第28話:聖騎士フレイナ(1)
熱心な聖リングア言学会の教徒である両親のもとに生まれ、恵みの象徴ともいえる月の銀の髪の持ち主であったフレイナは、将来を約束された子供だった。
王都の幼年修道士たちの中でも特に目をかけられ、高司祭による直々の教育を受け、読み書きよりも早く崇高なる『言葉』の教えを学び、誰よりも先に経典を賜った。
なによりもフレイナには、自分こそが次代の教会を導いていく人間なのだという、強い自負があった。出来の悪い同期の修道士でもなく、歳ばかりを重ねた才覚のない司祭でもなく、自分こそが教会を導き、目先の欲に囚われてばかりの蒙昧な無信仰者たちに教えを説き、『言葉』に殉じたあるべき世界を作るものなのだと信じ、研鑽を積んできた。
その自負は傲慢ではなく、フレイナは優秀そのもので、十五歳の成人を迎えたらすぐに司祭になるのだと、フレイナ自身を含め誰ひとりとして疑っていなかった。
ある日、その道は突如として途絶えた。
フレイナの父親は、父親ではなかった。フレイナは母親が密通の末に孕んだ、不義の子であることが発覚したのだ。
さらに悪いことに、密通の相手は魔術師であった。
教会にとって、魔術師は天敵だ。
『言葉』の教えをないがしろにし、魔術などという力で世界の摂理を乱している。あまつさえ死霊術師に至っては、絶対不可侵たる魂の領域をこじ開け、踏み荒らしているのだ。
にもかかわらず、教会が魔術師を排斥できないのは、力と教えの源である聖典が、彼らを邪悪だと定義していないからである。
そして付け加えるならば、教会にはいま、その権力はなかった。
かつて王室の補佐役であった教会は、魔術師によってその地位から蹴落とされたのだ。二百年前、灰色王を討ち果たした五人の灰祓いの中に、ひとりとして教会の人間がいなかったがために。
ともあれ、フレイナの世界は一変した。次世代を導く『言葉』の申し子であったはずのフレイナは、生まれながらにして罪の子であったのだから。
誰もが手のひらを返した。同期の修道士も、司祭たちも、揃って汚物を見るような、かつてフレイナが街の浮浪児たちを見ていたのと同じ目で、彼女を見るようになった。
母親の穢れた股を裂き、火で炙り、妻の不貞を見抜けなかった父親を鞭で打っても、彼女の罪は贖われなかった。
やがて高司祭はフレイナに、聖騎士になるよう命じた。
リングア聖騎士団。剣と盾と聖典を以って、教会に仇をなす邪悪を討つ武力集団。聖典の威光を背負う殺し屋たち。休むことなく各地を飛び回る、出世街道を外れた者たち。
ここで罪を雪げば、いずれ王都に戻れる日もあるかもしれない。その一心でフレイナは、血を吐くような訓練にも耐え、命を削る戦場を潜り抜け、背教者やアンデッドを切り伏せてきた。
執念によって磨き上げられた武芸に、生まれ持った月の銀の髪がもたらす絶大な魔力。十七歳になったフレイナは、聖騎士団の中でも類稀なる実力者となっていた。
そしてついに訪れた、復権への道しるべ。
ガストニアのダンジョンに現れたという、グールの群れ。イルムガルト復活が噂されるダンジョンでこれを討伐し、学院のお膝元で魔術師の鼻を明かせば。あるいは、王都へ戻ることも出来るかもしれない。
グールはこれまでにも、散々討伐してきた相手だ。多少数がいたところで、たいした問題ではない。ましてやグールは、歪んだ命によって魂の輪廻を外れたアンデッドだ。聖典がもたらす祝福は、邪悪と定義した相手に対して絶大な効力を持つ。
きっとこの仕事で、司祭への道に戻れるはずだ。
そしてフレイナの期待は、またしても裏切られることとなった。
「なによ……いったいなんなのよこいつらは!」
ダンジョン第13階層で待ち構えていたグールの群れは、フレイナたちの知るグールと、なにもかもが違っていた。
人間の死体を貪るグールは、姿形こそ人間のそれに近いが、毛は生えず、肌は漆黒に染まり、なにより獣以下の知能しか存在しない。単独で行動し、道具を使うこともなく、指先の長い爪でがむしゃらに獲物に飛び掛かり、血と肉を啜る。
だが、この樹海に蠢いているグールたちは。
「このッ!」
フレイナの振う長剣が空を切ると、飛び退いて躱したグールと入れ替わるように、別のグールが爪を振ってくる。咄嗟に盾で殴りつけ、剣を振りぬく。グールは胸を裂かれるが、まだ息がある。
間隙を縫い、素早く周囲に視線を走らせる。
あまりにも数が多い。すでに何匹のグールを切り伏せたかわからない。にも拘らず、まだ樹海の緑は穢れた黒に埋め尽くされている。
それだけじゃない。明らかにこのグールたちは、連携というものを知っている。攻と守とを巧みに入れ替えながら、全体で一個体のように振舞っている。
「早く祝福を!」
振われた爪を盾で防ぎながら、背後にいる同輩に声をかける。フレイナたち三人が前に立って剣を振い、もうひとりは後方で聖句を引用し祝福を唱えている。
これまでずっとそうやって戦ってきた。
これで滅ぼせないアンデッドはいなかった。
あの喰屍の王ゲオルギウスすら、こうして葬ったのだから。
「『言葉』のもとに、汝らの御魂を正しき摂理の輪に返したまえ!」
後衛の聖騎士が聖典を掲げ、聖句を唱える。祝福の光が聖典から溢れだすと、光にさらされたグールたちが悶え苦しみ、ばたばたと地に臥せる。
祝福はアンデッドの歪んだ命をあるべき形に戻し、聖なるサイクルに返す。
真正面から光を浴びたアンデッドたちは、ひとたまりもなく、これまで無縁だった死を味わうことになる。
だが。
「ぁがッ!」
「カート! なんなの、いったいどれだけいるの!」
息をついた一瞬のうちに差し込まれた爪が、聖騎士の喉を貫く。
祝福の光が作った暇は、ほんの一呼吸にも満たなかった。斃れたグールたちを乗り越え、また新たなグールが襲い掛かってくる。もうこれで何度目になるかわからない。数が多すぎる。
それに。
「また、あいつだけ……!」
祝福に倒れたグールたちの中に、一匹だけ、何度光を浴びても倒れないものがいる。背を丸めて蠢くグールたちの中で、その一匹だけが悠然と立ってフレイナたちを睥睨している。
「も、もう無理だ、引き返してげぇゃッ」
「守りたまえ守りたまえ『言葉』よわれらの魂をくぺっ」
ひとりが倒れたら、あとは早かった。背を向ける間も、祈りを捧げる間もなく、聖騎士たちはグールに飲み込まれていく。斃れたそばから、肉を裂いて貪り、血を啜る音が聞こえてくる。
フレイナはひとり残され、呆然と黒き群れを見た。
たった一匹、背を伸ばして立つグールと目が合った。確信する。あいつが指揮官だ。獣同然のグールの群れを統率できるものなど、他にいないはずだったのに。
「『言葉』よ」
そうして、フレイナは死んだ。
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