にある世界に、様々な手段で干渉しようとしてくるのよ。あの灰色王も、『空白』から力を得ていたって伝えられている」


 だから『空白』は、『言葉』を信奉する教会にとって、最大の敵なのだ。


「吸血鬼やグール……それにゾンビ。アンデッドは、妄念や執着によって『空白』に魅入られ、魂が穢れ、『言葉』の摂理から外れた存在よ。だから『言葉』によって綴られた聖句による祝福は、アンデッドたちの魂を浄化して摂理に戻すことが出来るの」


 そして、私たちのことも。フレイナは言葉を飲み込む。


「ねえ、あなた妹がいるって言ってたわね。ゾンビになった理由って、それなの?」


 代わりに、ふと湧いた疑問を口にする。どうせ、森の中にはまだなんの気配もない。


「ん? ああ……まあな。アタシや妹は、もともと奴隷だったんだ」


 げんなりと肩を落としてしまう。奴隷の次はゾンビとは、自分とどちらが『言葉』に見放されているだろうか。


「奴隷、ね。なにをしたの」


「戦いに負けた」


 まるでなんでもないかのように、マズルカは言った。


「アタシと妹は、オベレク氏族……傭兵を生業にするルーパスの一族の出でな。方々の貴族に呼ばれては、領土争いやら後継争いやらの戦線に立って、雇い主に勝利を売って回っていた。その筋じゃ評判だった、オベレク氏族を雇えば、どんな戦も負けなしって言われてたくらいだ」


 種族が総じて戦士としての適性が高い獣人が、傭兵団として数々の戦場に呼ばれているというのは、王都でも有名な話だ。


「だがあるとき、氏族の方針を巡って内紛が起きた。アタシは慎重派の族長についていたが、血気に逸った衆を取り込んでいた急進派に負けたんだ。族長は殺され、急進派はアタシたちを奴隷商に売って、金に換えた。家族に売り払われたのさ」


 自嘲するようにマズルカは唇を歪める。


「幸い、アタシと妹は一緒に、ガストニアの商会に買われた。扱いは家畜も同然だし、ロクでもない仕打ちも受けたが、離れ離れになるよりはマシだ。けれど、冒険者相手の商売のためにダンジョンに送られて……」


「死んだの?」


「ああ。でもそのまま死ぬわけにはいかなかった。偶然居合わせたマイロは、そんなアタシをゾンビにして、妹と一緒に暮らせるようにしてくれたんだ」


「その、妹は……?」


「いまは……別行動中だ」


 なんだそれは。


 満足げに語っているマズルカの傍らで、フレイナは嫌悪に唇を歪めた。


 あの死霊術師は、妹を人質にして、マズルカをゾンビとして隷属させているのだ。自分に持ち掛けたのと同じ、まるでこちらに選択権があるかのような口ぶりで、かりそめの命と死を天秤にかけさせているのだ。


「……あなた、よくそれで死霊術師なんかと一緒にいられるわね」


「そうか? おかしなやつだが、奴隷だった頃に比べれば、全然気楽なものだぞ」


 その対価に魂を歪められても?


 フレイナにとってそれは、ひどくおぞましく、邪悪な取引にしか見えなかった。

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